憾満ケ淵(かんまんがふち)は、田母沢御用邸から、さらに大谷川を上流に上がったところにある渓流です。ここまで行く予定は、当初はなかったのですが、時間の余裕ができたので、足を延ばしてみました。
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憾満ケ淵 |
橋を渡り、大谷川沿いを上流に向かって歩くと、慈雲寺の門が見えてくる。寂れた風景だ。慈雲寺は、天海の弟子である晃海僧正が1654年に創建したものだという。しかし、今は無住だと思われる。(輪王寺の管轄になっている)
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慈雲寺 |
本堂から少し上流にいくと、流れの急な川に突き出した岩の上に霊庇閣(れいひかく)という建物がある。これは慈雲寺創建のときに、晃海僧正が建立した護摩壇で、対岸の不動明王の石像に向かって護摩供養がおこなわれた場所だという。(今は、不動明王の石像はない)
この護摩壇の対岸の絶壁に梵字が刻まれているのがうっすらと見える。不動明王の真言「カンマン」の梵字が刻まれている。そこから、ここをが「憾満ケ淵」といわれる。
この梵字は弘法大師が筆を投げて彫りつけたという伝説があり、「弘法の投筆」と言われている。
不動明王の真言:
「ノウマクサンマンダバザラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタ カンマン」
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霊庇閣(れいひかく) |
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護摩壇 |
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護摩壇 |
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「カンマン」の梵字 |
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憾満ケ淵 |
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憾満ケ淵 |
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憾満ケ淵・激流 |
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憾満ケ淵・激流 |
憾満ケ淵の南岸には、約70体の地蔵石仏が並んでいることから「並び地蔵」とも、また参詣者が数えるたびに地蔵の数が違うということから「化け地蔵」ともいわれている。
これらの地蔵は、慈眼大師(天海)の弟子約100人が「過去万霊、自己菩提」のために寄進したものという。(明治の大洪水の際に、多くが流され今は約70体という。)
地蔵菩薩は、幼くして亡くなった子や水子など子供を守ってくれる仏とされることから、子供をイメージした、赤い帽子、前垂れがかけられている。並び地蔵の端には、一回り大きな地蔵菩薩がおかれているが、これは親地蔵だという。
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並び地蔵 |
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並び地蔵 |
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並び地蔵・親地蔵 |
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並び地蔵 |
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ホコリダケ? |
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コケの胞子 |
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地衣類? |
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ネコヤナギ |
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地蔵菩薩・金谷ホテル庭園 |
憾満ケ淵は、男体山から噴出した溶岩が大谷川の急流によって削られた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地とされていたようです。不動明王の憤怒姿のように荒々しい川の流れ、奇岩に突き出した護摩壇、岸には地蔵菩薩が並び、あたり一帯は霊気が漂っているような空間でした。
今回の日光山の旅で、一番、印象に残る景色でした。
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