2026年5月27日水曜日

東京異空間427:河鍋暁斎の世界@サントリー美術館


 

サントリー美術館で開催されている「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」を観てきました。暁斎は、葛飾北斎、歌川国芳の後を継ぐ「奇才」といえる絵師です。

河鍋暁斎の展覧会などはこれまでも開かれていますが、この展覧会は、暁斎コレクションとしては世界でトップクラスの質と量を誇る、イギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏のコレクションを代表する名品が展示されていました。

なお、作品の一部のみが撮影可でした。

《地獄太夫と一休》  明治4221871-89)年



《地獄太夫と一休》 



《猫又図》 明治4221871-89)年




《蝶と菊に猫》  明治4 22年(1871 89





《猫と鯰の頭》  明治4 22年(1871 89



《百鬼夜行図屛風》 明治4221871-89)年





















1.河鍋暁斎(1831-1889

天保2年(1831)、下総国古河(現在の茨城県古河市)に生まれる。数え2歳の時に、家族とともに江戸に移り住み、7歳の頃から浮世絵師・歌川国芳に手ほどきを受ける。その後、駿河台狩野派のもとで修業を積み、安政4年(1857)に絵師として独立する。その頃から「狂斎」を名乗り始め、肉筆画、浮世絵版画を数多く制作した。さらに、土佐派や、琳派、四条派といった諸派の技法を吸収、幼少期に歌川国芳のもとで学んでいた浮世絵も学び直し、高い技量と、狂画(戯画)の諧謔精神を組み合わせて、独自の画風を確立した。手がけた作品は神仏画から妖怪画、動物画、世相を反映した風俗画や戯画にいたるまで多岐にわたり、そのいずれにも卓越した画技と機知に富んだ発想が見られる。

また、人前で即興的に絵を描く席画も得意とし、客の求めに応じてその場で揮毫する書画会にも頻繁に参加したが、明治3年(1870)、書画会で酔って描いた絵が見咎められ、逮捕、投獄される。放免の翌年、号を「暁斎」と改めて以降も精力的に制作を続け、暁斎の画業は全盛期を迎える。

その後の画業では、政府の積極的な開国政策もあって、国際的な交流が活発になり、1876年(明治9年)のフィラデルフィア万国博覧会に肉筆作品を出品したのを皮切りに、国際的評価を獲得する。フランス人実業家のエミール・ギメのお抱え画家だったフェリックス・レガメと親交を深めたことでも知られる。こうした交流を通じて、西欧絵画への理解をも深めた河鍋暁斎の作品は、世界的に高い評価を獲得した。例えばドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツは、河鍋暁斎を「日本最大の画家」と評価してい

暁斎は、その破天荒な性格とは裏腹に、 非常に面倒見の良い優れた指導者でもあり彼の画塾からは、実子である河鍋暁雲、暁翠をはじめ、小林清親など日本画の伝統を継承した絵師を輩出するとともに、 ジョサイア・コンドルなど外国人に対しても偏見なく門戸を開き、日本画の技法を授けた

最晩年、河鍋暁斎は東京美術学校で教鞭を執ることを岡倉天心、フェノロサから依頼される。しかし、当時すでに河鍋暁斎は病に伏せていたため、この受諾を断念。1889年(明治22年)、河鍋暁斎はコンドルに看取られながら亡くな。享年57河鍋暁斎の訃報は海を越えて、フランス・パリの新聞でも報じられた。

河鍋暁斎(1831-1889


.三人の奇才~北斎・国芳・暁斎

北斎・国芳・暁斎は「奇才」の系譜を引いた最強の三人である。三人の共通点をあげてみる。

(1)何でも描ける

葛飾北斎が「絵に描けぬものはない」という言葉があるように、三人ともに浮世絵、戯画、風刺画、花鳥画、風景画、美人画 仏画など、さらには怪談や妖怪、地獄絵図といった目に見えない世界まで、あらゆるジャンルの絵を描いている。、抜きんでた画力とともに、「何でも描ける」の根底には、徹底した観察眼がある。それはまた、三人ともに、常軌を逸した「絵への執着心」をもっていたことを示す。たとえば、

北斎は、みずからを「画狂老人」と名乗り、死ぬ間際まで「あと5年あれば本物の画工になれた」と言い残すほど、物の本質を写し取ることに執念を燃やしていた。

国芳は、懐に常に猫を入れ、写生を繰り返すことで、猫の骨格や予測不能な動きを完璧に描き出した。

暁斎は、幼少期に神田川で拾った生首を写生したというエピソードがあり、生き物や人間のリアルな動きを瞬時に記憶して描く天才的な動体視力を持っていた。そのあまりの熱量から師より「画鬼」という渾名がついた。

(2)「戯画」のパイオニア

三人とも、ユーモアや風刺を込めたコミカルな絵(戯画・漫画)を得意とした。たとえば、

北斎は、『北斎漫画』にみるように、あらゆる事物をコミカルにスケッチした。

国芳は、猫を人の姿に見立てたり、役者の顔をグラフィック風に組み合わせたりする天才的な「戯画」で江戸を沸かせた。

暁斎は、明治の文明開化を動物や妖怪で皮肉った『暁斎漫画』や風刺画を描いた。

(3)奇想、鬼才

三人とも、当時の常識や伝統的な絵画のルールに縛られない自由な発想「奇想」を持っていた。たとえば、

北斎は、人物のポーズを限界までデフォルメした『北斎漫画』や、富士山を幾何学的な構図で切り取った『富嶽三十六景』など、視覚的なサプライズを常に追求した。

国芳は、複数の人間が集まって一人の顔を形成する「寄せ絵」や、巨大な骸骨が画面を圧倒する『相馬の古内裏』など、現代のトリックアートやファンタジーに通じる視覚表現を生み出した。

暁斎は、動物や妖怪を人間のように生き生きと動かす戯画や、地獄と極楽をユーモラスに描くなど、現実と幻想を融合させた独自の世界観を確立した。

三人は、単に「変わった絵を描いた人」ではなく、誰も真似できない超絶的な技量を用いて、誰も見たことがない世界を大真面目に描き切ったからこそ、時代を超えて「奇想」「鬼才」と称賛され続けている。

(4)権力に屈しない「反骨精神」

北斎、国芳、暁斎の三人は、江戸から明治という激動の時代において、幕府や政府などの時の権力に対してユーモアや風刺、圧倒的な画力で抗い続けた「反骨精神」があった。たとえば、

北斎は、11代将軍・徳川家斉の御前で絵を描く際、畳に長い紙を敷き、青い絵の具を刷毛で引いた後、鶏の足に朱色の絵の具をつけ、その紙の上を走らせた。それを 「竜田川の紅葉」と言い放ち、将軍相手でも媚びることなく、自身の芸術的アイデアを堂々と見せつけた。

国芳は、《源頼光公館土蜘蛛作妖怪図》という 病床の武将(源頼光)を妖怪(土蜘蛛)が見下ろしている絵を描いたが、これが、「頼光=無能な将軍」「土蜘蛛=水野忠邦」「苦しむ足軽=弾圧される庶民」の風刺であると江戸中で大評判になり、幕府から尋問を受け、版木を破壊された。国芳は、こうした天保の改革を厳しく風刺した「判じ物(謎解き絵)」を描いたことから「反骨の絵師」ともいわれる。

暁斎は、《風流蛙大合戦之図》 という、元治元年(1864年)に京都で起きた禁門の変(第一次長州征伐)を、100匹近くの蛙たちの合戦に見立てて描き、幕末の政治動乱や権力闘争を、痛烈に皮肉った。

また、1870年(明治3年)、書画会で、明治政府の役人を痛烈に風刺した絵を描いたとして、新政府に逮捕・投獄された。

3.暁斎とジョサイア・コンドル

「日本近代建築の父」と呼ばれる英国人建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder 18521920年)は、暁斎の弟子となった。コンドルはお雇い外国人として、工部大学校(現在の東京大学工学部)の建築学教授に着任したのは1877年。二人の出会いのきっかけは、1881年(明治14年)、上野で開催された第2回内国勧業博覧会。コンドル自身が設計した「上野博物館(東京国立博物館の前身)」の開館式を兼ねたこの博覧会で、暁斎は、《枯木寒鴉図》で最高賞を受賞した。その圧倒的な筆致に大きな衝撃を受けたコンドルは、暁斎への弟子入りを猛烈に志願する。当時の河鍋暁斎は50歳、ジョサイア・コンドルは29歳と、親子ほどの年の差があった。

《枯木寒鴉図》


入門から2年後の1883年(明治16年)、暁斎はコンドルに、自身の「暁」と英国の「英」を組み合わせた「暁英」という雅号を与え、一人の日本画家として認めた。

二人の関係は暁斎が1889年に死ぬまで続き、臨終の際に暁斎の手を握っていたのはコンドルだったという。悲しみに暮れたコンドルは、師の画業と人生を称える画期的な英語の書物*Paintings and Studies by Kawanabe Kyosai 』を出版した(1911年)。この本がきっかけとなり、暁斎の名は西洋でいち早く「天才絵師」として広く認知されることになった。 暁斎にとって、コンドルは弟子であるとともに、友人であり、またパトロン的な存在であった。

*『河鍋暁斎』ジョサイアイ・コンドル 山口静一訳 岩波文庫 2006

コンドルは終生英国に戻ることはなく、1920年(大正9年)に麻布の自宅で死去し、文京区の護国寺に葬られた。

コンドルの墓・護国寺(2022年撮影)


4.ゴールドマン・コレクション

イスラエル・ゴールドマン(Israel Goldman1958~)は、河鍋暁斎の世界屈指のコレクターとして知られる、イギリス・ロンドン在住の美術商である。 ゴールドマンのコレクションは、単に作品数が多いだけでなく、暁斎の画業の全貌を網羅している点と保存状態の素晴らしさが最大の特徴とされる。

イスラエル・ゴールドマンは、1980年代前半に暁斎作品の蒐集を始めた。40年以上の年月をかけて形成されたコレクションには、掛軸、巻物、屛風絵などの肉筆作品、版本・版画作品に加えて、下絵や画稿、暁斎絵日記の優品なども含まれており、所蔵点数は1000点近くに及び、暁斎の画業を包括的に概観することができる。また、浮世絵を専門に扱うディーラーとしての氏のこだわりを反映し、早い摺の、非常に状態のよい版画・版本作品が多く集められている点も、このコレクションの特徴の一つとなっている。ゴールドマンは現在でも精力的に暁斎作品を蒐集しており、コレクションは成長を続けているという。

ゴールドマン・コレクションによる河鍋暁斎の展覧会は、これまで3回開催されている。

2002年「初公開 イスラエル・ゴールドマンコレクション 河鍋暁斎展」 太田記念美術館

2017ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」Bunkamuraザ・ミュージアムなど

2026年「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界 」サントリー美術館 など

なお、2022年には「Kyōsai: The Israel Goldman Collection」 ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ で開催されている。また、コレクションの一部は、大英博物館(ロンドン)に寄託されている。


河鍋暁斎とそのかかわりの深い人物等について、まとめてみました。江戸から明治への大転換期に、これほどのすぐれた作品を多く残した暁斎は、北斎、国芳とならぶ三代絵師だと思います。また、お雇い外国人・ジョサイア・コンドルとの交流を始め、国際的な評価も高い日本の絵師(画家)の一人といえるでしょう。

2026年5月22日金曜日

東京異空間427:《樹を見上げて》日高理恵子

 



東京国立近代美術館のコレクション展を観ていて、思わず、「おー!すごい!」と声を出しそうになった作品に出会いました。220×600cmという圧倒的な大画面に描き上げた大作で、タイトルは《樹を見上げてⅦ》、作者は日高理恵子という、初めて知りました。

1.日高理恵子

日高理恵子は、1958年、東京都生まれ、武蔵野美術大学に学ぶ。一貫して「樹木」をモチーフに描き続けている日本画家。日本画の素材である岩絵具を麻紙に重ねる技法を使いながら、伝統的な様式にとらわれないモノクロームの大画面作品を制作している。

2.《樹を見上げてⅦ》 1993

東京郊外にある自宅近くの神社境内で山桜などをその場でドローイングしながら、4回の冬を越して完成したのがこの大作。絵の前に立つと、作者が感じた不思議な感覚を追体験できるかのような、未知なる空間を感じ取れる。

作者は次のように語る。

「見つめれば、見つめるほどに見えてくる測りしれない距離、この測りしれない距離・空間をリアルに感じ続けるために樹を見上げ、描く」




(1)《樹》1983年

樹を描き始めたきっかけとなったのが、この作品《樹》。1983年の大学卒業制作として描かれたもので、原野に立ち並ぶ樹林と地平線を捉えた「水平の視点」による初期の作品である。後に作家は、樹の真下から空を見上げる独自の「見上げる視点」の作品群、『樹を見上げて』シリーズへと展開していく。


(2)《樹を見上げてⅠ》 1989年


(3)《樹を見上げてⅡ》 1989年


(4)《樹を見上げてⅤ》 1991年


3.シリーズの変遷

日高理恵子は1980年代から一貫して「樹木」をモチーフにしているが、その関心の変化に伴って作品のシリーズタイトルを「樹を見上げて」→「樹の空間から」→「空との距離」へと変遷させている。

(1)「樹を見上げて」シリーズ(1980年代後半〜)

作家が「樹を真下から見上げる」という独自の視点を確立したシリーズ。

(2)樹の空間から」シリーズ(1990年代後半〜)

樹木の枝葉によって切り取られた「余白」や「間(ま)」に焦点が当てられたシリーズ。

(3)「空との距離」シリーズ(2002年〜)

作家の関心が「樹の向こう側に広がる空や、そこに至る測りしれない空間そのもの」へとより深くシフトしたシリーズ。

どのシリーズも同じ樹の絵に見えるが、彼女の関心は「樹そのもの」から「樹が浮き上がらせる空間」へ、そして「その向こうにある空との距離」へと、より深く、より本質的な絵画空間へと進化を遂げている。

4.絵画と写真

作品は極めて写実的であることから、一見するとモノクロの写真のように見える。しかし、写真を参考にして描くこともなく、日高は「写真のレンズを通した空間」を徹底的に拒絶する。

写真はレンズの焦点深度や歪みがあり、一瞬の固定された光しか捉えられない。しかし、人間の目は常に焦点が動き、風の揺らぎや、雲の動きによる光の変化を同時に感じている。 現場で自分が「見つめ続けた時間」と、その時に感じた「空との距離感」を肉体に記憶させ、それをアトリエで巨大な和紙へと写し替えていく。

そこには、肉体的にも過酷な作業、努力が行われている。作者は、狙った樹木の下に立ち、顔を完全に天に向け、空と顔面が平行になるほどの角度で首を固定し、数時間描き続ける。そうした野外での過酷なドローイング のあとに、大画面に日本画の岩絵具の線で樹木の輪郭を描き、さらに絶妙な距離感、空気感を表現するため、一度塗った岩絵具を、カッターの刃やサンドペーパーであえてガリガリと削り落とすという。こうした野外での「見上げる苦闘」から、アトリエでの「削り出す苦闘」を経た「闘いの記録」であるからこそ、観る者を圧倒する迫力ある作品となっている。


日高の作品を実見したのは、この一点だけですが、ネットからシリーズの画像を引用しました。今後、機会があれば、その他のシリーズの絵も見てみたいと思います。

東京異空間427:河鍋暁斎の世界@サントリー美術館

  サントリー美術館で開催されている「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」を観てきました。暁斎は、葛飾北斎、歌川国芳の後を継ぐ「奇才」といえる絵師です。 河鍋暁斎の展覧会などはこれまでも開かれていますが、この展覧会は、暁斎コレクションとしては世界でトップクラスの質と量...

人気の投稿