2026年11月4日水曜日

函館を歩く5~元町エリア(1)旧イギリス領事館と旧公会堂

 

基坂の途中にある旧イギリス領事館

元町エリアを歩いてきました。ここには旧イギリス領事館、旧支庁舎、旧公会堂などがあり、それぞれの建物には函館の歴史がいっぱい詰まっています。

夜のライトアップも見て来ました。建物の美しさとともに、「基坂」の上から望む港が一段と綺麗でした。

1.旧イギリス領事館

旧イギリス領事館は、1859(安政6)年の函館開港とともにアメリカ、ロシアに次いで3番目に開設され、75年間にわたり領事館として使われた歴史的な建物である。現在の建物は、1913(大正2)年に完成した4代目のもので、イギリス政府工務省上海工事局によって設計された。




(1)領事館の歴史

仮領事館としての始まり(1859年): 初代領事のクリストファー・ホジソンが着任し、現在の弥生小学校付近にあった「称名寺」に仮の領事館を開設した。

度重なる大火と再建: 1863(文久3)年に元町地区に初めて領事館が新築されたが、函館特有の度重なる大火(1865年、1879年、1907年など)により、建物は何度も焼失と再建を繰り返した。

現在の建物の竣工(1913年): 1907(明治40)年の大火で3代目の建物が焼失した後、1913(大正2)年に現在の場所に再建された。一時は函館からの移転も議論されたが、イギリスの貿易利権の確保や、当時のロシア帝国への警戒といった地政学的な背景から、函館への再建が決定したと言われている。

閉鎖から現在まで: 1934(昭和9)年に領事館としての役目を終えて閉鎖された。

1940年に函館市が建物を買収し、戦時中の接収などを経て、一時期は市立函館病院の看護婦寮などとしても使用されていた。

1979(昭和54)年に函館市の有形文化財に指定され、1992(平成4)年に復元されてからは「開港記念館」として一般公開されている。

館内では、市民に広く愛された3代目領事リチャード・ユースデンが使用していた当時の執務室が再現されている。

双眼鏡で函館港を覗くユースデン

ユースデン




イングランド女王エリザベス1世の肖像画


バグパイプを抱えた英国(スコットランド)の伝統衣装を身にまとった男性のマネキン像


(2)建築の特徴

煉瓦造2階建ての「コロニアル・スタイル(擬洋風建築様式)」がベースになっている。

白い漆喰壁に映える鮮やかなブルーの窓枠が印象的な洋風の外観だが、屋根には日本の「瓦」が葺かれており、函館の港町らしい美しい和洋折衷建築となっている。

設計者: 英国政府工務省上海工事局(上海事務所)。実際の設計監理は、上海から招かれたイギリス人建築家のキーツ(H.C.キーツ)が手がけたと伝えられている。


建物の模型

大英帝国の象徴であるイギリス王室の門章 左:ライオン(獅子)、右:ユニコーン(一角獣)

(3)外交官・リチャード・ユースデン

函館市民から「豆コンシロ(豆領事)」の愛称で深く愛されたイギリス外交官、リチャード・ユースデン(Richard Eusden, 1830年〜没年不詳)。彼は単なる外交の枠を超え、激動の幕末から明治にかけて函館の「近代的な街づくり」の基礎を築いた、函館の歴史において最重要人物の一人とされる。

リチャード・ユースデン像

ユースデンは1830年、イギリスに生まれた。日本の開国に伴い外交官として来日し、箱館(函館)には3度にわたって赴任している。

最初の赴任(1861年): 初代領事の解任に伴い、副領事代理として夫人とともに初めて箱館の地を踏んだ。

2度目の赴任と「箱館戦争」(1867年〜1871年): 正式な領事として着任。この直後、戊辰戦争(箱館戦争)が勃発し、榎本武揚ら旧幕府軍による「蝦夷共和国」の樹立に遭遇する。その際、 旧幕府軍の幹部たちから届く書簡を精査し、「蝦夷共和国の基盤は脆弱である」という極めて冷静な外交レポートを、当時の駐日英国公使ハリー・パークスに送るなど、外交官としての職責を全うしている。

3度目の赴任:一度帰国したのち、1873(明治6)年に3度目の領事として再び函館に着任する。交渉相手は江戸幕府(箱館奉行所)から明治政府(北海道開拓使)へと変わったが、ユースデンはどちらの役人とも極めて良好な関係を築いた。

ユースデンと函館:

彼の身長は当時としても小柄な約160センチメートルだったため、領事(当時はコンシロ、あるいはコンシュルと発音された)をもじって、市民から親しみを込めて「豆コンシロ(豆領事)」呼ばれるようになった。

ユースデンは、開拓使の役人に公園の必要性を熱心に説き、日本初の和洋折衷型都市公園「函館公園」の造営を行った。

1880(明治13)年、ユースデンは領事の任期を終えてイギリスへと帰国する。しかし、彼の函館への愛着は生涯消えることはなかった。ロンドン郊外のアナクロードに建てた自宅の門扉には、わざわざ「HOKKAIDO HOUSE」と刻んだプレートを掲げていた。帰国後も、函館からやってくる古い友人(渡邉熊四郎など)を温かく自宅に迎え入れ、熱心に函館の発展や街の様子を尋ねたり、熊四郎が贈ったライラックの写真に喜色満面であったと渡邉熊四郎の欧米旅行日記に記されている。

2.ペリー提督来航記念碑

道路を挟んで旧イギリス領事館の向かい側にペリー提督来航記念碑がある。この碑は、1854年(安政元年)にペリー提督が率いるアメリカ艦隊(黒船5隻)が箱館に来航してから150周年を記念して2002年(平成14年)に建立された。

ペリーは1854年5月17日に箱館へ入港し、約2週間(18日間)滞在した。滞在中、アメリカ側は箱館湾の測量や写真撮影、気象観測などを行ったほか、ペリー自身も函館山への登山や神社仏閣の巡りなどをして過ごした。
ペリーは箱館港を「世界中のどの港にもまさるとも劣らない良港(ジブラルタル海峡に匹敵する)」と大絶賛し、当時の人々の暮らしぶりについても『ペリー提督日本遠征日記』の中で高く評価している。






3.函館四天王像

明治期の函館の発展に民間の立場から大きく貢献した4人の財界人(実業家)のブロンズ像が元町公園内にある(1982(昭和57)年、建立)。彼らは当時の函館で私財を投じ、教育、医療、福祉、経済などあらゆる分野の近代化の礎を築いたことから、市民への感謝と敬意を込めて「四天王」と称されている。




像は向かって左から以下の4名

①今井 市右衛門(1836年-1887年)

・石川県出身。函館で呉服店(のちの丸井今井百貨店の礎)を創業 。

・私設水道の開設や病院の設立など、社会公共事業に奔走した。

②平田 文右衛門(1849年-1901年)

・函館出身。造船所や造船学校の設立に尽力。

・函館有志造船所の発起人となり、さらに函館毎日新聞の創刊や、日本初の私立商船学校の設立など、地域の産業・教育の底上げに貢献した。

③渡邉 熊四郎(1840年-1907年)

・大分県出身。金森洋物店(現在の金森赤レンガ倉庫のルーツ)を開業。

・海運業や開拓使の御用商人として活躍し、のちに学校や病院、公園の建設へ巨額の私財を寄付した。

④平塚 時蔵(1836年-1922年)

・青森県出身。呉服商から身を起こし、のちに函館の定期航路や造船所、ガス・電灯会社などの設立に関わる。

・函館のインフラ基盤を築き上げた重鎮。

4.基坂と元町公園

(1)基坂(もといざか)

明治時代、坂の下に札幌へ向かう道路(札幌本道)の起点であり、距離(里数)を測る基点となる「里程元標(りていげんぴょう)」の木柱が立てられた。この「すべての基(もとい)となる坂」という意味から、「基坂」と名付けられた。




(2)元町公園

・室町時代

1454年(享徳3年)頃、地方豪族の河野政通がこの高台に館を築いた。その館の形が「箱」に似ていたことから、周辺が「箱館」と呼ばれるようになった。明治時代に「函館」へ改称。

・江戸時代

江戸幕府の箱館奉行所が置かれた。のちに五稜郭へ移転。

・明治時代

明治政府になると「開拓使函館支庁」が置かれ 北海道の開拓使や北海道庁函館支庁が設置された。

・現代

1950年(昭和25年)にその役割を終えるまで、「函館市制の原点」として機能し続けた。

1982年(昭和57年)に現在の「元町公園」として整備・開園。 


元町公園の奥に「旧函館公会堂」、手前左に「旧函館支庁庁舎」

5.旧北海道庁函館支庁庁舎・書籍庫

元町公園内に旧北海道庁函館支庁庁舎と書籍庫が建っている。

(1)函館支庁庁舎

1893年(明治26年)に建てられた先代の庁舎が、1907年(明治40年)の函館大火によって焼失した。その後、1909年(明治42年)に再建されたのが現在の建物で、 大正から昭和にかけては「渡島(おしま)支庁庁舎」などとして使われ、長らく道南地方の行政の中心地であった。

木造2階建ての洋風建築で、 正面玄関に並ぶ4本の巨大な柱が特徴的である。これは、複数の階にまたがる「ジャイアントオーダー」と呼ばれるルネサンス風の様式で、柱頭にはコリント式の装飾、柱の中央には膨らみ(エンタシス風)を持たせており、ギリシャ建築のような重厚華麗な意匠を誇っている。





(2)書籍庫

明治11年・12年の相次ぐ大火をきっかけに、重要な公文書を火災から守るための強固な書庫として、1880年(明治13年)に建設された。

1907年(明治40年)の函館大火の際、周囲の開拓使庁舎がことごとく焼け落ちる中、この書籍庫だけは奇跡的に類焼を免れた。

煉瓦造り2階建て、瓦葺きの土蔵風の建物は、開拓使時代の数少ない現存建築である。外壁に使われているレンガには「明治七年」「函館製造」といった刻印が見られる。これは、開拓使が現在の北斗市(旧茂辺地村)に設けた「茂辺地煉瓦石製造所」で作られた日本最初期の貴重な国産レンガである。 レンガの積み方には、「フランス積み」が採用されている。窓は非常に小さく作られており、頑丈な鉄の防火扉をそなえている。また、木の扉と鉄の扉による二重構造によって火の気を完全にシャットアウトする設計がなされている。



(3)ライトアップ





6.旧函館区公会堂

基坂を上り切った先に旧函館区公会堂が建つ。




基坂の上から望む函館港


(1)公会堂の歴史

1907年(明治40年)に函館を襲った大火により、市民の集会所だった「町会所」や商業会議所が焼失してしまった。新たな集会施設を望む有志が立ち上がるが、被災直後だったため建設資金が思うように集まらなかった。
この窮地を救ったのが、当時の函館の豪商である初代・相馬哲平です。総工費約5万8,000円のうち、大半を占める5万円という破格の私財を寄付したことで、一気に建設プロジェクトが動き出した。
完成後は市民の祝賀会や演奏会の場として親しまれ、1911年(明治44年)には当時の皇太子殿下(後の大正天皇)の宿舎(行啓)としても使用されるなど、函館の最高級の「迎賓館」としての役割を果たした。

〇初代・相馬哲平(1833-1921)

越後国に生まれ、28歳の時、単身で箱館(函館)へ渡り、米穀商を開業。明治2年(1869年)の箱館戦争の際、人々が避難する中で全財産を投じて米を買い占め、戦後の米価高騰により巨万の富を得た。 のちに海産物商、不動産、開拓事業へ進出し、第百十三国立銀行や函館貯蓄銀行などの頭取を務めた。資産の拡大に伴い「郷土報恩」をモットーとし、函館区役所や函館区公会堂やの建築費などに多額の寄付を行った。

(2)建築の特徴

建築様式:コロニアルスタイルの擬洋風建築
ブルーグレーとイエローの鮮やかなコントラストが特徴的な、木造2階建ての「擬洋風建築(明治洋風木造建築)」。左右対称の美しい佇まいに、ルネサンス風のクラシカルなバルコニーが配置されている。2階には、柱が一本もない「アーチ型の吊り天井」を用いた約130坪の大広間があり、音が美しく響く設計として非常に有名である。 

「大食堂」:当時のままのテーブルが並ぶ

「大食堂」




「縁側」には「手延べガラス」:影が波打っている

「会議所事務室」:函館の商人たちの活動や重要会議の場として使用 

「会議所事務室」







「御後架(お手洗い)」:エゾマツやヒノキが用いられた


「御召替室」:大正天皇の行啓の際の着替え室


格天井とアール・ヌーヴォー調の照明器具


漆喰天井の「中心飾」

「御座所(居室)」:皇太子時代の大正天皇の行啓の宿泊・休憩所として使用

御座所の隣にある「御寝室 」

「大広間」:つり天井で柱がない広大なスペース

「大広間」

「床」:茶色の濃淡による斜め格子柄のデザイン

「床」:茶色の濃淡による斜め格子柄のデザイン








中空の長押風の「天井縁(へり)」:大広間を囲む

花綱装飾:「フェストゥーン」風の木彫


「バルコニー」:函館港をのぞむ

斜め上に屋根に葺かれた「瓦」:洋風建築に和の要素も
「柱の上部」:「アカンサス」のデザイン





「バルコニー」:函館港をのぞむ









「ドアノブ」


「ドアノブ」:菊の花やオリエンタルな文様を連想させる緻密な浮き彫りが施されてい る

この擬洋風建築の設計、および棟梁(施行)は、次の日本人が行っている。

設計者:小西朝次郎(1879-1924 )
函館出身の区技師(土木課営繕主任)。当時30歳になったばかりの若さで、この大規模なモダン建築の設計を任さした。なお、施工を担当した棟梁・村木甚三郎の長男である村木喜太郎が実際には設計に関わったとする説もある。上司にあたる技師の渋谷源吉が設計監督を務めている。

棟梁(施工):村木甚三郎(1848-1924)
新潟出身で、函館随一の大工・棟梁と謳われた人物。伝統的な日本大工の卓越した技を活かし、複雑な洋風建築を完璧な木造構造として形にした。

息子の喜太郎と喜三郎を東京の工手学校(現・工学院大学)へ進学させ、本格的な近代的建築技術を学ばせた

建築監督(工事監督):渋谷源吉

小西朝次郎(設計)、村木甚三郎(施工・請負)とともに、函館区の公式な技術職員として現場の指揮・統括を担い、壮麗な擬洋風建築をミスなく完成へと導いた。

(3)ライトアップ









つづいて、元町エリアにある教会群を見ていきます。

函館を歩く5~元町エリア(1)旧イギリス領事館と旧公会堂

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