東京国立近代美術館のコレクション展を観ていて、思わず、「おー!すごい!」と声を出しそうになった作品に出会いました。220×600cmという圧倒的な大画面に描き上げた大作で、タイトルは《樹を見上げてⅦ》、作者は日高理恵子という、初めて知りました。
1.日高理恵子
日高理恵子は、1958年、東京都生まれ、武蔵野美術大学に学ぶ。一貫して「樹木」をモチーフに描き続けている日本画家。日本画の素材である岩絵具を麻紙に重ねる技法を使いながら、伝統的な様式にとらわれないモノクロームの大画面作品を制作している。
2.《樹を見上げてⅦ》 1993年
東京郊外にある自宅近くの神社境内で山桜などをその場でドローイングしながら、4回の冬を越して完成したのがこの大作。絵の前に立つと、作者が感じた不思議な感覚を追体験できるかのような、未知なる空間を感じ取れる。
作者は次のように語る。
「見つめれば、見つめるほどに見えてくる測りしれない距離、この測りしれない距離・空間をリアルに感じ続けるために樹を見上げ、描く」
(1)《樹》1983年
樹を描き始めたきっかけとなったのが、この作品《樹》。1983年の大学卒業制作として描かれたもので、原野に立ち並ぶ樹林と地平線を捉えた「水平の視点」による初期の作品である。後に作家は、樹の真下から空を見上げる独自の「見上げる視点」の作品群、『樹を見上げて』シリーズへと展開していく。
(2)《樹を見上げてⅠ》 1989年
(3)《樹を見上げてⅡ》 1989年
(4)《樹を見上げてⅤ》 1991年
3.シリーズの変遷
日高理恵子は1980年代から一貫して「樹木」をモチーフにしているが、その関心の変化に伴って作品のシリーズタイトルを「樹を見上げて」→「樹の空間から」→「空との距離」へと変遷させている。
(1)「樹を見上げて」シリーズ(1980年代後半〜)
作家が「樹を真下から見上げる」という独自の視点を確立したシリーズ。
(2)樹の空間から」シリーズ(1990年代後半〜)
樹木の枝葉によって切り取られた「余白」や「間(ま)」に焦点が当てられたシリーズ。
(3)「空との距離」シリーズ(2002年〜)
作家の関心が「樹の向こう側に広がる空や、そこに至る測りしれない空間そのもの」へとより深くシフトしたシリーズ。
どのシリーズも同じ樹の絵に見えるが、彼女の関心は「樹そのもの」から「樹が浮き上がらせる空間」へ、そして「その向こうにある空との距離」へと、より深く、より本質的な絵画空間へと進化を遂げている。
4.絵画と写真
作品は極めて写実的であることから、一見するとモノクロの写真のように見える。しかし、写真を参考にして描くこともなく、日高は「写真のレンズを通した空間」を徹底的に拒絶する。
写真はレンズの焦点深度や歪みがあり、一瞬の固定された光しか捉えられない。しかし、人間の目は常に焦点が動き、風の揺らぎや、雲の動きによる光の変化を同時に感じている。 現場で自分が「見つめ続けた時間」と、その時に感じた「空との距離感」を肉体に記憶させ、それをアトリエで巨大な和紙へと写し替えていく。
そこには、肉体的にも過酷な作業、努力が行われている。作者は、狙った樹木の下に立ち、顔を完全に天に向け、空と顔面が平行になるほどの角度で首を固定し、数時間描き続ける。そうした野外での過酷なドローイング のあとに、大画面に日本画の岩絵具の線で樹木の輪郭を描き、さらに絶妙な距離感、空気感を表現するため、一度塗った岩絵具を、カッターの刃やサンドペーパーであえてガリガリと削り落とすという。こうした野外での「見上げる苦闘」から、アトリエでの「削り出す苦闘」を経た「闘いの記録」であるからこそ、観る者を圧倒する迫力ある作品となっている。
日高の作品を実見したのは、この一点だけですが、ネットからシリーズの画像を引用しました。今後、機会があれば、その他のシリーズの絵も見てみたいと思います。





