2026年7月23日木曜日

金沢を歩く16~武蔵ケ辻周辺ー北國銀行と近江町市場

 

武蔵ケ辻

武蔵ケ辻に出ました。ここには、北國銀行の建物があります。さらに進むと近江町市場があり、そこで食事をしました。

1.武蔵ケ辻

(1)由来

「武蔵ヶ辻」の由来は諸説あり、加賀藩政時代に町人の武蔵庄兵衛が住んでいた、など人名に由来しているという。また、「辻」は迷路を表し、金沢城下の三叉路を形成していて、香林坊などに通じており、古くから交通の要所であった。

(2)歴史

藩政期に、金沢城の大手門に近かったことから、城下町の重要な中心地として栄えた。

1721年には、浅野川口と犀川口にあった2つの魚市場が統合され、現在の近江町市場の位置に移転したことで、経済・物流の拠点としての地位を確立した。

近代になると、1930年(昭和5年)に「三越金沢店(現在の金沢エムザの前身)」が開業し、南側の片町・香林坊エリアと並ぶ「金沢の二大繁華街」として競い合うようになった。当時は路面電車(市内電車)も行き交い、買い物客で大変な賑わいを見せていたという。

* 1933年(昭和8年)頃の武蔵ヶ辻

2.北國銀行

北國銀行の武蔵ヶ辻支店となっている建物は、村野藤吾の設計によるものである。

(1)沿革

1932(昭和7)年:前身である「加能合同銀行本店」として建設された。

1943(昭和18)年:3行(加能合同、加州、能和)の合併により北國銀行が設立され、初代の本店となる。

1958(昭和33)年:本店の移転に伴い、現在の「武蔵ヶ辻支店」へと改称された。

2007(平成19)年:周辺の再開発により一時は解体計画もあったが、金沢市や市民の保存要望により残されることになった。その際、建物を基礎ごと移動させる「曳家(ひきや)」技術を使い、5日間かけて金沢駅側の方向へ約20メートル移動・転回させ、現在の形で保存・再生された。

(2)建物

昭和を代表する建築家・村野藤吾の独立初期のモダン建築である。正面にはゴシック建築を思わせる巨大な3連の船底型アーチ窓がそびえ立っている。これは発注者の祖先が北前船問屋だった歴史に敬意を表したデザインだという。外壁には渋い風合いのスクラッチタイルが敷き詰められ、アーチ窓の内側には精巧なブロンズ製の飾り格子がはめ込まれている。







(3)村野藤吾(1891-1984

村野藤吾 は、丹下健三とともに、戦後の日本建築界を牽引したといわれる。代表作には、日生劇場(1963年築)がある。

* 村野藤吾

* 日生劇場(1963年築)

村野藤吾の建築の特徴は、戦後の合理主義や機能主義(直線のモダニズム)とは一線を画した、「人間の身体感覚に寄り添う、有機的で華やかな装飾性と柔らかな曲線表現」にある。丹下健三との対比をすれば、丹下健三が「構造や国家の理想を掲げた直線とコンクリートのモダニズム」だったのに対し、村野藤吾は「個人の身体感覚や生活に寄り添った曲線と職人技のヒューマニズム」とされる。

3.近江町市場

(1)沿革

1721年 (享保6年):加賀藩の御膳所(厨房)として、金沢城下にあった袋町の魚市場と竪町付近の魚市場が現在の青草町周辺に統合・開設されたのが始まり。開設時に近江の商人たちが多く関わっていたことや、近江商人が主導して市場を形成したことからその名がついたと言われている。

1904年 (明治37年):「官許 金沢青草辻近江町市場」として公共市場の認可を受け、それまでの加賀藩御用達から一般市民の生活を支える商業拠点へと姿を変えた。

2009年 (平成21年):地階から地上5階の複合商業ビル「近江町いちば館」が開業し、伝統的な市場の雰囲気と現代的な都市機能が融合した。

現在は、鮮魚や青果、飲食店など約170店舗が軒を連ね、とくに新鮮な海鮮丼や食べ歩きグルメを楽しむ観光客で連日賑わっている。


近江町いちば館





(2)加賀料理

市場のなかにあるお店で加賀料理をいくつか頂いた。


蛍烏賊の沖漬け

かにの甲羅焼

金沢おでん

治部煮

海鮮

海鮮丼

能登牛


つぎは、金沢から富山・高岡に向かいます。途中、井波に寄りました。

金沢を歩く15~石浦神社・貴船明神

 

石浦神社

金沢の旅で、これまで巡った神社は、加賀藩の初代藩主・前田利家を祀った「尾山神社」、前田家が幕府への忠誠の印として徳川家康を祀った「尾崎神社」、前田家の祖先である菅原道真を祀った「金沢神社」など、前田家ゆかりの神社でした。今回訪れたのは、21世紀美術館のすぐ近くにある、金沢で最古の神社といわれる「石浦神社」です。

また、前日に歩いた香林坊のせせらぎ通りに小さな神社がありました。「貴船明神」とありました。

.石浦神社

1.由緒

社伝によると古墳時代(547年など諸説あり)に、大和国の大神(おおみわ)神社から御神霊を勧請して「三輪神社」を号したのが始まりとされている。

江戸時代には、やはり加賀藩の前田家と深いかかわりがあり、1602年に 2代藩主・前田利長が社地を寄進して社殿を再興し、その後にその土地を拝領した家老・本多政重がさらに立派な祠殿を造営して庇護した。このように、金沢城の鎮守神として歴代藩主や家老たちから崇敬・報賽を受けてきた。この時代には、「石浦大権現」や「石浦山王」と称されていた。

明治の神仏分離令を経て、 明治131880)年に現在の場所へ移築され、地元の郷名から「石浦神社」へと改称された。





2.祭神

主祭神の大物主大神(おおものぬしのかみ )をはじめ、大山咋大神(おおやまくいのかみ)、菊理媛大神(きくりひめのみこと)、天照皇大神など、七柱の神様が祀られている。

拝殿前には各地の神社の名の札が掲げられているが、これは、能登半島地震で甚大な被害を受けた奥能登の神社を再建・支援するための「能登半島地震被災神社復興再建プロジェクト」に関連するものであるという。





3.境内

(1)鳥居

石川県立美術館と金沢21世紀美術館を結ぶ「広坂」に沿って続く参道に101基の小さな鳥居が設置されている。2019年に建立された比較的新しい鳥居で、101基という数は100を超えて「さらに上へ」「一歩先へ進む」という、さらなる繁栄や前進への願いが込められているという。





(2) 絵馬の小径

鳥居と並行するように設置された「絵馬の小径」や、引いたおみくじを結ぶ専用の通路など、境内を歩くだけで楽しめる。





(3)キャラクター「きまちゃん」

境内にあるイラストのパネル等には、公式のゆるキャラが使われている。「きまちゃん」で、「何事も丸く決まる」という縁起の良い意味から名付けられたという。



(4)石碑

「すし塚」と「包丁塚」の石碑がある。「すし塚」は、金沢のおいしい寿司文化とその食を育んだ自然の恵みに感謝して建てられた。「包丁塚」は、美味しい料理を生み出す要である包丁を供養し、料理の腕前がさらに上達するようにという願いを込めて建立された。また、包丁の「切る」という性質にあやかって、「悪縁を切り、良縁を結ぶ」縁結びの願いも込めているという。

すし塚

包丁塚


(5)逆さ狛犬

お尻を高く持ち上げた珍しいポーズの逆さ狛犬が鎮座している。雲を蹴り上げるような躍動的な姿から、「魔を蹴り飛ばす」「運気を上昇させる」という非常に縁起の良い意味が込められているという。この狛犬は、 明治時代に作られた加賀地方特有の獅子舞の動きを取り入れた「加賀狛犬」の一種で、1891年 (明治24年)に石工の福嶋伊之助によって作られたとされる。

* 逆さ狛犬



(6)広坂稲荷神社

境内社の広坂稲荷神社は、京都の伏見稲荷大社から御分霊をいただいた歴史があり、北陸で最も古いお稲荷さんの一つとして、地元の方々から厚く信仰されてい るという。もとは加賀八家の一つである本多家の江戸上屋敷に祀られていたものを、のちに現在の地へ移したという歴史もあるという。




.貴船明神

香林坊のせせらぎ通りに「貴船明神」がある。鞍月用水にせり出す立派な赤松があり、中に入ると「貴船社」「玉姫社」2つの祠がある。

1.由緒
加賀藩家老・村井家の屋敷跡に佇むこの神社は、「女の嫉妬ほど辛きはなし、死せば女の嫉妬を和らげ守るべし」という遺言を残して亡くなった奥方を祀っているという由緒が伝わっている。この言い伝えから、悪縁を絶ち切り良縁を結ぶとして信仰されてい るという。

貴船社(左側)は、京都の総本宮貴船神社の流れを汲む水の神で、「縁結び」に霊験があるとされている。

玉姫社(右側)は、前述の村井家ゆかりの社で、悪縁を断ち切る「縁切り」の神として信仰されている。

2.参拝の仕方

この二つの社を参拝するには、すぐ横を流れる鞍月用水の「水の流れ」と「歩く方向」を掛け合わせた独特のルートあるという。

縁結びを願う場合には、せせらぎ通り(香林坊側)から見て「左側(下流側)」から境内に入り、川の流れに逆らうように進んで左側の大きな祠(貴船社)にお参りする。いっぽう、縁切りを願う場合には、せせらぎ通りの「右側(上流側)」から境内に入り、川の流れに沿うように進んで右側の小さな祠(玉姫社)にお参りすると、それぞれの願いが叶うとされる。

小さい神社であるが、やはり加賀藩とのかかわりは深いようだ。


つづいて、武蔵ケ辻に行き、「北國銀行」の建物をみて、近江町市場で食事をしました。

金沢を歩く16~武蔵ケ辻周辺ー北國銀行と近江町市場

  武蔵ケ辻 武蔵ケ辻に出ました。ここには、北國銀行の建物があります。さらに進むと近江町市場があり、そこで食事をしました。 1.武蔵ケ辻 (1)由来 「武蔵ヶ辻」の由来は諸説あり、加賀藩政時代に町人の武蔵庄兵衛が住んでいた、など人名に由来しているという。また、「辻」は迷...

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