2026年3月19日木曜日

京の寺社2~萬福寺

 

萬福寺・大雄寶殿

平等院は、さすがに人が多く、駅に続く道の周辺のよく知られるお茶屋さんなどは賑わっていました。宇治駅から黄檗駅で降り、萬福寺に来ると、いっきに人が少なくなりました。

萬福寺には、これまで2度ほど来ていますが、中国風の大寺は、さすがに見応えがあります。また、他の寺社と違い、撮影禁止のところがないのがうれしい。

ということで、また写真の数が多くなりますが、見て回った建物などの順に整理しました。

1.総門

入口に当たる総門から、すぐに中国風の建物である。中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、漢門とも呼ばれる。




(1) 摩伽羅

屋根の上には、インドの伝説上の怪魚「摩伽羅(まから)」の装飾が施されている。これはワニをモデルにしたといわれ、火災除けや、「鯉が滝を登って龍になる」という故事になぞらえ、修行を積んで高僧になることを象徴しているとされる。

一般的な日本のお寺では「鴟尾(しび)」や「鯱(しゃちほこ)」が置かれるが、萬福寺は中国の明朝様式を取り入れているため、この独特な意匠が用いられている。





(2) 白虎鏡

総門をくぐり、後ろをふりかえると、中央上部裏面に円相が型取られてい。これは風水的モチーフの一つ、「白虎鏡」である。中国の風水思想に基づき、背後の山から流れてくる強い「気」が門を通り抜けてしまわないよう、鏡で跳ね返す「照壁」のような役割を持つとされる。 また、萬福寺の伽藍全体は龍の形に見立てられており、西側に位置する総門は方位を司る四神の「白虎」に相当するため、「白虎鏡」と呼ばれる。 萬福寺の伽藍全体を龍の形に見立てた際、総門は龍の鼻(または口)の部分にあたる。



(3)扁額「第一義」

門の中央には、萬福寺第5代住持・高泉の筆による「第一義」と書かれた巨大な扁額が掲げられている。「第一義」とは、仏教における「もっとも重要で究極の真理」という意味がこめられているという。



2.萬寿院 塔頭

萬寿院は1675年に萬福寺の第2世住持である木庵禅師の塔所として建立されたが、この表門は1892年に建立されたもの。 萬寿院は、萬福寺の塔頭の一つで、通常、一般公開されていない非公開の寺院である。

木庵禅師は、萬福寺を開いた隠元隆琦の法嗣(後継者)であり、日本における黄檗宗の発展に大きく貢献した人物とされる。






屋根に乗る「摩伽羅」 は、総門とは違って、また独特の形をしている。








宝蔵院 塔頭

その他の塔頭として宝蔵院がある。ここは、鉄眼道光(てつげん どうこう)が一切経の版木を収めるために建立した。(以前に訪れている)

鉄眼は、仏教の聖典の集大成である「一切経(大蔵経)」を、日本で初めて一般に普及可能な形で出版したことで知られている。 1669年から約12年をかけ、6,956巻に及ぶ経典を刊行した。そのために彫られた版木は約6万枚にのぼる。宝蔵院は、この膨大な版木を収蔵・保管されており、今なお当時の版木を使ってお経を刷り出す「刷り出し」が行われている

3.三門

総門から放生池の横を通り、三門に至る。三門は、1678年に建立された、萬福寺の威容を象徴する巨大な二重門で、正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書である。三門とは、仏道修行において悟りに至るための3つの関門(空・無相・無作)を表しており、「三解脱門(さんげだつもん)」とも呼ばれる。


「知足の蹲踞」 吾唯足知(われただたるをしる)」という釈迦の教えを表す文字


放生池

境内にある羅睺羅尊者像をデザインした自販機


三門


火焔宝珠


扁額「黄檗山」「萬福寺」



4.開山堂

三門をくぐってすぐ左に曲がると、通玄門という朱色の門がある。それをくぐると「氷裂文」の石畳となっている。「氷裂文」とは、氷がパリンと割れたような不規則な亀裂を模様にしたもので、同じ形の石は一つとしてなく、職人が絶妙なバランスで組み合わせて造られている。

通玄門



氷裂文





氷裂文

通玄門と氷裂文




石畳を歩くと、白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がり、真正面に開山堂がある。 ここに黄檗開山隠元禅師がお祀りされている。 開山堂は、1675年に建立された。

開山堂の正面の小扉には、魔除けの意味を持つ桃の彫刻が施された「桃戸」がある。また、前面の勾欄(こうらん) には「卍(まんじ)崩し」の文様が作られている。

卍の勾欄

卍の勾欄

卍の勾欄


堂内

堂内

堂内

回廊

桃戸

「桃戸(ももど)」は、本堂である大雄寶殿にも見られる、桃の実の形をした彫刻が施された扉である。 中国では古来より、桃は「邪気を払う神聖な果実」とされていて、扉に桃を彫ることで、お堂の中に悪い気が入らないようにする魔除けの役割を持たせている。 桃の実を食べることで不老不死になれるという中国の伝説にちなみ、不老長寿の象徴ともなっている。





5. 寿塔

「寿塔」とは、禅宗において高僧が生前に築いておく墓のことを指す。隠元禅師は1664年に住職を辞して松隠堂(塔頭)に隠居し、1673年にこの地で亡くなった。現在の寿塔は、禅師を祀る開山堂(1675年建立)の背後に位置する聖域となっている。




6.石碑

石碑の台石は亀の形をしている。これは「亀趺(きふ)」と呼ばれ、中国の伝説上の生物で、重いものを背負うことを好む龍の子「贔屓(ひいき)」をかたどったもの。古くから、徳の高い人物の業績を記した碑の台座として用いられてきた。 日本の諺の「贔屓の引き倒し」とは、柱の土台である「贔屓」を引っぱると柱が倒れることからきている。

石碑には、隠元隆琦の徳を称える内容が刻まれている。 そこには、隠元禅師が、禅宗のひとつ黄檗宗を日本に伝え、大きな影響を与えたこと、萬福寺を建立した経緯などが記されている。また隠元は、いんげん豆を伝えたことで知られているが、日本に煎茶を伝え、茶の文化に貢献したとする関する記述もある。ちなみに、隠元豆のほかにも、西瓜・蓮根・孟宗竹(たけのこ)・木魚なども禅師の請来によるものだという。


亀趺

隠元が中国から持ち込んだ孟宗竹の「隠元やぶ」で、宇治市の銘木百選の一つ。


7.鐘楼

鐘楼の周囲には、この寺院の特色である中国風の灯籠が吊り下げられている。






8.回廊

萬福寺の伽藍はそのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっている。回廊沿いには、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈などが並んでいる。




4.鼓楼

鼓楼は、本堂である大雄寶殿に向かって右側に位置し、かつては二階に太鼓を置き、それを叩いて時刻や儀式の合図を知らせる役割を担っていた。 南側にある「鐘楼(しゅんろう)」と対になるように、北側にこの「鼓楼(ころう)」が配置されている。 鼓楼は、屋根付きの通路である回廊で他の諸堂と結ばれている。これにより、雨の日でも濡れずに主要な建物を移動できるようになっており、これも中国式の伽藍配置の特徴の一つ となっている。







9.石條(せきじょう)

境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したもの。中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上に立てるのは住持のみとされる。(今は一般の参拝者もこの石の上を歩いてはいるが)



三門から天王殿への石條

三門

扁額「威徳荘厳」

三門に掲げられている扁額には「威徳荘厳」と書かれている。これは、仏の備える力強い威厳と徳によって、その場所(寺院や浄土)が清らかに、美しく整えられているということを意味している。



10.天王殿

天王殿は、開放的な造りで、風が通り抜ける構造をもつ中国式の伽藍である。1668年に建立された。この伽藍配置は中国の寺院では一般的な形式で、天王殿は萬福寺の玄関口として参拝者を迎える役割を担っている。なお、萬福寺は2024年に天王殿・大雄寶殿・法堂の3棟が国宝に指定された。



(1)布袋と四天王

内部には護法神である四天王が祀られており、中央の正面には参拝者を迎えるように布袋(弥勒菩薩の化身)が安座している。この布袋様は、萬福寺を開いた隠元禅師の化身ともいわれ、常に満面の笑みを浮かべて参拝者を迎えている。また、布袋の背後(北向き)には甲冑に身を固めた勇壮な韋駄天像が立ち、周囲を四天王が守護している。 仏法を守護する四天王は、それぞれの方角に持国天(東)増長天(南)広目天(西)多聞天(北)が配置されている。

布袋







四天王













(2)韋駄天

韋駄天像は、伽藍の守護神であり、食を司る神として知られる。また、釈迦が亡くなったとき、足の速い悪鬼が釈迦の遺骨( 仏舎利)を奪って逃げたのを、この韋駄天が追いかけて取り戻した、という伝説をもっているほど、足の速いことでも知られている。しかしこれはあくまでも俗説であるという。






10.大雄寶殿(だいおうほうでん)

1668年に完成した萬福寺の本堂で、国宝に指定されている。






(1)火焔宝珠

屋根中央にある飾りは、「火焔付宝珠(かえんつきほうじゅ)」、または単に「火焔宝珠」 と呼ばれ、燃え上がる炎(火焔)に包まれたような装飾が施された、2重の宝珠の形をしている。 宝珠はあらゆる願いを叶え、災いを取り除く「如意宝珠」を象徴しており、寺院の神聖さを際立たせる役割をしている。



(2) 円窓

 正面の左右には、中国寺院特有の「円窓(えんそう)」が配置されている。





(3)香炉

天王殿と大雄寶殿の前には七宝焼きの香炉が置かれている。金属にガラス質の釉薬を焼き付ける七宝という技法で作られており、鮮やかな青色(ターコイズブルー)を基調とした華やかな文様が施されている。 足には獣の頭が彫られ(三獣足)、大きな左右の耳(双耳)は「鼎(かなえ)」の形をしている。




もうひとつの香炉は、「朝冠耳(ちょうかんじ)」と呼ばれる独特な形の耳(持ち手)が付いており、足の部分は動物の足(獅子など)を模した形になっている。




(4)本尊と 十八羅漢像

本尊は釈迦如来坐像で、脇侍として「迦葉(かしょう)尊者」と「阿難(あなん)尊者」という釈迦の十大弟子の中でも特に信頼の厚い二大弟子 が配置され、さらに堂内の両端には中国の仏師・范道生(はん どうせい)作の「十八羅漢像」が並んでいる。一般的な十六羅漢に、慶友(けいゆう)尊者と賓頭盧(びんずる)尊者を加えた次の18体で構成されている。

本尊・釈迦如来坐像と脇侍








十八羅漢像
 慶友尊者(けいゆう そんじゃ)



阿氏多尊者(あじた そんじゃ)



因掲陀尊者(いんぎゃだ そんじゃ)



羅怙羅尊者(らごら そんじゃ)

胸を開いて中に仏の顔を見せている姿十八羅漢像のなかでもよく知られてい。自分の胸を両手で左右に大きく開き、その中にお釈迦様の顔が現れているという驚きの姿をしている。 羅怙羅はお釈迦様の実子であり、「誰の心の中にも仏様がいる(仏性)」という禅の教えを、目に見える形で表している。





戒博迦尊者(しゅばか そんじゃ)



迦理迦尊者(かりか そんじゃ)




諾距羅尊者(なこら そんじゃ)



迦諾迦跋釐堕闍尊者(かなきゃばりだじゃ そんじゃ)




賓度羅跋羅惰闍尊者(びんどらばらだじゃ)



迦諾迦伐蹉尊者(かなきゃばっしゃ そんじゃ)




蘇頻陀尊者(すびんだ そんじゃ)




跋陀羅尊者(ばだら そんじゃ)




伐闍羅弗多羅尊者(ばじゃらふたら そんじゃ)




半託迦尊者(はんたか そんじゃ)





那伽犀那尊者(ながさいな)





伐那婆斯尊者(ばなばし そんじゃ)





注荼半託迦尊者(ちゅだはんたか そんじゃ)




賓頭盧尊者(びんずる そんじゃ )




仏師・范道生

范道生は、江戸時代初期に中国(明)から長崎へ渡来した仏師。黄檗宗の開祖・隠元禅師に招かれ、萬福寺の主要な仏像の多くを手掛けた。 萬福寺の十八羅漢像をわずか26歳の時に、約1年という短期間で造り上げたと伝えられている。 インド人風の彫りの深い顔立ちや、感情豊かな表情、ダイナミックなポーズなど、このスタイルは「黄檗様」と呼ばれ、その後の日本の仏像制作にも影響を及ぼしたとされる。













11.法堂

1662年に建立され、開山・隠元禅師が実際に説法を行った歴史的な空間であり、 寺院の中で最も格の高い建物である。

奥の扁額には「獅子吼」と書かれている。釈迦の説法を、獣中の王である獅子が一度咆哮すれば、百獣すべてが従うことにたとえ、獅子吼といわれていることによる。


扁額「獅子吼」



12.斎堂

斎堂は、僧侶が食事をするための重要な修行の場であり、一般的には「食堂(じきどう)」に相当する。

斎堂の正面に掲げられている扁額 「禅悦堂(ぜんえつどう)」の「禅悦」とは、禅の修行によって得られる法悦を指し、食事も修行の一環であることを示す。隠元禅師による揮毫とされる。



斎堂の軒下には、食事の時間を告げる「開梛(かいぱん)」という魚の形をした木製の鳴り物があり、萬福寺の象徴的な見どころの1つとなっている。

(1) 開梛(かいぱん)

1660年代に作られたもので、長さが約2メートルもある。主に修行僧に食事の時間を知らせるために使われる。お腹の部分を木槌で叩き、木の中が空洞になっているため、コンコンと高く澄んだ音が境内に響き渡りる。

魚は目を開けたまま眠ると考えられていたことから、「不眠不休で修行に励むように」という戒めの意味が込められている。また、口にくわえている「丸い玉」は、人間の煩悩を表していて、魚の背中を叩くことで、口からその煩悩を吐き出させるという意味があるそうだ。

この開梛を小ぶりにし、室内で読経のリズムを刻むため、あるいは煩悩を吐き出させるために丸い形に変化させたものがよく目にする「木魚」である。










(2)雲版

その名の通り、空に浮かぶ「雲」の形を模している。 主に食事の準備が整ったことを知らせるために使われるほか、起床や坐禅の開始・終了(開静)の合図としても用いられる。

雲は雨を呼ぶことから、「火除け(鎮火・防火)」の願いが込められている。そのため、火を使う場所である「庫裡(くり/台所)」の近くに吊り下げられる。




13.売茶堂

売茶翁(ばいさおう /1675年〜1763年)は、江戸時代に京都で茶を売り歩き、「煎茶(せんちゃ)の中興の祖」とされる人物で、萬福寺で修業した黄檗宗の僧侶であった。彼と伊藤若冲は深い交流があった。

「若冲」という号は、売茶翁が愛用していた注子に「大盈若冲(たいえいわくちゅう)」という言葉が刻まれており、若冲はこの言葉から自身の号を取ったとされる。この言葉は、『老子』の一節で、「本当に満ちているものは、空っぽのように見える(が、その用は尽きない)」という意味という。

また、若冲の別号「斗米翁(とべいおう)」は、売茶翁が茶を売って一日の糧を得ていた清貧な暮らしに倣い、自らも「絵一幅を米一斗と替えた」ことに由来すると言われている。若冲は、売茶翁の肖像画を描いている。

売茶堂は、煎茶の中興の祖である売茶翁を記念して、昭和3年(1928年)に創建された。現在のお堂は昭和46年に再建された。堂内には売茶翁像」が安置されている。 三門をくぐって右手側(南側)の奥、鐘楼や聯燈堂の近くに位置しているが、今回は内部も公開されていなこともあり訪れなかった。

なお、若冲の墓所であり、石仏・五百羅漢でも知られる石峰寺にも行かなかった。石峰寺も黄檗宗の寺である。

「売茶翁像」若冲筆

「売茶翁像」若冲筆
売茶翁が煎茶具を天秤棒で担いで歩く「風狂」な姿

「石峰寺図」若冲筆


萬福寺は、日本の寺とは違い中国風の建築や仏像があり、見どころが多いお寺です。今回は、訪れませんでしたが、塔頭の宝蔵院、売茶堂なども含め見るところはたくさんあります。また、萬福寺では2月と8月を除く毎月第2日曜日に「ほていまつり」を開催していて、ちょうど行った日にあたり、出店などが並んでいました。







京の寺社2~萬福寺

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