杉本博司の「絶滅写真」展を観てきました。杉本の写真展は、これまでも 「趣味と芸術」@千葉市美術館、 「本歌取り 東下り」@渋谷区立松濤美術館などを観てきましたが、今回は杉本の大回顧展ともいえる展覧会でした。
本展は、3つの章、全13シリーズにより、時系列に沿いつつ杉本博司の作品世界の展開をたどる企画となっており、その作品と杉本自身の言葉を引いて見ていくことにします。
(参照):
杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作(2015年10月28日[水]-12月23日)
東京異空間146:芸術の秋にⅠ~「杉本博司 本歌取り 東下り」@渋谷区立松濤美術館(2023/10/10)
東京異空間146、149,157に掲載。
1章「時間・光・記憶」(1970〜80年代の原点)
〈ジオラマ〉
ニューヨークの「アメリカ自然史博物館」などの剥製やジオラマ(模型)を、大型カメラで巧みにライティングして撮影した、杉本のデビュー作にして出世作。
「どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ」
ガラパゴス 1980
ゴリラ 1994
〈劇場〉
1920〜30年代に建てられたアメリカのクラシックな映画館やドライブインシアターで、映画の始まりから終わりまでカメラのシャッターを開けっ放し(長時間露光)にして撮影したシリーズ。
「映画一本を写真で撮ったとせよ」「光輝くスクリンーンが与えられるであろう」
<華厳滝>
華厳の滝を長時間露光などで捉え、水という流動的な物質が持つ時間を固定化した作品。
「私は朝霧の中にいた。そしてその水が雫の一滴となって落ちていくのを見ながら、その一滴の生末を思った。その時突然、海が私の脳裏に浮かんだのだ」
華厳滝 1977
〈海景〉
世界各地の海と空を、画面を正確に二等分する水平線だけで切り取ったシリーズ。
「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」
相模湾、江之浦 2025
2 章「観念の形」(1990年代末〜、知性と抽象へのアプローチ)
<建築>
20世紀の近代名建築(モダニズム建築)を、あえて意図的にピントを無限に外した状態(アウトフォーカス)で撮影したシリーズ 。
「私は大型カメラを使い、焦点を暈(ボカ)すことによって、建築が建つ前の建築課の脳内ビジョンが再現できるのではと考えた」
サンテリア・モニュメント 1998
〈スタイアライズド・スカルプチャー〉
20世紀の有名デザイナー(クリスチャン・ディオールやイヴ・サンローランなど)の歴史的な衣装・モードを、マネキンに着せて撮影したシリーズ。服という人間特有の「第二の皮膚」を彫刻的な美として捉える。
「人類の衣服の歴史は人類の歴史そのものと同じほど古い」「人体とそれを包む人工皮膚を近代彫刻として見る」
川久保玲
〈観念の形〉
19世紀後半から20世紀にかけて作られた数学的な数式モデル(幾何学的な関数の模型など)を精密に撮影したシリーズ 。
「数式とは人間の脳内現象を表したものである。想像上の関数空間上の展の一の動きを示すものとも言えるだろうか」
| 数理模型014 |
| クエン曲面 2004 |
3章「絶滅写真」(写真の始原と終焉、そして越境)
〈前写真、時間記録装置〉
写真という技術が生まれる前、人類がどのように「時間」や「光」の痕跡を物質に残そうとしていたかという考古学的な探求に基づいたシリーズ 。
「なぜ私は化石を集めるようになったのだろう。それは化石と写真が同じ原理によって機能しているからだ。どちらも時間の痕跡を写すのだ」
棘のある三葉虫
〈フォトジェニック・ドローイング〉
写真の発明者の一人であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットのオリジナルネガを、杉本自身が最新の技術と自らの暗室作業で大判プリントとして再生させたシリーズ。
「写真の誕生の瞬間に、すでにその終わり(絶滅)の遺伝子が含まれていたのではないか」
屋根の輪郭線 レイコック・アビー
〈肖像〉
マダム・タッソー蝋人形館などの歴史上の人物の蝋人形を、16世紀の巨匠の肖像画のようなライティングで撮影したシリーズ。
「剥製の白熊が生きているように撮れるのなら、蝋人形も生きているように撮れるだろう」
昭和天皇 1999
〈放電場〉
カメラを使わず、暗室の中でフィルムに直接数十万ボルトの静電気を放電させ、その火花の痕跡を記録した作品 。
「カメラもレンズも使わない。光そのものである電気をフィルムに直接浴びせる。これは写真の原理である『光による変化』を最も過激に突き詰めた、光の化石である」
<Opticks>
ニュートンの光学研究にインスパイアされ、プリズムによって分光された純粋な「色彩の光」そのものをポラロイドフィルムを使い、デジタルプロセスにより画面のノイズを除去したうえで大判のカラー印刷紙にプリントした、杉本作品としては極めて珍しいカラーシリーズ。
「私はこれまでモノクロームの世界に生きてきたが、世界を形作る光そのものの色を捉えたくなった。これは絵の具の色ではなく、光そのものの色、豊饒な光のグラデーションだ」
〈陰翳礼讃〉
谷崎潤一郎の同名随筆に想を得て、暗闇の中に灯された一本の蝋燭が燃え尽きるまでの時間を、一本のフィルムに長時間露光で収めた作品。
「デジタルな光はあまりにも明るく、世界から陰翳を奪ってしまった。闇があるからこそ光が引き立つという、かつて日本人が持っていた微細な光への感覚を、蝋燭の炎を通じて呼び戻したかった」
<CAMERA MAN> 2026
メガネのJINS、および光学機器メーカーのシグマとの共同開発によって具現化された、シャッター機構が組み込まれた特殊なメガネ型の彫刻作品。
シャッター速度1秒のメガネ型カメラのシャッターを自身の手で切ることにより、3分間の闇の後、露光される1秒の外景が網膜(記憶というフィルム)上に露光・保存される仕組み。
杉本博司は、1948年生まれの自身が晩年を迎えるにあたり、肉体的な「老い」や「視力の減退(衰え)」をリアルに実感する中でこの作品を構想したという。
「カメラは人間の眼の構造を映した装置である。レンズは水晶体、絞りは瞳、フィルムが網膜である。しかし困ったことにシャッターは人間の目には据え付けられていない。そこで人の目にシャッターを組み込み人間写真機を構想した」
「メタファーとして1秒を人の一生に例えてみた。人の平均寿命を85年とすると、この3分は1万5千年程の時の流れになる。人類が意識を持ち文明化へと進んだ時間とほぼ一致する。文明の時間の長さを、人の一生に例えて実感してもらう為の装置として考案した」
展示の最後に、特別出品として、つぎの二つの作品が組み合わされて置かれている。
<伝寂蓮法師筆 地獄草紙詞書断簡> 平安時代
平安時代末期に制作された国宝『地獄草紙』の巻物から切り分けられたとされる「詞書(文章・説明文)」の断簡 に、布を使わず掛軸の表装までを一枚の紙に直接描いて仕立てる「描き表装」を施して一幅の掛け軸に仕上げた。
<光学硝子五輪塔335>ノルウェー海、ベステローデン諸島
カメラのレンズと同じ高純度の光学ガラスの作り出された五輪塔の中に『海景』シリーズの黒白フィルム が封じ込められている。絶滅を迎える銀塩写真のフィルムが「舎利」のように眠る、写真への追善供養の墓碑として地獄草紙(地獄の炎)の傍らに置かれている。
13のシリーズに通底しているのは、ただ単に目の前のものを記録するのではなく、「写真という装置を使って、目に見えない時間、記憶、そして人間の意識の起源をいかに可視化するか」という一貫した深い哲学的探求が込められている。
この企画展示以外にも、 サテライト展示として、所蔵されている杉本作品13点と、その制作の過程を記録したノート が展示されていました。また、銀座のギャラリー小柳にも、<海景>シリーズの作品が展示されていました。
これらについて、つづいて見ていきます。
なお、これらの展示は9月13日に終了しています