2026年6月20日土曜日

金沢を歩く3~尾崎神社

 

尾山神社・拝殿

先の尾山神社が藩祖・前田利家を祀るのに対し、江戸時代、前田家は徳川家康を祀る神社を建立しました。それが尾山神社から徒歩10分ほどの位置に鎮座する尾崎神社です。

1.創建

「尾崎神社」は、1643(寛永20)年に、加賀藩3代藩主・前田光高によって創建された神社。

前田光高は、前田利家の嫡孫(嫡子の嫡子)で、徳川家康の外曾孫(孫の子供)にあたる人物で光高の母(3代藩主・利常の正室)が将軍・徳川秀忠の娘(珠姫)であった。その縁もあり、徳川家を神として金沢城内の北の丸に祀ることで、「幕府への絶対的な忠誠と服従」を表すという政治的な狙いがあったとされる。こで、日光東照宮から徳川家康(東照大権現)の神霊を勧請し「東照三所大権現社」という名で、徳川家康と父・前田利常、天照大神を祀る東照宮として建立された加賀藩内では「御宮(おみや)」と呼ばれていた

明治維新後、1874(明治7年に、神仏分離令によって尾崎神社と改称した。その後、1878(明治11年に、金沢城は1873(明治6)年、軍用地として利用されることになり、城内から現在地に移築された。なお、「尾崎」という神社の名前の由来は「尾っぽの先」のことで、小立野台地の先っぽに築城された金沢城内の最も先端に建てられた位置が、動物の尾っぽの先にあるように見えたことから名付けられたという。

2.建物

尾崎神社は、徳川家康を神として祀る東照宮の総本社「日光東照宮」を模した神社で、朱塗りの社殿はまさに東照宮らしい建造物であるまた、前田家の神社でありながら、境内には徳川家の「三つ葉葵」の家紋が彫刻や金具のあちこちに見られる。 江戸時代には「金沢城の江戸」「北陸の日光」と称えられ、一般庶民の立ち入りが禁じられた神聖な場所であった。

金沢城の多くの建物が火災で失われた中、城外に移築されていたことから、創建当時の姿をそのまま残す、金沢城跡周辺で最も古い貴重な遺構で本殿、拝殿、幣殿中門、透塀のすべてが国の重要文化財に指定されている。

本殿

東照大権現など神様が鎮まる最も神聖な建物。朱漆塗りと極彩色の彫刻、そして飾り金具が美しく、東照宮建築の最初期の特徴を伝えている。

拝殿

参拝者が祈りを捧げるための建物。随所に徳川家の葵紋が見られる。彩色は朱塗りを基調に縁・建具・壁は黒に塗られている。

拝殿前の狛犬


葵の御紋



龍の彫刻


幣殿

本殿と拝殿の間を繋ぎ、神前に供え物や幣帛を奉るための建物で、拝殿と一体的になっている。

中門

本殿のすぐ手前、幣殿と本殿の間に建つ格式高い門。

透塀

本殿を取り囲むように設置されている、透かし彫りが施された塀。 中門の両脇から左右に伸び、本殿の神域を外部と区切りつつも、完全に視界を遮らない「透かし」の構造となっている。

中門と透塀

神門

拝殿前にある門


神門

透塀







3.摂社・豊受稲荷社

天照大神を祭神とすことから、伊勢神宮外宮と同じ豊受大神祀る。1677年頃の金沢東照宮の建立時の遺構である可能性が高い貴重な社殿とされる。





4. 辰巳用水分流再興碑

尾崎神社の境内には、1889年に建てられた「辰巳用水分流再興碑」が置かれている。これは、金沢城の防火・生活用水として引かれた辰巳用水を、近江町方面へ分水した歴史的な水路と、それを記念する碑である。

辰巳用水は、1631年の金沢城大火を機に、城の防火用水と防御強化を目的として計画され、 1632年に加賀藩3代藩主・前田利常の命により建設された全長約1216.5kmの歴史的な用水路である。金沢城の防火・防御や兼六園の水源として、また日本の高度な土木技術の結晶として知られている。



徳川家康を祀る東照宮は、江戸時代のピーク時には全国に約500700社あったということですが、明治時代の神仏分離令などで多くが廃絶して、現在は、約130社が現存しているとされています。そのうちのひとつが前田家として徳川家に忠誠を尽くす姿勢を示すために、家康公の御霊を金沢城内に祀った、この尾崎神社ということです。

空を見上げると、鷹でしょうか、トビでしょうか?境内を飛んでいました。





金沢を歩く2~尾山神社

 


金沢は百万石まつり(65日〜7日) の最終日でした。訪れた尾山神社の参道には出店が並んで賑わっていました。尾山神社は、加賀藩祖・前田利家公と正室・お松の方(芳春院)を祀る金沢の象徴的な神社です。

1.創建

1599(慶長4)年、前田利家没後に前田利長は、前田利家を神として祀ることを計画したが、徳川幕府の目を憚り。 越中国にある前田家の守護神を移すという名目で「卯辰八幡宮」を建立した。これが尾山神社のはじまり。

明治維新後、旧加賀藩士は卯辰八幡宮の存続に尽力し、前田利家の功績を後世に残していくために、1873(明治6)年、現在地に新しい社殿を造営して、「尾山神社」と改称した。ちなみに、この地は、もともと幕末の加賀藩主や側室の住まいとしていた「金谷御殿」の跡地であった。

1998(平成10)年に創建以来、境内の摂社である「金谷神社」に祀られていた前田利家の妻・まつを、本殿の利家と共に合祀された。この合祀は、加賀藩100万石を支えた慈母であるまつの功労を称え、おしどり夫婦であった2人を共に祀るために発案されたもので、全国的に見ても夫婦の合祀は珍しい事例とされる

2.神門

「神門」は、1875(明治8)年に建てられた。 和漢洋の三様式を取り入れた異色の建造物として、最上階のギヤマンはかつて灯台の役割も果たしていた。 門の第一層には「戸室石」(通称「加賀花崗岩」)が用いられ、第三層は四面五彩のギヤマン(当時のガラス)張りで、いわゆるステンドグラスとなっている。さらに、第三層に設置された避雷針は、日本最古の避雷針としても知られている。

百万石まつり参道の出店

祭の終わった参道、9日にも訪れた。



























3.拝殿

入母屋造(いりもやづくり)屋根瓦葺きの重厚な建物。内部には 旧金沢城内の「金谷御殿」から移築された欄間などの装飾がある。






4.本殿

本殿を囲む玉垣に珍しいレンガ造りが採用され、そこに「剣梅鉢の御紋」が施されている。





5.金谷神社

尾山神社の境内社である「金谷神社」は、加賀藩2代藩主の前田利長から17代までの歴代藩主・当主とその正室を祀る神社。金谷神社の社殿には、かつて金谷御殿で使われていた部材(天井や欄間など)が現在も一部流用されている。







6.神苑(旧金谷御殿庭園)

池泉回遊式の庭園があり、江戸時代後期から明治初期にかけて造営された。この庭園は、もともと加賀藩主・前田家の別邸であった「金谷御殿」の庭園を整備したもの 。戸室石で作られたアーチ橋「図月橋(ずげつきょう)」や、築山の石組に沿って流れる滝(響音瀑)などが配置されている。池に浮かぶ島(笙島、琵琶島)や橋(図月橋・琴橋・八ツ橋)には、雅楽にちなんだ名前が付けられており「楽器の庭」とも呼ばれている。








7.彫刻

(1)前田利家公像

馬にまたがり、「槍の又左」と恐れられた通り、天を突くように長い槍を掲げた勇猛な姿で、背中に背負った大きな袋状の「母衣(ほろ)を背中にする。 風船のように丸く大きな袋の「母衣」は、流れ矢や投石から身を守るための武具で、内部には鯨の骨や竹が組まれており、赤母衣衆(あかほろしゅう)として活躍した利家を象徴するアイテムである。

2000年に設置され、制作者は、金沢市出身の彫刻家である米林勝二、山瀬晋吾、湊真佐夫の3名による。なお、お松の方之像も同じである。







(2)お松の方之像

前田利家公像の横にがあり、夫婦で加賀藩を見守るように配置されている。




(3)金鯰尾兜

境内には金色に輝く前田利家の兜像も展示。これは1999年に寄進された、「利家公金鯰尾兜像」の複製品。 なお、本物の兜は、現在も前田家が所蔵している。





(4)狛犬

1933年に建立された青銅製の狛犬で、ライオンに近いような、またシーサーにも似た異相とも言われる独特の顔つきである。






(5)さし石

江戸時代以前から伝わるもので、かつて若衆たちが力や技を競うために持ち上げた「力石」(「番持ち石」とも)で、重い石を両腕で頭上へ高く差し上げる動作を「さす」ということから、力比べに使うこの石が「さし石」と呼ばれる。前田家から拝領されたもので、触れると健康になると信仰されているという。





(6)現代彫刻

境内には、次のようなパブリックアートの彫刻が置かれている。

・「夏の夕刻」は、縁起の良さそうな金色のカエルたちが集うハスのオブジェ。





・「山笑う」は、ゼンマイに持ち上げられた枕木のベンチ。



近くでタイサンボクが咲いていた


・「母子順風之像」 は、 頭に鳥を乗せ、背中に羽が生えた人物が子供を背負っている姿。 彫刻家・平野富山によって制作され、1981年(昭和56年)に建立。




8.東神門

もうひとつの神門「東神門」は、尾山神社の裏手にある。旧金沢城の二の丸御殿の唐門で、1963年に尾山神社に移築された。桃山風の様式で、釘を1本も使用していない総ケヤキ造りの唐門は、表の神門とは異なった趣である。




2002年のNHK大河ドラマ『利家とまつ~加賀百万石物語』は、激動の戦国時代を生き抜き、加賀百万石の礎を築いた藩祖・前田利家(唐沢寿明)と賢夫人として知られるまつ(松嶋奈々子)が繰り広げる夫婦の愛のサクセスストーリーで人気になりました。 聡明で芯が強く励まし上手のまつの「私にお任せくださりませ」というセリフが話題になりました。

やはり、夫婦円満の秘訣は、妻の「私にお任せください」によるのでしょうか。

金沢を歩く3~尾崎神社

  尾山神社・拝殿 先の尾山神社が藩祖・前田利家を祀るのに対し、江戸時代、前田家は徳川家康を祀る神社を建立しました。それが 尾山神社から徒歩 10 分ほどの位置に鎮座する 尾崎神社です。 1.創建 「尾崎神社」は、 1643 (寛永 20 )年に、加賀藩 3 代藩主・前田光...

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