2026年6月23日火曜日

金沢を歩く4~武家屋敷跡 野村家

 

1584(天正12)年の末森城の戦いで、野村伝兵衛が一番槍を果たした時に着ていた鎧

金沢の「武家屋敷跡 野村家」は、加賀藩祖・前田利家に仕えた初代・野村伝兵衛信貞から11代にわたり続いた名家です。 ここに関して、つい最近(6月19日)、次のようなニュースがありました。

「国の文化審議会は、金沢市の「旧浅田氏庭園(武家屋敷跡野村家)」を国登録記念物(名勝地関係)にするよう文科相に答申した。市内最古の大野庄用水を取り込み、建物と調和した立体的な庭園で、城下町時代からの歴史の重層性を示し、金沢の庭園文化を伝える貴重な好例として評価された。今秋にも登録される見通し。」(北國新聞6/19付)

今回訪ねて素晴らしい庭園と建物に感動したところですので、このニュースを聞いてなぜかうれしくなりました。

1.屋敷の変遷

現在見学できる「武家屋敷跡 野村家」の建物は、加賀藩時代の初代が建てたものではなく、初代の時代から伝わる格式高い庭園の一部だけが、敷地に残された。屋敷の変遷をたどると。

(1)藩政時代: 初代・野村伝兵衛信貞は、尾張出身の武士で、1583(天正11年に藩祖・前田利家が金沢城に入城する際に直臣として従い、この地を拝領したと伝えられている。 以降、 野村家は、藩主の馬の周りを警護する「馬廻衆組頭」や、各種の「奉行職」といった加賀藩の重職を、明治維新を迎えるまで11代にわたって歴任した上流藩士(千二百石)であった。

(2)明治時代:明治維新により武家制度が解体したことに伴い屋敷は取り壊され、庭園の一部のみが残る状態となり、所有者が転々とした。

(3)昭和初期:1941(昭和16)年、鉄工会社を経営していた実業家の浅田勝二がこの土地を買い取り、その際、江戸時代後期の北前船の豪商である久保彦兵衛の旧宅(加賀市)から大聖寺藩の藩主を迎えるために建てた御殿部分を移築し、建物と調和する庭園を整備した。

なお、先のニュースに「旧浅田氏庭園(武家屋敷跡野村家)」とあるのは、この時点で浅田氏の所有であったことによる。現在は、株式会社長町(金沢市)が 所有、管理している。


初代・野村伝兵衛所用の具足



蒔絵松図硯箱 西村松逸 作

九谷正三赤絵大鉢

<花鳥図>佐々木泉景

山口梅園「牡丹の襖絵」



阿弥陀如来像


玄奘法師像・拓本

2.建築

格式高い建築と豪華な内装が特徴である。

(1)段の間・謁見の間:総檜づくりの格天井に、紫檀や黒檀といった最高級の輸入材を用いた精緻な木工細工が施されている。

(2)一流の意匠:加賀藩のお抱え絵師である狩野派の佐々木泉景が描いた「山水画」や、大聖寺藩士の山口梅園による「牡丹の襖絵」が室内を彩っている。



















(3) 茶室「不莫庵」: 一般的に茶室は1階に造られるが、不莫庵はあえて2階(築山の上)に配されており 2階の大きな窓からは、 庭園が「見下ろす視点」で立体的に一望できる。 「不莫庵(ふばくあん)」という名は、「これに及ぶものはない」「これ以上のものはない」という強い自負や称賛の意味が込められているという。

茶室の天井:は、桐板の上に、土中に長い年月埋まっていた超希少な「神代杉」の一枚板を置き、四国特産の数少ない「みどり松」で押さえた、他に例を見ない珍しい造りとなっている。

(4)控えの間の天井: イネ科の植物である「真菰(まこも)」の茎張りという、非常に手の込んだ職人技が見られる。

不莫庵








神代杉の一枚板をおき四国特産の数少ない「みどり松」でおさえた天井


(5)聲桶(こうけい):鶯の鳥駕籠を桐箱に入れて鳴き声を響鳴させ風情を楽しむ仕掛け。




3.庭園

庭園は、小堀遠州好みの「真の庭」として高く評価され、加賀文化の深さ、歴史の重さを感じさせる。 高低差を生かした上段・下段の池があり、縁側やぬれ縁のすぐ目の前を錦鯉が泳ぐ「庭屋一如(庭と建物が調和)」の美を体現している。その特徴のいくつかをあげる。

(1)大野庄用水の引き込み:金沢最古の用水である「大野庄用水」の水を屋敷内に引き込み、曲水や滝の音を楽しめる工夫がなされている。

(2)豊かな景色:樹齢400年を超える椎の巨木や名石、灯籠が絶妙に配置され、街中にありながら深山幽谷の趣を醸し出している。

初代・野村伝兵衛が植えたとされる山桃(ヤマモモ)が樹齢は400年を超えて残っている。藩主・前田利家と同じ尾張出身であった野村伝兵衛は、郷愁から尾張の樹木を庭園に取り入れようと色々と試みたが、気候の違いから根付くものは多くなかった。ヤマモモは、うまく根付いた尾張ゆかりの樹木のひとつ。ちなみにこの山桃の木は、金沢市の保存樹となっている。

(3)世界的にも高い評価:野村家の庭園は、『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で、2つ星を獲得している。また、 2003年の米国庭園専門誌の日本庭園ランキングでも3位に選ばれている。この時1位は足立美術館、2位が桂離宮であった。以来、毎年発表される上位50位の常連となっている。一方、同じ金沢にある兼六園は日本三大名園としてよく知られているが、ランキングには入っていない。その理由としては、知名度が高すぎるゆえに観光客が非常に多く、同誌が重視する「静かに庭を鑑賞する空間」が保ちにくい点が不利に働いているとされている。ちなみに、野村家の庭園の広さは約300㎡であり、兼六園100,740㎡である。






大雪見灯籠

大雪見灯籠








落差約2mの滝







アメンボ

アメンボ

錦鯉









椎の巨木、樹齢400年以上

2階から見た庭園の眺め





4.長町武家屋敷跡

野村家がある「長町武家屋敷跡」は、かつて加賀藩の中流・上流階級の武士たちが暮らしていたエリアである。土塀や石畳の小路が当時の姿のまま色濃く残り、美しい街並みが広がっている。

(1)大野庄用水:金沢で最も古い用水の一つで、街並みに沿ってサラサラと流れている。かつては物資の運搬や防火、武家屋敷の庭園に水を引き込むために使われ、今も街の瑞々しい風情を支えている。










(2)旧高田家長屋門:加賀藩士・高田家の跡地で、立派な長屋門が復元されている。敷地内には当時の奉公人が暮らした部屋や、池泉回遊式の見事な庭園がある。






夏椿(シャラの木)

夏椿の花

(3)武家屋敷跡の街並み



土塀の高さは居住者の石高に応じて造られた


塀越しに屋敷の庭木の枝ぶりが垣間見える

(4)「七木の制」:藩政時代に「七木の制」で守られていた松や杉などの巨木が残っている。「七木の制」とは、 藩政時代、城郭や武家屋敷の造営には大量の良質な木材が必要であったことから、加賀藩はこれらの資源を確保し、森林を保護するために重要樹種を指定し、勝手な伐採を厳しく制限したことをいう。木の種類は時代の要請や地域によって変遷したが、「七木」と呼ばれ、 幕末の1867(慶応3)年に指定されたのは松、杉、樫(かし)、槻(ケヤキ)、檜、栂、唐竹 の7種。

長町武家屋敷跡で見られる用水(大野庄用水)沿いの土塀と、その背景にそびえる立派な樹木は、こうした歴史的な背景によって今日まで維持されている。

樅(モミ)の巨木

野村家を訪れたときに、多くの外国人観光客を見かけました。なんでも、昨年度の来館者30万人弱のうち7割が欧米中心の外国人ということです。日本らしさの残る武家屋敷跡、庭園などが好まれるのでしょう。それにしても、よくこうした場所を見つけて訪れていますね。



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