2022年6月29日水曜日

思い出のアルバム5~厳かなる空間


サンタクルス教会(コインブラ)

先に目黒の聖アンセルモ教会を訪れ、「聖なる空間」に浸りましたが、海外(ポルトガル)の教会に「厳かなる空間」を撮った写真を編集してみました。

このポルトガル旅行は、2018年10月16~20日にかけて、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラから大西洋岸にほぼ沿って、リスボンまで南下していきました。それぞれの教会は、荘厳な空間をつくりだしていて、印象深いものでした。


1.サンティアゴ・デ・コンポステーラ~ヴィアナ・ド・カステロ(20181016日)

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、ヨーロッパ各地から巡礼に訪れる聖地である。目的地まであと5kmの「歓喜の丘」に立つと、遠くに、大聖堂が見えくる。何百キロも歩いてきた巡礼者は、まさに歓喜の声を上げたことだろう。アラメダ公園からの大聖堂の遠景も素晴らしいものがあり、その荘厳さに歓喜の声が出る。

歓喜の丘

アラメダ公園からの大聖堂(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)

主祭壇・聖ヤコブ像(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)

大聖堂内(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)


サンティアゴ・デ・コンポステーラから南下し、国境を越えるとリマ川の河口にヴィアナ・ド・カステロ の町がある。サンタ・ルジア山の頂に大きな教会が立っており、そこから大西洋の海とリマ川が一望できる。

サンタルジア教会(ヴィアナ・ド・カステロ)

サンタルジア教会(ヴィアナ・ド・カステロ)


街には、ミゼリコルディア教会があり、ここの堂内を飾るアズレージョが美しい。(自由行動の時間に私たちはこの教会を訪れた)

ミゼリコルディア教会(ヴィアナ・ド・カステロ)


2.ギマランイス~ポルト(1017日)

ギマランイスの街に入ると、ポルトガル王国ここに生まれるという、「AQUI NASCEU PORTUGALという文字をバスの窓越しに見た(写真はバスの窓から撮ったもので、ブレている)。ギマランイス城とともに、旧市街のオリヴェイラ広場の横にあるノッサ・セニョーラ・デ・オリベイラ教会を訪れた。ポルトガル語で、オリーブの樹の聖母教会という意味だそうだ。

ポルトガル王国ここに生まれるギマランイス)

ノッサ・セニョーラ・デ・オリベイラ教会(ギマランイス)


ポルトは、首都リスボンに次ぐ都市で、ポートワインでよく知られている。街には世界一美しい本屋「レロ書店」があり、小雨の降る中、探して訪れた。この書店の近くにクレリゴス教会があり、その塔は、町のシンボル的な存在になっている。ただ、時間もなく塔には登らなかった。

アズレージョの駅舎で知られるサン・べント駅の近くにサント・アントニオ・ドス・コングレガドス教会があり、この教会の外壁もアズレージョで飾られている。

ポルトの歴史地区にあるのが、サンフランシスコ教会である。大きなゴシックの教会であるが、内部はバロックの金箔の装飾で飾られている。

サンフランシスコ教会(ポルト)

サント・アントニオ・ドス・コングレガドス教会(ポルト)

クレリゴス教会(ポルト)

世界一美しい本屋「レロ書店」(ポルト)

3.コインブラ~トマール~ファティマ(1018日)

コインブラは、13世紀に創られた古い大学があり、ここが観光スポットになっている。この大学に、世界一美しい図書館といわれるジョアニア図書館があるが、残念ながらツアーでは中に入らなかった。

コインブラ大学を下ったところにサンタクルス教会がある。冒頭に掲げた写真に見るように、祭壇の素晴らしさに驚く。

サンタクルス教会(コインブラ)


トマールのキリスト修道院は、テンプル騎士団の活動が全ヨーロッパで禁止され、トマールに移ったキリスト騎士団の本拠地となった。そういえば、騎士団の人形がガラスケースに収まっていたのを思い出す。

ここはマヌエル様式を代表する建築といわれる。マヌエル様式の特徴は船や海に関する鎖やロープ、あるいは海藻、サンゴ、貝などが過剰なまでの装飾がされ、まさに大航海時代のポルトガルの繁栄を映している。

外壁などの装飾の不思議さに見入ってしまうが、内部の天井などの豪華な装飾にも吸い込まれていく。

キリスト修道院(トマール)

キリスト修道院(トマール)

マヌエル様式(トマール)


ファティマという小さな村に、聖母マリアが出現するという秘跡が起きた。ローマ教皇庁によって公認され、この地は聖地となった。多くの信者が跪きながら、広場から礼拝堂に進む姿に信仰の篤さをみて感動した。ちょうど夕焼け空が広がり、奇跡が起きるような厳かなる空間となった。

ファティマ

跪きながら進む(ファティマ)


4.ナザレ~オビドス(1019日)

ナザレは、海岸の漁師地区と断崖の上にあるシティオ地区があり、ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会は、こちらの高台にある。ナザレという名の由来は、一人の僧職者が持ち込んだ聖母像がイエス・キリストが育ったパレスチナのナザレものだったことによるという。

広場には、聖母マリアの礼拝堂という小さな建物があるが、まだ時間前で鍵が閉まっていて、中には入れなかった。

ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会(ナザレ)

ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会(ナザレ)

聖母マリアの礼拝堂


オビドスは城壁に囲まれた小さな町であるが、白壁にはブーゲンビリアの花を飾るなど美しい町である。町の中心にサンタ・マリア教会があり中に入るとアズレージョの壁が圧倒されるほど美しい。

サンタ・マリア教会(オビドス)


5.リスボン(1020日)

ジェロモニス修道院は、首都リスボンにあり、大航海時代の富をつぎ込んで建築され、マヌエル様式の最高傑作と言われている。併設されているサンタ・マリア教会は、中に入ったとたん、その荘厳さに驚嘆の声が出る。また、入口近くにはヴァスコ・ダ・ガマ(1460-1524年)の石棺と並んで、ルイス・デ・カモンイス(1524-1580年)の石棺が安置されている。

カモンイスは、日本ではあまり知られているとは言えないと思うが、ポルトガルでは偉大な国民的詩人とされる。その作品は、ホメロース、ヴェルギリウス、ダンテなどの古典詩人と比較されるほどである。作品としては、大叙事詩『ウズ・ルジアダス』が知られていて、翻訳もある。

修道院を出て、すぐ近くにある菓子店パスティス・デ・ベレンは、元祖エッグタルトを売るお店。日本ではエッグタルトとして知られているが、元祖はパステル・デ・ナタという。そもそもジェロニモス修道院の修道士が作ったとされ、そのレシピ通りにこのお店では作っている。そのカスタードクリームの甘さは忘れられない。

ジェロモニス修道院(リスボン)

ジェロモニス修道院(リスボン)

ジェロモニス修道院(リスボン)

ジェロモニス修道院(リスボン)


ルイス・デ・カモンイスの石棺・ジェロモニス修道院(リスボン)


このように写真を編集してみると、またあらたにその時の想い出が甦ってきます。地名や教会の名などは、忘れてしまったものも多いですが、それぞれの感動は忘れていません。

ポルトガルを旅行したのは、2018年10月でしたが、その後、海外旅行には行くことができなくなってしまいました。いつまた、海外旅行にいけるのでしょうか。パスポートは新しく更新しているのですが。


2022年6月24日金曜日

東京異空間67:行人坂・大圓寺

 

大圓寺・石仏群

目黒駅前から行人坂を下っていくと、途中に勢至観音を祀る祠と多くの石仏のある大圓寺があります。

目黒駅近くの聖アンセルモ教会を訪れた後、こちらは、仏教、石仏を中心とする聖なる空間が広がっていました。

  1. 勢至観音菩薩

行人坂を下ってすぐに勢至観音を祀る祠がある。行人坂は、さらに下ると、目黒雅叙園があり、太鼓橋を通り目黒川を渡ると目黒不動尊へ至る。行人坂の由来は出羽三山の一つ、湯殿山の行者が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり、この坂を往来したことによるという。

祠に安置されている勢至菩薩は、両手を合唱し、片膝を立てて座っている。台座に銘文が刻まれていて、宝永元年(1704年)に*明王院の西運(さいうん)という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、その途中、人々の浄財を集め、これをもとに目黒川の両岸に石壁を造り、石製の太鼓橋を架けたという。

祠の横に、小さな石仏が置かれている。頭の上の双髷が大きく、手には蓮華や宝珠などを持つ姿だが、何という仏かは分からない。

*明王院は、今の雅叙園の敷地にあったが、明治に廃寺となり、仏像などは大圓寺に移されされた。

*「八百屋お七」物語に登場するお七の恋人吉三は、後に西運上人となったとされる。

祠・勢至観音菩薩

勢至観音菩薩

勢至観音菩薩

手に蓮華、宝珠を持つ

  1. 石仏群

    行人坂の途中に大圓寺がある。大圓寺は、明和9年(1772年)に発生した江戸の三大火事の一つ明和の大火(行人坂大火とも)の*火元となった寺であることから、幕府より再建が認められず、嘉永元年(1848年)に薩摩藩島津家の菩提寺として、ようやく再建された。

    *僧による放火であったという。

    この明和9年の大火は、この寺から出た火が、折からの強風により、たちまち白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす大火となった。江戸の庶民は明和9年を「めいわくの年」と読んでよくないことが起きるのではないかとうわさしていたが、それが的中してしまった。

    山門をくぐって左手にある石仏群は、この大火により犠牲となった人々の供養として造られたとされる。釈迦如来像を中心に、湾曲した壁面いっぱいに五百羅漢が並び、合わせて520躯ある石仏の姿は圧巻である。

大圓寺・山門

釈迦如来坐像

石仏群

石仏群

石仏群

石仏群
3.庚申塔
庚申塔境内の右手側に回ると、庚申塔が3基あり、このうち1基の三猿には陰部が彫られている。庚申信仰では、庚申の夜に男女の交わりをすると、大泥棒の子が生まれるといって、その行為を慎むように戒めている。この三猿も、そうした意味合いを込めて、あえて陰部を示しているのかもしれない。なお、すでに「東京異空間52:庚申塔~民間信仰を見る」でいくつかの庚申塔を見てきたが、こうした陰部がわかる三猿は初めて見る。
  1. 庚申塔


庚申塔

三猿(陰部)

縦に並ぶ三猿

  1. 地蔵菩薩

石仏群の前に「とろけ地蔵」といわれ、大火による高熱によって溶けてしまったような姿をした地蔵菩薩である。悩みをとろけさせ解消してくれるということで、信仰されているという。

ほかにも、身代わり地蔵や、今風のかわいい六地蔵が並んでいる。

とろけ地蔵

地蔵菩薩

六地蔵


  1. その他の石仏

さらに裏手に回ると、臼杵石仏の仏頭(レプリカ)が石の上に置かれている。本物の臼杵石仏はかっては仏頭が落ちていてユニークな形であったが、修復によって元の姿に戻されている(平成5年1993年)。土門拳の「古寺巡礼」でも落ちた仏頭の写真が撮られている。

境内には他にも、獅子の頭や、夫婦和合の道祖神、本堂の前には大黒天をはじめとする七福神の石仏があり、このお寺は石仏を見ているだけでも飽きない。

また、ご本尊は釈迦如来像であり、鎌倉初期に造られた清凉寺式の仏像で、やはり体内には綿などで作られた五臓六腑が収められているという。ただし、特定の日のみの開帳となっている。

臼杵石仏(レプリカ)

獅子

道祖神

七福神

大圓寺は、五百羅漢をはじめとする石仏群は、江戸の大火という歴史の一コマを語り、また江戸の人々の信仰の姿を垣間見せてくれるものでした。また、大黒天さまとして今も信仰を集めているようで、このときも参拝する人を見かけました。

私は5年ほど前にこのお寺を一度訪れたことがありますが、あらためて江戸の歴史的空間と、仏教の聖なる空間に浸ることができました。

東京異空間200:キリスト教交流史@東洋文庫

  東洋文庫ミュージアム・入口 東洋文庫ミュージアムで開催されていた「キリスト教交流史ー宣教師のみた日本、アジア」をテーマとした貴重な本を観てきました。そのなかで、特に印象に残った次の 3 冊を取り上げてみたいと思います。 『破提宇子(はだいうす)』恵俊(ハビアン)  1...

人気の投稿