2023年4月15日土曜日

東京異空間100:板橋の文化を歩く~板橋区立美術館・郷土資料館・植物園

 

板橋区立美術館「椿椿山」展

板橋区立美術館で開催された「椿椿山」展を観に行きました。前回は練馬区立美術館に「本と絵画」展を観に行きましたが、そもそも、練馬区は、板橋区から昭和22年に独立した、東京23区で一番新しい区なのです。

今回の板橋区立美術館は、「赤塚城址」に隣接してあります。城址の周囲には、ほかにも板橋区立溜池公園、板橋区立郷土資料館、板橋区立植物園があり、その周辺には松月院、乗蓮寺といった寺院もあります。板橋区の歴史、文化、自然を訪ねて歩いてみました。

1.板橋区立美術館

(1)椿椿山(つばきちんざん)(1801-1854

椿椿山については、沈南蘋派の流れをくむ花鳥画の画家として関心をもっていたが、何より「椿」が姓と号と両方に使われている、その名前でよく覚えていた。椿山が生きた時代、19世紀の前半、江戸の天保期には、天保の大飢饉(1833-1837年)があり、蛮社の獄(1839年)が起きた。その蛮社の獄によって捕らえられた渡辺崋山(1793-1841)を師としていたのが椿山である。椿山は、崋山に花鳥画のみならず肖像画を学び、崋山の13回忌にはその肖像画を完成させている。この肖像画は、崋山が自刃してから12年後、その構想から何枚もの画稿を含め完成させた椿山の代表作である。

展覧会では、絵画のみならず、日記や『過眼録』といった手控え帖、書簡など多くの資料が展示されていたが、特に関心を持ったのが、椿山は画家である前に武術をよくする武士であり、儒学の学問、書道、和歌、俳句、煎茶などの面でも優れた文人であったということである。画は微禄を補うために志したという。とにかく勤勉で真面目、実直、親孝行、忠義、といった儒学を基にする武士の人格が窺える。そうした椿山の人柄を表すものとして、友人からは「飯少なく、遊少なく、眠少なく、言葉少なく、磨墨少なく、着筆少なく、彩色少なく、酒を飲まず、女に近付かず、煙草を喫せず、故に十少と称す」と評されていたという。

したがって、画風にも、そうした実直さが表れている。天保期の江戸絵画には、狩野派はもちろん、酒井抱一の流れをくむ鈴木其一(1795-1858)の琳派風の花鳥画、また浮世絵では北斎(1760-1849)、広重(1797-1858)による花鳥版画、さらに国芳(1798-1864)の大胆な構図の人物画など、多彩な絵が展開されている。さらに、先に千葉市美術館で観た亜欧堂田善(1748-1822)の流れに安田雷洲(?-1858)などの洋風画家による銅版画があるが、こうした、いま見ても強いインパクトのある画に比べると、椿山は中国絵画を学んだ花鳥画、崋山に学んだリアルかつ心象的な肖像画など、いずれも、淡い色調で、おとなしい印象を受ける。しかし、椿山は、これらの江戸絵画の流れとは違う、異形な画風であり、椿山が「武士画家」であったことを示す展覧会であった。

参考:

『椿椿山展』図録 板橋区立美術館 2023


(2)板橋区立美術館

板橋区立美術館は、東京都の区立美術館としては初めて、昭和54年(1979)に開館した。いまでは区立美術館は、練馬、渋谷、世田谷、台東、品川、目黒、太田、豊島、隅田の各区にある。

板橋区立美術館が特徴的なのは、江戸絵画を中心にユニークな企画展「江戸文化シリーズ」を開催していたことである。こうした企画は、1979年より美術館学芸員となり、2005年には館長となった安村敏信氏によるところが大きいと思われる。

建物の設計は、村田政眞(1906-1987)による。村田政眞は、駒沢オリンピック公園の陸上競技場の設計を手掛けた。美術館は、2019年にニューアルされた。

板橋区立美術館

板橋区立美術館

板橋区立美術館・改装されたエントランス

板橋区立美術館・改装されたエントランス


板橋区立美術館・エントランス

2.板橋区立郷土資料館

板橋区立美術館には、何度か訪れていたが、隣接している郷土資料館に入るのは初めてであった。「赤塚城址」のふもとに、赤塚溜池公園と、郷土資料館が建てられている。

郷土資料館には、展示室とともに、江戸時代に建てられた古民家「旧田中家住宅」が敷地内にあり、多くの石造物も置かれている。

(1)展示室

展示室の入口前に、カノン砲が3基も置かれている。室内にもモスチール砲という小型の砲が置かれている。何故こうしたものがと、不思議に思った。これらの大砲は、高島秋帆が広めたオランダ式砲術により、戊辰戦争などで使われたもの。では、高島秋帆との関わりは?高島は、徳丸ケ原(今の高島平一帯)において砲術の訓練を行ったという。大正時代には、高島秋帆を顕彰する記念碑が徳丸ケ原(現・高島平駅付近)と訓練時の本陣となった松月院に建てられた。(この建立には渋沢栄一も賛同し寄付をしている。)昭和40年代にマンモス団地としてつくられた板橋区の高島平団地の名は、これに由来する。

郷土資料館としては、珍しくクラシック・カメラが並んでいて、カメラファンとしてはびっくりである。これらのカメラは、東京光学(現・トプコン)でつくられた製品である。この東京光学の本社が板橋にあることから、郷土資料館にこうしたカメラが展示され、その歴史を語っている。東京光学は、戦前は日本軍の光学兵器を製造していたが、戦後は民生品に転換し、カメラ、双眼鏡、顕微鏡などを製造した。そうしたことから板橋区は「光学のまち」を表明している。

赤塚溜池公園・釣りをしている人も

板橋区立郷土資料館

カノン砲・郷土資料館

モスチール砲・郷土資料館

トプコンのカメラ

トプコンのカメラ

トプコンのカメラ


(2)古民家

展示室を抜けると、茅葺屋根の古民家が建っている。これは江戸後期に建てられた「旧田中家住宅」を移築したもの。田舎の建物がそのまま残っているという懐かしさを感じる。

「旧田中家住宅」

「旧田中家住宅」・納屋

「旧田中家住宅」

「旧田中家住宅」

「旧田中家住宅」・井戸小屋

「旧田中家住宅」・神棚

(3)石造物

古民家の敷地の周りに、数多くの石造物が置かれている。板橋区内にあったものを移設したのだろうが、民間信仰をうかがえるものだ。とりわけ、庚申塔がいくつかあり、興味深くみることができた。(練馬区の庚申塔については、拙ブログで、これまで何度かとり上げた。)

「旧田中家住宅」に置かれた石造物

出世稲荷神社

稲荷神社

稲荷大明神の横は庚申塔

庚申塔・青面金剛像

狛犬

石灯籠・厳有院殿(4代将軍・家綱)

馬頭観音

庚申塔・日月輪がくり抜かれている

庚申塔・青面金剛像

庚申塔・青面金剛像

庚申塔・青面金剛像

庚申塔

庚申塔

庚申塔・青面金剛像

不動明王像

3.板橋区立植物園

植物園としては、それほど広くはないが、多くの野草、草花が植えられている。この時期は、藤、オオデマリ、ボタン、シャガなどの花が美しく、また、キンラン、イカリソウなど野草の花も見られた。静かに草花に親しむことができる場所である。


オオデマリ

ボタン

ツクバネウツギ

シャガ

アブイチゲ

モモイロバイカイカリソウ

キンラン


ホウチャクソウ


オニヤブソテツ

4.松月院

郷土資料館のある公園から松月院に至る途中に、不動の滝がある。江戸時代には、富士講が広まったが、講の人々は富士山=霊山に登拝する際に心身を浄める水垢離(みずごり)をここで行ったという。

松月院は、1492年に千葉自胤(よりたね)が寺領を寄進して菩提寺にしたという。千葉自胤は室町時代の武将であり、1456年に市川城から移って、ここに「赤塚城」を築城したと伝わる。松月院には千葉自胤やその一族の墓もあるという。千葉氏と、この板橋の寺院で巡り合うとは、古い歴史の関わりがあったことに驚く。武蔵千葉氏といわれる。

また、松月院は、先に述べたように、高島秋帆が徳丸ケ原で砲術訓練を行ったときに本陣にしたという。大正時代に建てられた顕彰碑が「火技中興洋兵開祖高島秋帆紀功碑」として置かれている。(残念ながら見逃してしまったので、写真を板橋区のH.Pより拝借する。)

不動の滝

不動の滝

松月院

松月院・山門

松月院・山号「萬吉山」

火技中興洋兵開祖高島秋帆紀功碑」(板橋区のH.Pより)

5.乗蓮寺

乗蓮寺は、室町時代に創建されたと伝わり、江戸時代には家康から朱印地を与えられ、八代将軍・吉宗の鷹狩りの際には休憩所として使われたという。

板橋区中宿にあったが、昭和48年(1973)に高速道路の建設等により、赤塚城の二の丸跡であったこの地に移転した。昭和52年に建立された「東京大仏」で知られている。この青銅製の大仏は、日本で4番目に大きい。(1番は東大寺の大仏。)

また境内には、旧藤堂家下屋敷に置かれていた石像や天保の大飢饉の供養塔などがある。なお、旧藤堂家下屋敷は、「染井屋敷」といわれたように、現在の駒込にあり、その植木職人・伊藤伊兵衛が、大島桜の新種としてつくった桜を「染井吉野」とこの地の名を冠して名付けたという。ソメイヨシノの発祥の地でもある。

乗蓮寺・山号「赤塚山」

乗蓮寺・本堂

本堂・鴟尾

本堂

本堂

東京大仏

本堂から東京大仏

文殊菩薩像(旧藤堂家下屋敷から)

奪衣婆(旧藤堂家下屋敷から)

役の小角(旧藤堂家下屋敷から)

がまんの鬼(旧藤堂家下屋敷から)

鉄拐仙人(旧藤堂家下屋敷から)

天保大飢饉の供養塔

多宝塔・福寿観音

鐘楼

七福神

福寿観音・北村西望 作

板橋区立美術館は、これまでも何度か訪れていますが、今回はその周辺にある郷土資料館、植物園、寺院などを廻り、板橋の歴史、文化、自然を歩くことができました。

それぞれのところで、新たな発見がありましたが、美術館での「椿椿山」については、絵画のみならず、その人格を含め、江戸絵画の新たな流れに触れることが出来ました。

椿椿山がまとまって観られるのは、関東では初めてだということです。愛知県にある田原市博物館が、田原藩の家老であった渡辺崋山に関する多くの作品や資料を所蔵、展示しています。今回の板橋での企画展にも特別協力として、多くの所蔵品を出品していました。

美術館の横に立っていたのぼりに「イタビ 行くたび くせになる」とありました。また、訪れてみたいと思います。

板橋区立美術館「イタビ 行くたび くせになる」



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