2022年11月7日月曜日

東京異空間70:増上寺Ⅰ~三解脱門

 

三解脱門

増上寺の三解脱門の建立400年記念として、楼上の仏像群が11年ぶりに特別公開されているとの情報をいただき、さっそく行ってきました。

1.増上寺・三解脱門

増上寺といえば、上野の寛永寺と並んで徳川家の菩提寺としてよく知られている。多くの堂宇が焼失したにもかかわらず、この三解脱門は建立400年を迎えるという。ということは1622年に建立されたことになる。江戸時代の建築がいまも残っていること自体が歴史を感じさせる。

三解脱というのは、涅槃に入るための空・無相・無作の三つ解脱門を寺院の門に擬したもので迷いから解放されようとする者が必ず通らなければならないという意味があるそうだ。鎌倉時代に禅宗とともに重層楼門の左右に山廊を付けたものが流行したこの門の特徴としては楼上に釈迦三尊、左右に羅漢像を安置することが多いことだ。京都では、南禅寺、大徳寺、東福寺、妙心寺など禅宗の寺院にみられる。京都の知恩院にも三門があり、こちらは浄土宗の総本山であり、増上寺も浄土宗である。

増上寺には、この三解脱門(三門)のまえに、大門があり、車道を跨ぐように建てられている。大門から三門までの距離が108間だというから約200メートル弱になる。ここを歩き108つの煩悩を捨て去るように、三解脱門に上がった。

大門




2.釈迦三尊像

二層にあがると、多くの仏像が並んだ荘厳な空間が広がる。正面に鎮座しているのが釈迦如来坐像、両脇に普賢菩薩と文殊菩薩が並び三尊像となっている。

このほかの三尊像には、阿弥陀三尊像として、中尊が阿弥陀如来、脇侍に観音菩薩と勢至菩薩並ぶ形式のもの、薬師三尊像は、中尊が薬師如来で、脇侍には日光菩薩と月光菩薩が並ぶ形式のものがよく見られる。

また、宗派によって中尊は、真言宗は大日如来、天台宗は釈迦如来、浄土宗は阿弥陀如来、浄土真宗も阿弥陀如来、禅宗は釈迦如来が多いようだ。

ここの釈迦三尊像は、左右に十六羅漢像と増上寺の歴代上人の像が並び、空間全体を荘厳かつ圧巻なものとしている。

なお、増上寺は浄土宗であり、大殿(本殿)には阿弥陀如来像が本尊として安置されている。

釈迦三尊像










3.十六羅漢像

羅漢とは、悟りを得た最高の聖者をいい、仏法を守り、広め衆生を導く、釈迦の弟子達として、十六羅漢像が釈迦三尊の左右に八体ずつ並んで安置されている。

これらの仏像の作者については、室町から江戸時代初期にかけて、南都(奈良)を中心に活躍した下御門(しもみかど)仏師・宗印一門の手によるものとされ、制作年代は1600年前後と推定されている。下御門仏師は、奈良仏師の運慶・快慶など慶派の傍流で、宗印は、豊臣秀吉が発願した方広寺の大仏の造営に参加しているという。以来、豊臣家に関連した寺社の仏像、神像に携わり、増上寺の釈迦三尊像、十六羅漢像の制作にもかかわったとされる。なお、ほかにも奈良・金峯山寺の蔵王権現立像が代表作といわれている。

また、十六羅漢像の衣は、極彩色で飾られているが、この彩色は、京仏師絵所・法眼徳悦によるものとされている。

釈迦三尊像、十六羅漢像は、長門(山口)の泰然寺に安置されていたものを、幕府の命により、彩色を施して寛永元(1624)年に増上寺へ移設されたという。

なお、増上寺には、幕末の絵師、狩野一信による「五百羅漢図」全100幅が所蔵されている。10年ほど前に江戸東京博物館で全100幅が展示されたが、増上寺の宝物館でも10幅単位に分けて展示されている。

十六羅漢像


















歴代上人像

4.三解脱門

三解脱門の楼上からながめる街の景色はビルに囲まれているが、江戸時代には目の前の江戸湾から房総半島まで眺めることができたという。

内側からみても、その柱の組み方(詰組)など美しいものがある。また外観は朱色に塗られた壮麗な門である。川瀬巴水の雪景色の中にこの朱の門を描いた新版画はよく知られている。

門の両脇には山廊と呼ばわる階段を収容する建物が造られている。ここに花頭窓が付けられている。花頭窓は、ロウソクの炎の形(火灯)をつくり、内部には仏像が安置されていることを示すものとされる。

これらは、禅宗様の建築の特徴とされている。三解脱門を手掛けたのは中井正清という天才的な大工であった。中井は、大和国(奈良)出身で、もともと法隆寺の宮大工であったが、畿内・近江6か国の大工等を支配した大工棟梁である。関ヶ原の戦いの後、徳川家康に作事方として仕え、二条城、江戸城、名古屋城などの城を手掛けるとともに、知恩院、日光東照宮、久能山東照宮、この増上寺など、徳川家関係の重要な建築を担当した。なお、大坂の陣の直前に家康の密命により大坂城の絵図を作成したという逸話もあるという。

この大工棟梁・中井正清など、すぐれた技術者、職人たちが江戸でも活躍し、三解脱門のような壮麗な高層建築を江戸に建て、そこに仏師・宗印、絵師・徳悦による仏像群を長門から移設することによって、徳川家の政治的権威だけでなく宗教的な権威も高め、泰平の世、江戸の文化を築いたと言えるのだろう。

内側から見た組込



二階から海側を望む



山廊・懸魚(げぎょ)

山廊への階段

山廊の内側からみる花頭窓







灯籠・魚河岸問屋からの寄進

山廊・花頭窓

山号・三縁山の扁額

大殿側から三解脱門を見る

400年を経た三解脱門は、このあと修復工事が行われるため、しばらくその姿を観ることはできなくなるという。いいタイミングで、朱の美しい三門、いろいろな表情の仏像群を観ることができ、また江戸の歴史、文化の異空間を味わうことができた。

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