2022年5月30日月曜日

東京異空間61:仏と霊獣~田無総持寺と田無神社

 

田無総持寺・金剛力士像

久しぶりに西武線・田無に出て、駅近くにある田無総持寺と田無神社に行ってきました。

田無総持寺は田無神社の別当寺を勤めていて、明治以前は神仏習合の一体的な寺社であったということです。寺にはいろいろな仏が安置されており、神社にはいろいろな龍をはじめとした霊獣が祀られていました。

そんな仏と霊獣の住む「東京異空間」を歩いてきました。

 

1.田無総持寺

総持寺は、江戸前期に西光寺として創建され、尉殿大権現(現・田無神社)の別当寺を勤めていた。明治になって、神仏分離令により、田無神社と分かれ、西光寺は近隣の密蔵院と観音寺と合併して田無山総持寺と改称した。真言宗智山派のお寺である。

(1)山門

山門には、道路に面して金剛力士の阿吽の像、裏側には広目天と多聞天が置かれ、それぞれ四方を守護している。

田無総持寺

山門

山門の金剛力士像

指でOKサイン?

金剛力士

多聞天

広目天

多聞天

広目天


(2)本堂

本堂は、1850年に再建されており、その際の記念として植えられたケヤキが、いまは巨樹となり西東京市の文化財に指定されている。

その本堂も戦災で消滅し、新しく再建・修理されたものである。

本堂と左横に滝の不動尊

本堂の扁額

本堂・天女の彫刻

ケヤキの大木


(3)滝の不動尊

本堂の横にある滝の不動尊と呼ばれる祠は、明治11年に成田山新勝寺から勧請し、柳沢にある宿屋・田丸屋の奥庭に祠を建て安置したものを大正6年に田丸屋から当山に遷移されたものという。そこから総持寺は田無不動尊とも呼ばれる。

(4)妙見堂

妙見堂は妙見菩薩を本尊としており、北極星を神格化したもので、この信仰を妙見信仰という。この妙見菩薩を篤く信仰した千葉氏は、妙見信仰と平将門伝承を取り込み妙見菩薩を軍神として氏神としている。現在の千葉神社は妙見本宮ともいわれ、妙見様とも呼ばれる「北辰妙見尊星王」を主祭神としている。

また、葛飾北斎は、妙見菩薩を篤く信仰し、画号の北斎辰政(ときまさ)は、北斗七星(北辰)にちなんだものと言われている。

ここ妙見堂には、奥に閻魔大王をはじめとする十王像が安置されていた。

また妙見堂の横には、開祖・弘法大師像と中興の祖・興教大師(覚鑁)像が並んでいる。

妙見堂

妙見堂

妙見堂

妙見堂の扉

閻魔大王と十王

弘法大師像

興教大師(覚鑁)像

(5)庚申塔

本堂の後ろ側には、地蔵菩薩をはじめとする石仏があり、そのなかに庚申塔が三基見られた。そのうち一基は、三面のお顔を持つ、珍しい青面金剛像(庚申塔)であった(宝永6年1709年造立)。

庚申信仰は、人間の体内には三尸(さんし)がおり,庚申の日に天に昇って,寿命をつかさどる神に人間の過失を報告し早死させようとすることから、その日は徹夜して三尸が昇天するのを防ぐという信仰である。この天というのは北斗七星のことであり、「北斗」が庚申の崇拝対象となっており、妙見信仰と庚申信仰とのつながりがみえる。

(参照:庚申塔については東京異空間52~60:石仏巡りⅠ~Ⅶで取り上げた。)

 

地蔵菩薩

地蔵菩薩

庚申塔

庚申塔

庚申塔・三面の青面金剛

(6)平和観音

田無の隣、武蔵野市にはかって中島飛行機の工場があり、ここ田無にも関連工場があった。1945年4月12日、米軍機のB29により田無駅前が爆撃されるなど、田無周辺でも百数十人の人が亡くなっていて、その慰霊塔として、爆心地の田無駅前に平和観音が建てられた(1957年)。その後、駅前の再開発のため、この総持寺に移転された。

(参照:中島飛行機に関しては、「東京異空間40~東伏見稲荷神社とその周辺を歩く」2021.12.3で取り上げた。また平和観音については「東京異空間55 石仏巡りⅢ~三宝寺」2022.2.18で取り上げた。)

平和観音

2.田無神社

田無神社の創立は不詳だが、13世紀鎌倉時代には、現在の保谷と田無の間にあった谷戸に鎮座し、尉殿大権現と呼ばれていたという。尉殿(じょうでん)の「」とは、水の神を意味しており、田無という地名から推察されるように、この辺りは武蔵野台地であり、水が乏しく田んぼができない土地であったことから水を守る神として崇められたと考えられる。

尉殿大権現は、神仏習合のもと、倶利伽羅(くりから)不動明王を本地仏とする龍神である。明治の神仏分離令まで、不動明王の化身である龍神として、水と風を治める豊穣の神であった。そのことから、この神社には黒・青・赤・白・黄の五龍をはじめ、いたるところに龍が祀られている。


田無神社参道

拝殿

拝殿


(1)本殿と拝殿

本殿は、江戸後期に造られており、この時期の田無の町の隆盛と江戸の職人の高度な技を物語っている。

家康が江戸に幕府を開くにおよび、城や町の壁に必要な漆喰の原料となる石灰を青梅から運ぶため、青梅街道の往来が盛んになり、その街道沿いにある田無は宿場街として形成されるようになる。江戸後期になると町の隆盛を反映し、尉殿大権現の本殿が造られた。

この本殿は、安政5年(1858年)に大工鈴木内匠、彫工嶋村俊表が建築したもので、全面に極めて優れた彫刻があり、江戸の建築の高度な水準を示す貴重な建物で、都の文化財に指定されている。

また、拝殿は、明治8年(1875年)に地元の大工が建築したもので、地域の大工の技量がなお高い水準を保っていたことを示し、すぐれた龍などの彫刻が施されている。

超絶技巧が施された本殿は、拝殿の奥に秘蔵されてきており、江戸期に造られた姿そのままを今に残している。ただし、ふだんは本殿を見ることはできず、11月の例大祭の際には公開されるようだ。

(本殿の写真は、田無神社の公式ホームページで見ることができる)

 

(2)名工・島村俊表

この本殿を手がけたのが名工・島村俊表である。島村家は、江戸幕府公認の神社や仏閣の彫刻を担当した家柄で、俊表は嶋村家の八代に当たる。二代目・嶋村鉄は成田山新勝寺光明堂(1701年、国・重要文化財)、同・三重塔(1712年、国・重要文化財)の彫刻を手掛けている。俊表は、川越氷川神社本殿(1842年埼玉県指定文化財)、成田山新勝寺釈迦堂の「二十四考」1857年、国重要文化財)を手がけており、田無神社本殿も都指定文化財となっており、残した作品のすべてが文化財に選定されている

(成田山新勝寺の彫刻については、拙ブログ「成田山新勝寺1:建築と装飾」2021.1.4に掲載している。)

また、千葉・勝浦市には、島村俊表による勇壮な龍などを飾った祭舞台があり、そのつながりから田無市と友好都市を結んでいるという。

拝殿

拝殿に施された彫刻

正面の龍の彫刻

龍の彫刻

拝殿の四隅にも龍

四隅の龍

四隅の龍

四隅の龍

四隅の龍

鳳凰





(3)龍神・霊獣

①五龍

本殿には金龍、東に青龍、南に赤龍、西に白龍、北に黒龍、と五龍が祀られている。また境内にある大きな銀杏は、それぞれの龍神の御神木とされている。

白龍

青龍

赤龍

白龍


背後にも龍

水飲み場に龍

祠の柱にも龍

祠の柱にも龍

赤龍

白龍

撫で龍

御神木

銀杏の御神木

②倶利伽羅龍王

拝殿に置かれている倶利伽羅龍王は、岩の上で火炎に包まれた黒龍が、剣に巻 きついてそれを呑み込もうとする姿につくられている。

倶利伽羅龍王・拝殿

倶利伽羅龍王

③獅子などの霊獣

境内には、龍のほかに、獅子、おみくじには鯉(恋)や鯛(安鯛)、祠には紅白の虎、安産のお守りである犬、土俵には鳩、さらに、霊鳥といわれる烏骨鶏まで飼われていた。

獅子

獅子

獅子

獅子

水面から獅子


龍のおみくじ

鯉(恋)のおみくじ

鯛のおみくじ

干支の寅

犬(木彫)

横綱・大鵬が寄贈した土俵に鳩

烏骨鶏

(4)日露戦没記念碑

この記念碑は、日露戦争(1904-05)を記念して、明治40年(1907)に建立された。文字は日露戦争における元帥陸軍大将であった大山巌による揮毫という。この戦争に田無村から71年が出征し、3人が戦死、68人が凱旋帰国している。その名が碑の裏に刻まれている。

また、碑の横には、「凱旋紀念」として砲弾が置かれている。

碑の隣には、楠木正成公の石像がある。楠木正成の子孫が尉殿神社の近辺に移住し、守護したという言い伝えがあり、石像が祀られた。その石像が大きく欠けているのは、地元の若者が石像の一部をお守りとして削り、出征していったからだという。

田無総持寺には、平和観音が建てられ空襲で亡くなられた民間人の慰霊とされているのに対し、田無神社には日露戦争に出征した兵士の記念碑が建てられているというのは、仏教と神道の役割の違いをあらわしているといえる。

そして、いまロシアのウクライナ侵攻を目のあたりにして、日本は清(中国)、露、そして米と、超三大軍事国と戦争をしてきた歴史を持つということをあらためて振返り、戦争という歴史の過ちを繰り返してはならないと、あらためて強く願う。

日露戦没記念碑
砲弾・凱旋紀念

楠木正成公の石像


田無神社は2018年6月に行っていますが、その時はまだこのブログを立ち上げていなかったので、Googleフォトに入れていました。今回、あらためて田無の総持寺と田無神社に行って、四天王や石仏などの仏と五龍などの霊獣が祀られる異空間を歩いてきました。

また、戦争の歴史にも触れる機会となり、あらためて平和であることを祈願してきました。


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