2021年11月21日日曜日

秋は夕暮れ~ムクドリ、ヒヨドリ

 

ムクドリ

夕方、散歩に出ると、ギャー、ギャーと騒ぐ声、ムクドリが柿の木に集まってきていました。

その後、4時ごろには高い鉄塔の電線に大群が集まり、それからネグラに行くようです。

この日は、夕焼けも美しく、遠くには富士山が望めました。夜は「ほぼ皆既」の部分月食が観られました。89年ぶりだということです。次回は65年後ということですから、「ほぼ」観ることはできない、ではなく、「全く」観ることは不可能です。

 

1.ムクドリ

ムクドリが、柿の木にたくさん集まってきて、残っている柿を食べあさっている。ギャー、ギャーと、やかましく争うように柿を食べている。ムクドリの夕食のようだ。

ムクドリ

柿を食べに来たムクドリ



争うように食べるムクドリ



食事の順番待ち?
ムクドリは夕方になると、あちこちから次々に集まってきて群れを作どういうわけか、この鉄塔の一番高いところに数羽が最初に止まり、その後も次々と飛来してきて、数百羽を超えるような数のムクドリが電線にきれいに整列していく。そして、いっせいに飛び立ち、街路樹や竹藪のネグラに入っていくようだ。

電線に並ぶムクドリ

次々に飛来してくる

一番上の線に並んで

間をつめて

なぜか一番高いところだけに止まる

きれいに並んだ

いっせいに飛び立っていった
ムクドリはもともとは農作物に害を及ぼす虫を食べる益鳥とされていた。しかし、生息環境破壊され都市に適応して大量に増殖すると、鳴き声による騒音や糞害などが、しばしば問題になり、「害鳥」になってしまっている人はなんて勝手なものか、ムクドリは必死に環境に適応しているだけなのに。そう考えると、ムクドリはあわれな鳥だ。


2.ヒヨドリ

こちらはヒヨドリ、ムクドリより一回り大きく、尾羽が長く、スマートな体型である。春には蜜を吸いに桜の花に来ているのを見かけるが、いまは柿を食べに来たのだろう。

ただ、ヒヨドリは、野菜や果樹など農作物を食害するので、やはり「害鳥」ではあるが、ムクドリほどは嫌われていない。ピーヨ、ピーヨという鳴き声の違いもあるのかな。

日本ではよく見ることのできる鳥であるが、分布がほぼ国内に限られることから、海外のバード・ウォッチャーにとっては、ぜひとも観察したい野鳥のひとつであるという。

ヒヨドリ

ヒヨドリ
また、源平合戦の一ノ谷の戦いで、源義経が平家の軍勢を追い落とした深い山あいを「ひよどり越え」というのも、そこが春と秋、ヒヨドリの渡りの場所(現・神戸市須磨とも)であったことからと言われている。

3.夕暮れ

陽が落ちるにつれ、鳥たちもネグラに向かい、花や樹々も夕日の光に照らされる。空は赤く染まり、遠くに富士山を望むことができた。夜には、「ほぼ皆既」の月食を眺めることもできた。

色づき始めたケヤキの大木

雑木林に夕日が差し込む

皇帝ダリアの花に陽がさす

ススキ

夕焼け

赤く染まる冨士

「ほぼ皆既」の月食

家路を急ぐムクドリやヒヨドリたちに、清少納言を借りて、やはり「秋は夕暮れ」が一番趣があると感じる一日となりました。

秋は夕暮れ 夕日の差して山の端 いと近うなりたるに 烏<ムクドリ?>の寝所へ行くとて 三つ四つ二つなど飛び急ぐさへ あはれなり まいて雁<ヒヨドリ?>などの連ねたるが いと小さく見ゆるは いとおかし。」『枕草子』

 

2021年11月17日水曜日

秋の公園Ⅳ~印象派風に?

「秋の公園」シリーズも4回目になります。今回は、二つの公園で、秋深まる風景を印象派風(?)に切り撮ってみました。

 

1.印象派について

印象派(印象主義とも)は、1874年に開かれた若手画家たち(モネ、ドガ、ルノワール、ピサロなど)のグループ展で、出展されたモネの「印象 日の出」について、ある批評家が「何か印象はあるのだろうが、壁紙以下の絵」と酷評したことが新聞記事になり、これがのちに「第1回印象派展」と呼ばれ、こうした画家たちの絵画運動を総称するようになった。

その特徴は、それまでの細かい描写をする写実主義の絵画とは違い、移ろいゆく光や空気感を色鮮やかな荒いタッチで、境界も曖昧な点描のように表現した。題材も神話や聖書によるものではなく、郊外の自然や都会人の日常などを描いた。

モネ「印象 日の出」

2.印象派と写真

この印象派が生まれた背景には、写真の発明・普及がある。写真は、やはり19世紀前半にフランス人、ダゲールによって開発されたダゲレオタイプ(銀板写真)が実用的なものとして普及した。対象を正確に描写するだけなら写真のほうが圧倒的に正確であり、当時の画家たちは写真とは違う、新たな絵画表現が模索していた。そうしたことから、絵具の多様な色彩を使い、光や空気感といった心に残る主観的な表現を追求していった。つまり、風景をそのまま写実的に描くのではなく、風景によってもたらされる一瞬の感覚を表現することを追求していったのが印象派であるとされる。

第1回印象派展がオペラ座の近くにあった写真家ナダールのスタジオで開かれたというのも、写真の影響を象徴的に示しているのであろう。その後の写真史では、今度は、写真のほうが、より絵画的、より芸術的な表現(ピクトリアリズム)を求めて行った。

ダゲールの肖像・銀板写真

福原信三 「写真芸術」の確立を目指した写真家、資生堂の初代社長である


3.印象派と浮世絵

もうひとつ、印象派に大きな影響を与えたのが日本の浮世絵(ジャポニスム)である。「北斎漫画」に見るような人物の動きがスナップ・ショットのように描かれ、例えばドガの踊り子のポーズに影響しているという。また、北斎や広重の風景画にみる大胆な構図が、モネの「太鼓橋」、あるいはゴッホの広重の浮世絵を模写した作品などに大きな影響を与えた。

ドガの踊り子

「北斎漫画」

モネ「太鼓橋」

ゴッホ「梅の開花」

今回、秋深まる二つの公園の風景を印象派の特徴をふまえて、次のように、1.光の色彩2.大胆な構図3.印象的(主観的)な表現の3つに分けてみました。

1.光の色彩


























2.大胆な構図





























3.印象的(主観的)な表現









ジョロウグモ

三宝寺池の淵には、厳島神社、宇賀神社、水神社がある。


秋の公園の一つは、いつも散歩に行く武蔵関公園、ここには富士見池があり、その湧水は石神井川に流れています。もう一つは、石神井公園、ここには三宝寺池があり、こちらの湧水も石神井川に流れ込んでいます。

それぞれの池では、紅葉・黄葉が水面に映え、その光や色合いは、モネの睡蓮ではないですが、印象派的でありました。樹々の幹、枝、そして色づいた葉が大きく空に向け広げていました。死んだ蝶、獲物を待つ蜘蛛、季節外れの紫陽花の花、などは、これから冬を迎える秋の寂しさを表わすようで、印象に残るものでした。

 

今回の写真は、印象派風(?)と少し気張ってみましたが、いずれも「壁紙にも使えない」と酷評を受けるようなものですが、すこしでも「印象」に残っていただければと思います。

川瀬巴水・新版画「三宝寺池」


東京異空間200:キリスト教交流史@東洋文庫

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