2023年7月18日火曜日

東京異空間139:深川界隈

 

富岡八幡宮

6月下旬に深川界隈を散策してみました。

1.深川不動尊

深川不動と通称されるが、正式には「成田山東京別院深川不動堂」ということで、千葉の成田山新勝寺の東京別院である。

1703(元禄16)年、富岡八幡宮の別当寺である永代寺で、成田山の不動明王像の出開帳が行われ、5代将軍綱吉の生母・桂昌院も参拝したという。以来出開帳はたびたびおこなわれ、江戸庶民に信仰が広まった。明治に入り、神仏分離令に伴い、永代寺は廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動信仰は止むことなく、1878(明治11)年に成田不動の分霊を祀り深川不動堂として存続することとなった。

その後、関東大震災、戦災により堂宇は焼失したが、本尊は、僧たちが命がけで運び出し焼失はまぬがれたという。

現在の新本堂は、2011(平成23)年に完成したもので、壁一面に梵字を配置するモダンな建物となっている。旧本堂で行われていた護摩法要に参加し、その後堂内にある仏像などを拝観した。境内には、成田山出世稲荷を勧請した深川開運出世稲荷がある。(成田山新勝寺については、拙ブログ「成田山新勝寺2021/1/4」を参照)

前述したように富岡八幡宮の別当寺であった永代寺の境内は、深川公園となったが、これは1873(明治6)年に出された太政官布達によるもので、都内では上野公園(寛永寺)、芝公園(増上寺)、浅草公園(浅草寺)、飛鳥山公園と並んで、日本で最初につくられた公園である。(太政官布達による公園については、拙ブログ「東京異空間72増上寺Ⅲ、芝公園」2022/11/14を参照)

なお、、このあたりの「門前仲町」という地名、駅名は、富岡八幡宮の別当寺永代寺の門前松として町屋が形成されたことに由来する。

深川不動尊・門前

深川不動尊

新本堂・壁一面に梵字

新本堂・壁一面に梵字

旧本堂

深川開運出世稲荷

2.富岡八幡宮

深川不動尊にほぼ隣接するように富岡八幡宮がある。富岡八幡宮は1627(寛永4)年、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建された江戸最大の八幡宮といわれる。

深川八幡祭りは、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並ぶ、江戸三大祭りの一つとなっている。日本最大といわれる純金や宝石を散りばめた絢爛豪華な神輿が繰り出し、担ぎ手にお浄めとして水をかける「水かけ祭り」としても知られている。

また、江戸勧進相撲発祥の地でもあり、1684(貞享元)年、幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許され、以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれた。そののち本場所は、本所回向院に移り、現在の両国の大相撲へと繋がっていく。境内には「横綱力士碑」と「大関力士碑」、はじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されている。

大鳥居の横には、伊能忠敬の銅像がある。伊能は千葉佐原の出身であるが、深川黒江町(現・門前仲町)に住んでいて、測量旅行出発にあたっては必ずここの八幡宮を参拝していたという縁りがあることから、2001(平成13)年の銅像が建てられた。測量への一歩を踏み出した姿である。

(拙ブログ、「東京異空間79:回向院2023/6/10」、「佐原~水郷の町、地図の町2021/1/11」 参照)

富岡八幡宮
富岡八幡宮・本殿


大関力士碑

伊能忠敬銅像


3.東京イースト21

都民割を利用してホテル・イースト21に1泊した。ここは、1992(平成4)年に鹿島建設の資材置き場の敷地に開発された「東京イースト21」のなかに、下町エリア初のシティホテルということで建てられた。バブル期最後の豪華な造りのホテルである。

エリアにはホテルのほか、ショッピングモール、イベントスペース、オフィスビルなどがある。パブリック・アートとしていくつかの彫刻も置かれている。また、スカイツリーも眺められる。

ホテル・イースト21

ホテル・イースト21

ホテル・イースト21
ショッピングモール

ホテル・イースト21・入口の彫刻

ショッピングモール内の彫刻

ショッピングモール入口の彫刻

ショッピングモール入口の彫刻・太陽

ホテルのプール

ホテルのエスカレーター

ホテルのエスカレーター

ホテル・ロビーに置かれた神輿

スカイツリー

ホテルからのスカイツリー

ホテルからのスカイツリー

ホテルに一泊し、深川界隈の寺社を巡るなど、夏休み前のゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。


2023年7月17日月曜日

東京異空間138:美術館に行く(2023.6-7月)

 

<女人像>甲斐荘楠音

この6月から7月にかけて行った美術館について、まとめておきます。

1.田沼武能~東京都写真美術館

東京都写真美術館では「田沼武能 人間賛歌」展が開かれていた。(会期は7月30日まで)

田沼武能(19292022) は、東京写真工業専門学校を卒業後、木村伊兵衛に師事した。ライフワークとして世界の子どもたちを撮影し、生涯で130を超える国と地域に行き、そのヒューマニスティックなまなざしで人間のドラマを撮り続けた。2022年に亡くなる。

展示構成は、第一章:戦後の荒廃した日本でたくましく生きる子供たちを通じて昭和の日本の姿を伝える「戦後の子どもたち」、第二章:ライフワークだった世界の子供たちと人々の生きる姿をとらえた作品群を集めた「人間万歳」、第三章:武蔵野の自然と人々の営みを撮り続けた「むさし野」の3章立て。

このうち、モノクロで撮った第一章の子どもたちの写真が印象に残った。これらの作品は、どちらかというと師事した木村伊兵衛よりも土門拳の写真に近いように思えた。

また、武蔵野の風景を撮った写真は、上石神井公園など身近なところもあり、親しみ深く、また、さすがにうまく撮るもんだと納得して観てきた。

(6月13日に行った)

「田沼武能 人間賛歌」・東京写真美術館


<神輿をかつぐ少女たち>

田沼が使用したカメラ

2.木島櫻谷~泉屋博古館

六本木の泉屋博古館では「木島櫻谷 山水夢中」展が開かれていた。(会期は7月23日まで)

木島櫻谷(このしまおうこく:18771938 )は、京都画壇を代表する画家として、近年特に注目されるようになった。とりわけ動物画で名を馳せたとされるが、この展覧会では主に山水画に注目して展示している。

展示構成は、第一章:「写生帖よ!ー海山川を描き尽くす」、第二章:「光と風の水墨ー写生から山水画へ」、第三章:「色彩の天地ー深化する写生」、第四章:「胸中の山水を求めて」、エピローグ:「写生にはじまり、写生におわる。」として、屏風などの大作から写生帖、さらに手元において愛でたという水石も展示されていた。

なかでも、ポスターにも使われている「駅路之春」と題する六曲一双の屏風にひきつけられた。少し俯瞰して描いた構図は、左隻には手前に大きな木の幹、柳の垂れ下がった緑の後ろに人物、そして右隻には馬が描かれ、画面全体に桜の花びらが散っている、それで先の大木が桜の木であることがわかる。櫻谷、お得意の動物画から、花鳥画、人物画、そしてこの色彩、すべてが揃った大作だ。人物や景色の一部を隠す描き方は、やまと絵の伝統を引き継いでいるようにも思えた。以前に櫻谷の作品で「寒月」を観たときのような驚きはなかったが、近代的な山水画に理想郷を描く櫻谷の作品に感動を覚えた。残念ながら、「寒月」は6月18日までの展示であり、今回は観られなかった。

(6月23日に行った)

「木島櫻谷 山水夢中」・泉屋博古館東京

泉屋博古館東京

<駅路之春>左隻・桜と柳

<駅路之春>右隻・馬の優しい目が印象的

木島櫻谷

3.北斎 大いなる山岳~すみだ北斎美術館

すみだ北斎美術館では「北斎 大いなる山岳」展を観てきた。(会期は8月27日まで)

すみだ北斎美術館は、2016年に開館した北斎の作品を展示している美術館である。葛飾北斎は、改名は30回、引っ越しの回数は93回といわれているが、生涯をこの本所界隈(墨田区)で過ごしたというゆかりの地であることから、ここに美術館が建てられた。この場所は、江戸時代には弘前藩津軽家の上屋敷があり、藩主からの依頼により、北斎が屏風に馬の絵を描いて帰ったというエピソードも残っているという。建物の設計は世界的に有名な女性建築家・妹島和世で、ほかには金沢21世紀美術館、ランスのルーブル美術館、最近では西武鉄道の車両「Laview」の設計も手掛けている。

建物の外観はアルミパネルを使用しており、淡い鏡面は、周りの景色も映し、またシャープなスリットからは東京スカイツリーを観ることもできる。

展示は4階の常設展示では、北斎のよく知られた作品が展示され、タッチパネルで解説を見ることもできる。また、筆を持って描く北斎と娘・お栄の人形が置かれている北斎のアトリエが再現されている。なお、常設展示は、写真撮影ができる。

3階の企画展示「大いなる山岳」は、プロローグ:<登山口>日本人と山、<1合目>富士山から低山まで、<2合目>山とくらし、<3合目。山と伝説、という構成で、有名な富嶽三十六景から北斎漫画まで、山と日本人の信仰、生業、伝説、怪談など様々な絵が展示されている。これらのなかで、とくに「諸国瀧巡り」や「諸国名橋奇覧」などのシリーズの作品が印象に残った。なお、企画展はやはり写真不可。

627日に行った)

すみだ北斎美術館

シャープなスリット


スリットからスカイツリー

「大いなる山岳」・すみだ北斎美術館

北斎とお栄・北斎のアトリエ








常設展示

「須佐之男命厄神退治之図」(推定復元)


4.甲斐荘楠音~東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリーでは「甲斐荘楠音の全貌」展が開かれている。(会期は8月27日まで)

甲斐荘楠音(かいのしょうただおと/1894-1978)は、大正期から昭和初期にかけて日本画家として活動し、妖艶な女性を描いて意欲的な作品を次々に発表した。しかし、1940年頃には、画業を中断し、映画業界に転身したため、長らくその仕事の全貌が顧みられることがなく、東京では初めての回顧展となる。これまで知られてきた妖艶な絵画作品はもとより、スクラップブック・写真・写生帖・映像・映画衣裳・ポスターなど、甲斐荘に関する作品や資料の多くが展示され、画家として、映画人として、趣味人としての甲斐荘の全貌を明らかにする展覧会となっている。

展示構成は、序章:描く人、第1章:こだわる人、では主に大正期に描かれた美人画を中心に、第2章:演じる人、では主にスケッチブックに描かれた役者や台本を、第3章:越境する人、では映画の衣装、ポスターなどが、終章:数奇な人、では大正期から描かれ未完成となった「畜生塚」を中心に展示されている。

妖艶な美人画の中でも「横櫛」、「女人像」、さらに「春」というメトロポリタン所蔵の作品に引かれた。終章の「虹の架け橋」、「畜生塚」も大作であり、ひきつけられた。画題となっている畜生塚とは、京都の瑞泉寺境内にある塚のことで、豊臣秀吉によって切腹に追い込まれた秀次の愛妾たちの処刑直前の様子を描いているという。ただ、未完成なためか、むしろミケランジェロなどルネサンス絵画に描かれた女性像に近い感じもする。

甲斐荘の作品のいくつかは、京都近代美術館で以前に観たことがあるが、今回、あらためてその妖艶な、時に廃退的な女性像にひきつけられた。会場には、甲斐荘自らが太夫や女形に扮した写真も展示されていて、それが描かれた作品に反映されていることがわかる。いずれの作品を観ても、甲斐荘という異才、奇才の作品に圧倒された。

74日に行った)

「甲斐荘楠音の全貌」・東京ステーションギャラリー

「甲斐荘楠音の全貌」

<春>

<女人像>

<横櫛>

甲斐荘自ら女形に扮している


東京異空間200:キリスト教交流史@東洋文庫

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