2021年2月24日水曜日

春が来た~梅と桜

白梅


紅梅

春を通り越して初夏の気温まで上がった日、陽気に誘われてカメラを持って散歩に出かけた。あちこちで梅の花が咲いている。早くも桜も咲き始めている。早咲きの河津桜なのだろう。さすがにロウバイはもう色が落ちてきていた。

公園では、カワセミが獲物を狙っていた。春らしい心地よさだ。

 

1.梅の花

梅は、花は鑑賞、実は食用・薬用、どちらも日本では古代から大切にされてきた樹である。もともとは中国の原産といわれている。「令和」という元号も万葉集の梅を詠んだ大伴旅人の歌からとられたというのは、まだ記憶に新しい。


「時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」

 

この歌より二文字を取り「令和」が生まれた歌の意味は、初春の素晴らしい月にして、風も春の陽気のように穏やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている」と、まさに今の季節にもふさわしい歌である。

咲き誇る梅が告げる春の訪れのように、明るく、希望に満ちた「令和」であれとの願いを強くする。

 

万葉集には、梅を詠んだ歌が120首ほどあるのに対し、桜は40首ほどだという。いかに万葉人に梅が好まれたかがわかる。それは、この時代に漢文の文化が和歌の文化に変容していったことを示しているという。

 

梅を詠んだ歌といえば、菅原道真の次の有名な歌を思い浮かべる。

 

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

 

その意味は、「春風が吹いたら、匂いを送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春を忘れてはならないぞ」と、大宰府に左遷されるとき京の梅に語り掛けるように心境を歌っている。

 

ここから道真を慕って梅が大宰府に飛んでいったという飛梅伝説がうまれ、いまでも、大宰府天満宮はもとより、京都の北野天満宮、東京の湯島天神など梅の名所となっている。

 

2.梅の実

梅の実は食用にも薬用にも用いられる。古代から青梅を燻製・乾燥させた「烏梅」という漢方薬として用いられていた。平安中期になると、塩漬けにした「梅干し」が登場し、主にその薬効が知られるようになった。

 

梅干しが一般に普及したのは、江戸時代に入ってからで、幕府が梅を植えることを奨励した。中でも徳川御三家の水戸、尾張、紀州は、いまでも梅の名産地となっている。

明治になると、全国的に流行したコレラや赤痢などの疫病の予防・治療にも使われたという。

 

さすがに、新型コロナに梅干しが効くという話はないが、梅の持つ殺菌力など、その薬効が届いてくれたらと思うこの頃だ。

白梅









白梅と紅梅







しだれ梅









ロウバイ

ロウバイ

サンシュユ

サンシュユ

サンシュユ

 

3.河津桜

民家の庭に河津桜が植えられていて、この時期早くも咲き始め、満開に近く咲き誇っている樹も見つけた。

 

河津桜は、オオシマザクラ系とカンヒザクラ系が自然交配した種であり、オオシマザクラ由来の大輪の花と、カンザクラ由来の紫紅色の花弁と早咲きが特徴である。

 

1955年に伊豆の河津町で原木が偶然見つけられ、庭先に植えられたことに始まるとされる。1974年に学術調査の結果、今までにない品種であることが判明し「カワヅザクラ」と命名された。いまでは伊豆の河津町では桜祭りが2月から開かれる。残念ながら今年はやはり中止のようだ。

 

園芸品種として接ぎ木され、いまでは個人の庭先などにも植えられている。今回は、近場の散歩道をグーグルマップで見ていたところ、河津桜のマークがついていた所があり、カメラをもって出掛けて行った。
















梅は、白梅、紅梅、しだれ梅があり、近くによると馥郁たる香りがしてくる。そして河津桜の鮮やかなピンク色の花、いよいよ春が来た来た。

 

散歩しながら、梅や桜、また池のカワセミなどの鳥などを撮り、また梅の歴史などをひもといてみるのも、また楽し。



カワセミ

カワセミ


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