宇和島駅に東京国立近代美術館がある?!実はこれ、現代アーティスト大竹伸郎の作品です。
皇居前のオフィスビルにルネサンスの美人画がある?!実はこれ、丸紅ギャラリーで行われているボッティチェリの「美しきシモネッタ」です。
竹橋にある二つの美術館に行ってきました。ひとつは東京国立近代美術館、もうひとつは丸紅ギャラリーです。あわせて、パレスサイドビルと皇居周辺を撮ってみました。
1.東京国立近代美術館
東京国立近代美術館は、1952年(昭和27年)に日本初の国立美術館として京橋に開館した。その後、1969年(昭和44年)に現在の竹橋に移転し、新館が開館した。設計は谷口吉郎によるもので、ブリヂストンの創業者石橋正二郎が寄贈した。
日本の近・現代の美術作品を多く所蔵し、常設展では、教科書に載っているような作品を多く観ることができる。現在、企画展として「大竹伸郎展」が開かれている。
(1)大竹伸朗の作品
美術館の「東京国立近代美術館」という看板とともに、「宇和島駅」の文字看板が見える。これは、愛媛県のJR宇和島駅に実際に使われていた看板が使われている。大竹伸郎は、現在、宇和島を創作活動の拠点としており、JR宇和島駅の改築の際にこの看板を自ら外して手に入れたという。大竹伸郎の妻の実家が宇和島で、1988年にそれまでの東京・石神井にあったアトリエから引っ越し、宇和島の倉庫で創作を始めた。
大竹伸朗は、現代日本を代表するアーティストとして世界的にも活躍しており、今回の展覧会は大規模な回顧展として、テレビの美術番組などでもとり上げられ話題となっている(2023年2月5日まで。その後愛媛県立美術館などへ巡回)。
大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」 大竹伸朗の作品「宇和島駅」
(2)美術館内
美術館の前の芝生にも現代的なオブジェが置かれている。
常設展では、明治以降の日本の代表的な作品が展示されているが、館内には「眺めのよい部屋」があり、そこから見る皇居周辺も景色もみどころとなっている。
また、吹き抜けの一室は、やはり現代美術の作品となっており、階段と合わせ不思議な空間を形成している。
現代的オブジェ 現代的オブジェ 常設展会場 常設展・日本画 ウォール・ドローイング 階段 ウォール・ドローイング(ソル・ルウィット作) ウォール・ドローイング(ソル・ルウィット作) 「眺めのよい部屋」から 「眺めのよい部屋」から
2.パレスサイドビル
美術館を出て、お濠のわきを通り、信号を渡るとパレスサイドビルである。パレスサイドビルについては、「東京異空間69:パレスサイドビル~林昌二」(2022.7.15)でとり上げたが、現在も毎日新聞社などが入るビルで、外観も現代的なスマートさのある美しい建築である(1966年竣工)。
美術館からパレスサイドビル お濠に架かる橋 お濠に架かる橋の球体 パレスサイドビル パレスサイドビル パレスサイドビル パレスサイドビルのスターバックス パレスサイドビルと丸紅ビル
3.丸紅ギャラリー
丸紅ギャラリーは、2021年11月に丸紅本社ビル内にオープンした。丸紅のコレクションは、戦前の丸紅商店の手掛けた染織物やその図案などとともに、総合商社として手掛けた西洋美術品があり、とくにボッティチェリ「美しきシモネッタ」は、コレクションの中でもお宝中のお宝である。
今回の企画展は、開館記念Ⅲとして、その「美しきシモネッタ」が7年ぶりに公開されている(2023.1.31まで)。2016年に東京都美術館で開催された「ボッティチェリ展」に出品して以来となる。
丸紅本社ビルは、2021年2に竣工した建物で、内部も美しい。設計は日建設計が行っている。
丸紅ビル 丸紅ビル 「美しきシモネッタ」 ビルの前から見る「美しきシモネッタ」 丸紅ビル・エスカレーター 丸紅ビル・エスカレーター 丸紅ビル・エスカレーター 丸紅ビル・入口 丸紅ビル・入口 丸紅ビル・入口 丸紅ビル・正面 丸紅ビル・正面から 丸紅ビル ビルのガラスに映る景色 丸紅ビル 奥は美術館、右側はパレスサイドビル 平川門
3.和気清麻呂像
丸紅ビルの前にある大手濠緑地に和気清麻呂像が立っている。4.2メートルもある大きな像である。1940年(昭和5年)、紀元2600年を記念して建立された。作者は佐藤清蔵(玄々)である。
作品の製作にあたっては、朝倉文夫、北村西望、佐藤清蔵の三氏に依頼された、しかし、事前説明の不備から三者による競作と知らなかった朝倉文夫は原型を仕上げた段階で辞退し、結局、佐藤清蔵の作品が選ばれたという。朝倉の像は、橿原神宮に献納されたが、現在は和気神社(岡山)に移設されている。こちらも、4.63メートルもある大きな像である。
また、この時に、佐藤の師である山崎朝雲が、「銅像のような大作は佐藤より朝倉さんや北村さんの方がよい」との言を聞いて佐藤は憤慨し、師からもらった朝山の号を返上し師弟の関係を絶ち、その後1948年に号を「 玄々」と名乗るまで本名の「清蔵」を通したという。晩年、佐藤玄々として、日本橋三越の中央ホールにある「天女像まごころ」という大作を作っている。
和気清麻呂像 和気清麻呂像(左側はパレスサイドビル、右は丸紅ビル) 和気清麻呂像 日本橋三越「天女像まごころ」佐藤玄々(撮影2019.3.11)
4.震災イチョウ
和気清磨像の近くに一本のイチョウの木がある。「震災イチョウ」といわれ、関東大震災による火災を免れたイチョウで、当時は、今の一ツ橋・パレスサイドビル付近にあり「帝都復興のシンボル」として注目を集めた。その後、震災復興の区画整理のため伐採の対象となったが、当時の中央気象台長・岡田武松が何とかして後世に残しておきたいと保存を申し入れ、一ツ橋から中央気象台の近くの現在地に移されたという。現在も気象庁の東京のイチョウの標本木となっている。
竹橋にある二つの美術館をまわり、少しはアートっぽい写真となったでしょうか?
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