靖国神社、東京都戦没者墓苑、乃木神社と3つの社を巡ってみました。これらの異空間に何を感じるでしょうか。
〇靖国神社
靖国神社は、大村益次郎の発案のもと、明治天皇の命により明治2年(1869年)に「東京招魂社」として創建された。黒船来航(嘉永6年1853年)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を英霊として祀る。
境内にある「遊就館」は、明治15年(1882年)にイタリア人による設計でイタリア古城式で建てられ開館した。日本における最初で最古の軍事博物館である。しかし、関東大震災により倒壊し、伊東忠太による設計で再建され、昭和7年(1932年)に開館した。
関東大震災後の寺社などの再建にあたっては、伊東忠太がその設計に活躍しており、帝冠様式と呼ばれる和洋折衷の建築様式が多く用いられた。また石鳥居も伊東忠太の設計によるという。
新館に展示されている零戦やカノン砲などを見ると、一瞬、戦争を身近に見る思いがして驚いてしまう。ほかにも屋外に大砲や銅像などが展示されている。
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第一鳥居(大鳥居) |
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第一鳥居(大鳥居) |
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大村益次郎銅像:大熊氏廣による西洋風銅像の最初期の代表作。 戊辰戦争において上野の方角を双眼鏡で見て「官軍すでに勝ちたり」といった姿を表わしているという。
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石鳥居:伊東忠太の設計 |
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慰霊の泉 |
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慰霊の泉 |
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第二鳥居 |
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神門から拝殿へ |
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神門から中門鳥居・拝殿 |
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神門 |
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中門鳥居・拝殿 |
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拝殿 |
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参集殿 |
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戦没馬慰霊像・軍犬慰霊像 |
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靖国会館:昭和9年、国民への軍事知識普及のため遊就館の付属の「国防館」として建設された |
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遊就館:伊東忠太の設計 |
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遊就館:戦後、富国生命保険相互株式会社の本社事務所として昭和55年まで使用された |
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遊就館前の鯱 |
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母の像:子供を育て上げた戦争未亡人への敬意を込めて建てられた(昭和49年1974)。 子を抱く「聖母」の姿とみることも。 |
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遊就館・展示室にある零戦 |
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八九式十五糎加農砲 |
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明治15年竣工当時の遊就館:イタリア人によるイタリア古城式の建物 |
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大手水舎 |
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大手水舎 |
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大手水舎 |
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青銅製大燈籠 |
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高燈籠:靖国神社正面の常夜灯として明治4年(1871)に建設された |
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品川弥二郎銅像:台座は辰野金吾の設計による |
〇千鳥ヶ淵戦没者霊苑
千鳥ヶ淵の桜並木の通りを歩ていくと、千鳥ヶ淵戦没者霊苑がある。こちらは、国が設置した戦没者慰霊施設で1959年に創設された。
六角堂には、海外で戦没されたご遺骨(37万柱あまり)が納められている。
この六角堂を含め建物は谷口吉郎の設計による。伊東忠太の建物とは違い、静謐な空間に近代的なスマートな建築となっている。
庭園は田村剛によるもので、4000本の樹々が植えられた。「社」に多くの木々が大きく育ち「杜」となっている。
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千鳥ヶ淵戦没者霊苑:設計は谷口吉郎 |
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千鳥ヶ淵戦没者霊苑・六角堂 |
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千鳥ヶ淵戦没者霊苑・六角堂に参拝する人の姿 |
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古代の豪族の寝棺を模した陶棺が設置されている |
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海外で戦没した37万人あまりのご遺骨が奉安されている |
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4000本の樹木が植樹された |
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千鳥ヶ淵の道で |
〇乃木神社
赤坂にある乃木神社は、乃木希典と静子夫人を祀る神社。乃木夫妻が明治天皇大喪の日に自刃した邸宅の隣地に大正12年(1923年9に創建された。
明治期以降、幕末の志士や軍人など人が神として祀られる神社が建てられた。
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乃木神社 |
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乃木家祖霊舎 |
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辻占売り少年の銅像 |
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赤坂王子稲荷神社 |
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拝殿 |
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正松神社:吉田松陰と松下村塾開祖の玉木文之進が祀られている |
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二の鳥居 |
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拝殿 |
◎これらの英霊・慰霊の社に、戦争の歴史を身近に感じる異空間とともに、参拝する人の姿に、平和を祈る静謐な空間を感じました。
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