2023年2月11日土曜日

「亜欧堂田善」展を観た~千葉市美術館


「亜欧堂田善」展のポスター

千葉市美術館・入口

千葉市美術館で開催されている「亜欧堂田善」展に行ってきました。亜欧堂田善 の没後200年を記念した企画展で内容も充実していました。


1.亜欧堂田善(1748-1822)

亜欧堂田善は、1748年に現在の福島県須賀川市に生まれた。兄の染物業を手伝いながら生来絵が好きで、画僧・月僊に学ぶが、絵師として生計を立てるまでには至らなかった。田善47歳の時、白河藩主・松平定信に見出され、谷文晁に師事することになり、さらに江戸に出て銅版画を修得することを命じられ、本格的に西洋画法を学び始めた。

「亜欧堂」の堂号は、定信が「亜細亜(アジア)と欧州(ヨーロッパ)両大陸を眼前に見る心地す」と賞して授けられた号であり、「田善」は本名の「永田善吉」の姓と名の二文字をとったものである。

江戸に出て、銅版画を学んだが、これは定信に仕えていた蘭学者・森島中良らによるオランダ語からの翻訳の協力により、技術を習得したとされる。日本で銅版画を初めて行ったのは司馬江漢だが、田善の銅版画は、それを上回る出来栄えで、江漢から「日本に生まれし和蘭人(オランダ人)」と言われたという。


司馬江漢(1747-1785)と 亜欧堂田善は、ほぼ同世代であり、同じ時代には秋田蘭画といわれる洋風画を描いた小田野直武(1750-1780)、佐竹曙山(1748-1785)らが活躍した。

洋風画の第一期は、安土・桃山時代に、キリスト教の伝来とともに南蛮画といわれる宗教画があり、第二期は江戸時代の蘭学による長崎蘭画、秋田蘭画があり、さらに司馬江漢、亜欧堂田善らの洋風画がある。その後、明治維新を経て、高橋由一らによる西洋画(油絵)が本格的に始まる。


田善は、銅版画により、西洋の原画の模写ばかりでなく、日本の風景や風俗を描写した。「銅版画名所東都図」は西洋技法を自家薬籠中のものとして、江戸の日常を活写した田善の代表作である。田善の銅版画の技量の極めつけは、医学入門書『医範提綱』に付けた人体図版と高橋景保の『新訂万国全図』に付けた世界地図を銅版画で彫り上げたものである。これらは、定信の所蔵する蘭学書にもとづいて、西洋の知を追求するため、田善の銅版画の技術が生かされた実用書となっている。

日本での人体解剖図といえば杉田玄白らによる『解体新書』(1774年)がよく知られているが、その図版を描いたのは秋田蘭画の小田野直武であった。ただし、この図版は木版で作られた。銅版画での精緻な図版は亜欧堂田善の技によって成し遂げられた。

定信は、銅版画技術を「海防」に、そして「解剖」にも必要な技術として、田善に学ばせ、その成果がこれらの精緻な図版となったのである。

「銅版画名所東都図」

「金龍山浅草寺之図」

「品川月夜図」

「今戸瓦焼之図」

「桜田馬場射御之図」

「医範堤綱内象銅版図」

「医範堤綱内象銅版図」

「新訂万国全図」

また、田善は油彩画により、江戸の風俗や風景を西洋画風に描いた。とりわけ「浅間山図屏風」は、雄大な浅間山(富士山のように見える)を六曲一双の屏風に描いた大作であり、その制作過程にかかわる資料も近年発見され、田善の西洋画を日本の風景に適用しようとする迫力を感じさせる。

「浅間山図屏風」

「浅間山図屏風」部分・田善こだわりの煙

「江戸城辺風景図」

今回の展示において、「テンセン」とカタカナ表記のある江戸名所図の作品をまとめて展示してあり、これらは、田善とは別人の作品ではないかという問題提起の解説が付けられていた。そういわれて観ると、たしかに田善の作品とは異質な感じがする。とくに人物画が特異に思われ、これまでとは違う見方をすることができた。では、「テンセン」とは何者なのか?それはこれからの研究課題のようだ。

アヲヲテンセンの銘のある「ミツマタノケイ」

亜欧堂田善(永田善吉)は、47歳の時に定信に見込まれて西洋画、銅版画に取り組んだ。その姿勢は、江戸の職人気質にあるとも言えようが、西洋の知や技を吸収し、新たな銅版画や西洋画を日本の文化や知識の向上に役立てようとするものであったといえるだろう。田善の一連の作品を通じて、そうした創造力を人生の後半に成し遂げたエネルギーに驚嘆した。(そういえば、50歳を過ぎ隠居後に日本地図の作成に生涯を尽くした伊能忠敬(1745-1818)もこの時代の人であった。)


田善の人生の転換をもたらしたのは松平定信との出会いであったが、田善の作品の転換をもたらしたのは明治天皇との出会いであった。明治9年(1876)に明治天皇は東北巡幸の際に須賀川の御在所に立ち寄り、そこに掲げられていた田善の作品を御買上になった(現在は三の丸尚蔵館に所蔵されている油彩画「水辺牽馬之図」)。この出会いをきっかけに田善に対する認識が新たになり、画業の顕彰と作品の保存が早くから行われた。今回の展示にも、作品のみならず、銅版画の原板や、制作用具など多くの資料が須賀川博物館の所蔵品として展示されていた。

そうしてみると、亜欧堂田善は2度の幸運に巡り合えたということだろう。

参考:

図録『亜欧堂田善』 2022

『司馬江漢と亜欧堂田善』 金子信久 東京美術 2022

2.千葉市美術館

千葉市美術館は、1995113日に千葉市中心市街地の一角に中央区役所との複合施設として開館した。

美術館は、近世・近代の日本画、とりわけ浮世絵を初めてする版画を多くコレクションしており、特徴ある(どちらかというとマイナーな)企画展を開催している。今回の亜欧堂田善展も江戸絵画、その銅版画を含むという共通項があることから、田善の故郷、福島県立美術館との共同開催となったという。

千葉市美術館の初代館長は辻惟雄であった。辻は、江戸絵画の専門家で、伊藤若冲などを『奇想の系譜』として論じ、近世以降の日本美術史を変えたとまで言われる。

開館記念の展覧会は、「喜多川歌麿」展で大英博物館との共催であった。また房総出身の浮世絵の祖といわれる「菱川師宣」展、奇想の画家のひとり「曾我蕭白」展などユニークな企画展が次々に開催された。

そのあとの館長は、小林忠が1999年に就任した。小林は浮世絵研究の大家である。伊藤若冲、酒井抱一、岩佐又兵衛、そして千葉にも関わりの深い田中一村などを企画紹介した。つぎは2012年に河合正朝、水墨画の研究家。現在は日本近代美術史が専門の山梨絵美子が2021年に館長に就任している。

千葉市美術館・入口

千葉市美術館・入口通路

千葉市美術館・7階~8階の階段

美術館の建物は、旧川崎銀行千葉支店を「さや堂」として、新しい建物で包み込むように設計された。旧の建物は、建築家・矢部又吉の設計により、昭和2年に川崎銀行千葉支店として建設された建物で、ネオ・ルネッサンス様式の重厚な建物である。

矢部又吉(1888-1941)は、明治末期から昭和初期にかけて活躍した建築家で、妻木頼黄(つまきよりなか)に師事し、川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけた。

妻木は、ジョサイア・コンドルに学び、辰野金吾の後輩にあたるが、国会議事堂の設計に当たり、辰野と争ったが、お互い実現を見ずに亡くなった。なお、稲毛海岸にある千葉トヨペットの本社社屋は、妻木の設計によるもので、日本勧業銀行本店として明治32年(1899)に建築され、その後、勧業博覧会の本館、迎賓館として使用されるなど、幾多の変遷を経て千葉市役所庁舎として使われたあと、千葉トヨペットに昭和40年(1965)に無償譲渡され、国の登録文化財となっている。

「さや堂」・旧川崎銀行

柱頭・ギリシア建築のモチーフ


柱頭・ギリシア建築のモチーフ

「さや堂」・旧川崎銀行外観

「さや堂」・旧川崎銀行・扉

重厚な扉

重厚な扉

「さや堂」・旧川崎銀行内部

旧川崎銀行内部

旧川崎銀行内部・ブラケット照明器具

旧川崎銀行内部

木製の柱頭・ギリシア風

大理石の柱

大理石の柱

床モザイクタイル・ドイツ製

床モザイクタイル・ボーダー部分とランタン部分

床モザイクタイル・ドイツ製

床の木目

新しい建物は、大谷幸夫の設計によるものである。銀行であった旧の建物を保存し、新たに美術館と新庁舎の機能を満たす建物とするため、日本の伝統工法である鞘堂方式で、包み込んだ。大谷幸夫(1924-2013)は、丹下健三の片腕として広島平和記念資料館や旧東京都庁舎の設計に携わった。また、京都国際会議場、万博の住友童話館などの設計を手掛けている。東大教授を定年後は千葉大学建築科で教鞭をとった。

この建物自体が、美術館のコレクションのひとつといえるほど歴史的、芸術的価値を持つものである。

参考:

『若冲が待っていた 辻惟雄自伝』 辻惟雄 小学館 2022

千葉市美術館・外観

千葉市美術館・外観・県中央にある千葉市の地図をデザイン

千葉市美術館・外観

久しぶりに千葉市美術館で充実した展覧会をじっくり見ることが出来ました。この「亜欧堂田善」展は、すでにNHK日曜美術館でもとり上げられましたが、会期は226日までです。なお、一部の作品に限って「カメラOK」でした。

また、美術館の建物もじっくりと観ることが出来ました。これまで何度かこの美術館を訪れてはいましたが、建物そのものをじっくり観て、写真を撮ったのは初めてでした。

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