2025年10月4日土曜日

東京異空間348:高島野十郎展@千葉県立美術館

 


高島野十郎展@千葉県立美術館を観てきました。猛暑続きで、出掛けるのが会期終了(9月28日)間際になってしまいました。今回の展覧会は、没後50年の、初公開を含む約150点の展示となる、過去最大の規模の回顧展だということです。実は、2006年に三鷹市美術ギャラリーで開催された没後30年の回顧展を観に行って、強い印象を持ちました。この時は、入口の自画像から衝撃的な作品で、終盤の蝋燭の小品には、静謐な祈りのようなものを感じました。その感動もあり、今回は、自画像、蝋燭、月、太陽を描いた作品をまとめてみました。

なお、ほとんどの作品が撮影可となっていました。

1.高島野十郎(1890-1975

福岡県久留米市の醸造家に生まれる。本名は彌壽(やじゅ)ーますます長寿という意味。長兄の宇郎は詩と禅修行に没頭していた(後年、鎌倉建長寺で得度している)。その友人に画家・青木繁がいた。彼等が野十郎の画業に大きな影響を与えたとされる。

中学卒業後、東京美術学校への進学を希望したが、父に反対され、第八高等学校(名古屋)に進学する。同校には動植物担当教授でハス博士の大賀一郎がいた。卒業後、東京帝国大学農科大学水産学科 に進む。首席で卒業する 。卒論は『魚の感覚』 。以後は独学で画家の道を進む。



学生時代の魚のスケッチ図




2.自画像

野十郎の自画像は現在のところ4点だけが知られている。それらは東京帝国大学在学中の20歳代半ばから、卒業後本格的に絵を描き始めた30歳代前半頃に描かれた、画業の初期のもので、そこから彼の若き日の姿をうかがい知ることができる。

(1)《傷を負った自画像》 大正3-5年、20歳代

大学時代に描いた自画像。首と脛から血が流れ、眉間にしわをよせ、何かを訴えるかのような口元、しかし、目はどこか虚ろであり、苦痛に満ちた表情である。この絵を描いたのち、野十郎は学問の世界から画家として生きる道を選んだ。




(2)《絡子をかけたる自画像》 大正9年、29歳。

「絡子」とは禅宗でも用いられる法衣の一種で、兄・宇郎の影響があるとされる。




(3)《リンゴを手にした自画像》 大正12年、33

袈裟を身につけ、リンゴを右手に持ち、左手は印を結ぶようなしぐさである。自画像の中でもひときわ謎めいている。袈裟は、炎のゆらめきのように皺がよっている。






(4)《煙草を手にした自画像》 戦前

静かな面持ち、背景には書物や懐中時計、壁に貼られた絵などが意味ありげに描かれている。最近判明した、野十郎が東京農業大学で非常勤講師をしていた時期(大正7年から数年間)のものか。やはり、着ているコートの皺は、やはり炎のゆらめきのように波打っている。




3.光と闇

蠟燭や月、太陽をテーマとした連作は、光と闇という対極にある現象の追求した、野十郎の画業を最も特徴づけるものとなっている。野十郎が描いた様々な光は、見る者の心の内まで照らし出すかのような静かな力に満ちている。そこには、兄・宇郎から受けた仏教に裏付けられた独自の思想があるようだ。仏教では「光明(光)とは智慧のかたち」とされ、仏の知恵と慈悲を讃える意味があるとされる。

(1)蝋燭

野十郎は「蝋燭の画家」と呼ばれるように、数多くの《蝋燭》を描いた。そのほとんどがサムホール (25×16)という極めて小さい画面に一本の蝋燭が描かれる。炎の輝きや軸の太さや長さはそれぞれ異なり、蝋燭が一体何を照らしているのか、ゆらめく炎をみていると、その神秘的、宗教的な雰囲気に引き込まれていく。

野十郎は、これらの《蝋燭》を自分にとって大切な人へ感謝の気持ちを込めて描き、一枚一枚手渡したという。蝋燭自体が、仏教的な意味合いを持っており、それを贈るという行為は、仏教でいう献灯の儀を想起させる。



































(2)月

野十郎は、1960(昭和35)年に、東京オリンピックに伴う道路拡張計画により青山の住まいから千葉県柏市にアトリエを設けた。この頃の柏はまだ森や田畑が多く残り、夜は暗く、野十郎は好んで月を画題とした。「月ではなく闇を描いている。月は闇を除くために開けた穴です」 と語るように、暗闇の中に浮かぶ月というきわめて抽象化された風景を描いた。また、月とは観音様が現れ出る穴だとも言い、円相は「慈悲」を表わす、野十郎の仏教的な思惟からくるテーマであった。

《月》 1962(昭和37)年





《有明の月》 1951(昭和36)年以降 




《夕月》 1961(昭和36)年頃 

野十郎は、豊かな自然にいだかれた柏の地を「パラダイス」と呼び、心から愛したという。




《山の夕月》 1940(昭和15)年

秩父山中の風景で、秩父の札所巡礼を好んだ野十郎にとって馴染みある風景であった。




《満月》 1963(昭和38)年頃 

漆黒の闇に輝く満月。月を取り囲むように樹木のシルエットが浮かぶ。光と闇は相関関係にあり、光の明るさと闇の深さが両者を一層際立たせている。





(3)太陽

《太陽》 1961(昭和36)年以降

太陽の中心部分は、光のかたまりを表わすかのように絵具を盛り上げて描かれ、そこから放射状に色の点描を置くことで光の広がりを表現している。





《田園太陽》 1956(昭和31)年

沈みゆく太陽から降り注ぐ光が田園を真っ赤に染め上げている。ファン・ゴッホへの憧れか。





《林中の太陽》 1948(昭和23)年以降 

鬱蒼とした林の中にまばゆいほどの光を放つ太陽が描かれている。樹々の向こうから放ったれる太陽の光に神々しさが込められているかのようである。




《太陽》 1975(昭和50)年

太陽の中心部は光源の塊を示すかのように絵具を厚く盛り上げ、そこから光の広がりを表現している。青い空には青や緑だけでなく黄色やオレンジ、城などの色が点描で置かれ、様々な色が溶け合って青い空に無限に広がっていく。太陽の逆光を受けた松の木はまるで太陽をやさしく包み込むようである。





《無題》 1967(昭和42)年

野十郎は、闇を捉える究極的な手段として目を閉じることを思い立った。太陽という絶対的な光を見つめたあと、目を閉じて、その残像を感じ、それを抽象画のように描いた。





《秋陽》 1967(昭和42)年

今まさに沈もうとする夕日、眼が眩むほどの光に照らされた草木は、前景に濃く暗い影を作り出している。暗がりの中には白いススキが見える。光と影のドラマティックな対比が情感豊かに描き出されている。




《林辺太陽》 1967(昭和42)年

くねった樹木が両脇から太陽を囲む。くねった木の形は、蝋燭の炎のゆらめき、自画像の衣服の皺と同じで、野十郎の特徴である。






高島野十郎を代表する「光と闇」~蝋燭、月、太陽を観てきましたが、他にも風景画、静物画など写実的な絵画は、観る人に感動を与えてくれます。そこには、蝋燭などにみるように、仏教的な思惟があり、神秘的、静謐な画面に魅入られてしまいます。

千葉での展覧会はすでに終わりましたが、このあと福岡、大阪などを巡回し、来年には東京でも開催されるようです。どこの美術館か、まだ決まっていないようですが、是非また観に行きたいと思っています。

なお、千葉県立美術館では、このあと「撮る、物語る」という企画で、千葉にまつわる写真や、千葉ゆかりの古写真のコレクションなどが展示される千葉県美術館としては初めての写真展が予定されています(11/151/18)。これもまた、観に行きたくなる展覧会です。


千葉県立美術館

最近では、次のような展覧会を観に千葉県立美術館に行っています。

(参照):

東京異空間178: アーツ・アンド・クラフトとデザイン展@千葉県立美術館2024/2/8

東京異空間336:千葉で美術館巡り2~千葉県立美術館2025/7/19


天井も高く広い展示場


千葉みなと・ポートタワー

千葉みなと・ポートタワー

近くを走るモノレール


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