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千葉県立美術館 |
千葉県立美術館に行ってきました。いまは「アーツ・アンド・クラフトとデザイン展」(会期:3月24日まで)が行われていました。この美術館は千葉みなとに建てられた広い美術館です。
1.「アーツ・アンド・クラフトとデザイン」展
この展覧会は、「アーツ・アンド・クラフツ運動」の中心人物であるウィリアム・モリス(1834-1896)をはじめとした作家たちによる家具やガラス製品、宝飾品、壁紙、書籍などの作品と、その運動の影響を受けた浅井忠をはじめとする県ゆかりの作家たちの作品が展示されている。
アーツ・アンド・クラフツ運動は、英国・ヴィクトリア朝の時代(1837-1901年の期間)に、産業革命の結果として安価だが粗悪な商品があふれ、こうした状況を批判し、中世の手仕事に帰り、生活と芸術の一致を主張した。モリス商会を設立し、装飾された書籍(ケルムスコット・プレス)やインテリア製品(壁紙、家具、ステンドグラス)などを製作した。
しかし、モリス商会の製品自体が高価なものになってしまい、結局、裕福な階層にしか使えなかったという批判もあるが、生活と芸術を一致させようとするモリスの運動は、各国の芸術にも大きな影響を与え、アール・ヌーボー、ウィーン分離派、ユーゲントシュティールや、米国でも運動が起こり、フランク・ロイド・ライトもその一人である。また、日本では柳宗悦の「民藝運動」にも影響が見られるといわれる。千葉・佐倉出身の浅井忠の作品にも影響があるということで、その作品が展示されていた。
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ウィリアム・モリス |
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ウィリアム・モリス「格子垣」1864年 |
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キャビネット・肘掛け椅子 1890年頃 |
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ウィリアム・モリス『ユートピア便り』ケルムスコット・プレス1892年 |
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ダンテ・G・ロセッティ『ソネットと抒情詩』ケルムスコット・プレス1893年 |
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ウィリアム・モリス『S・T・コウルリッジ詩選』ケルムスコット・プレス1896年 |
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ウィリアム・モリス『アミとアミールの友情』ケルムスコット・プレス1894年 |
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ウォルター・クレイン「夏」1870年 |
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ウォルター・クレイン「ミュージック」1870年 |
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ウォルター・クレイン「孔雀」1860-70年 |
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C・F・A・ヴォイジー「ふくろう」1899年 |
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フランク・ロイド・ライト「ステンドグラス」 |
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浅井忠「図案画稿(花木)」 |
この展覧会は、「千葉県誕生150周年記念・企画展」とされ、この企画展以外にも、常設展として、多くの彫刻が展示されていた。この美術館には以前、佐倉市出身の鋳金工芸作家・津田信夫(しのぶ)(1875〜1946) の作品の展覧会(2016-2017)が開かれ、見に来たことがある。
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常設展・彫刻 |
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武本大志「獄卒」 |
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武本大志「獄卒」 |
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アントワーヌ・ブールデル「聖母子像」 |
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アントワーヌ・ブールデル「聖母子像」
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2.大高正人
千葉県立美術館は、1974年に開館した。設計は建築家、都市計画家である大高正人(1923-2010)による。
特徴として、埋立地に建てられたことから、約1万坪(33,000㎡)の敷地に平屋建ての全8室からなる展示室は、全室を通じて段差がなく、見やすくなっている。
大高正人は、福島県三春町に生まれ、
旧制浦和高等学校から、1944年、西千葉にあった東京帝国大学第二工学部建築学科に進学した。その年末近くに教練の授業中、青空に一条の飛行展雲を見たのにはじまって、東京大空襲の大きな火柱や銃弾が下宿部屋の押し入れをぶちぬいたという
千葉市の空襲を体験した。1949年、東京大学大学院修了後に前川國男建築事務所に入った。
そうした千葉での体験からか、大高は、県立美術館以外にも、亥鼻公園の丘陵地に建つ千葉県立文化会館(1968年)、千葉県立中央図書館(1970年)といった建物の設計、さらに千葉港中央地区公園
(1968年-1969年)、千葉中央港業務センター配置計画
(1969年)、千葉港周辺計画(1968年-1970年)といった千葉港の整備計画などを手掛けている。
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千葉県立美術館 |
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千葉県立美術館 |
3.千葉県誕生150周年
この展覧会は「千葉県誕生150周年記念・企画展」として、150周年記念事業の一つとなっている。
明治6年(1873)6月15日、印旛県と木更津県とが合併し、千葉県が誕生し、千葉郡千葉町(現・千葉市)に県庁が置かれた。その経緯をみると、明治4年(1871)の廃藩置県により、全国には3府302県が誕生したが、この時には千葉県は誕生していない。房総3国では、小藩が多数存在し藩名をそのまま引き継いで24県が存在していた。その後、全国的な府県の統廃合が実施され、房総3国内には印旛県・木更津県・新治県が新たに誕生した。さらに明治6年(1873)に、木更津県と印旛県が統合して千葉県となった。このとき、
新治県(現在の茨城県南部と千葉県東部に当たる。県庁所在地は土浦町)
は合併対象にならず、香取・海上・匝瑳の東総3郡は千葉県の誕生時には県域に含まれなかった。千葉県の姿がほぼ今の状態に確定するのは、明治8年(1875)の新治県の分割編入時であった。江戸幕府が瓦解し、廃藩置県で多数の県が誕生したが、千葉県の誕生やその在り方は全国でも極めて希有なケースであった
とされる。
また、明治6年(1873))には、歴代として初めて明治天皇が千葉県下に行幸し、大和田原を「習志野原」と命名した。以来、首都防衛を名目に、習志野をはじめ千葉、市川、柏、松戸、佐倉、茂原、木更津、富津、館山など多くの軍事拠点が造られた。その中でも千葉市は、千葉連隊司令官をはじめ多くの軍学校や軍営施設が造られたことから、「軍都千葉」と呼ばれた。
戦前は、東京に近いことから、軍事施設も造られ、先の大高正人のように空襲の体験をすることになった。現代では、東京に近いことから、新東京国際空港(成田国際空港、1978年)、東京ディズニーランド(1983年)などがつくられ、いずれも「千葉」でなく「東京」を名前に付けている。また、千葉市から北西部の、船橋、浦安、市川、柏、松戸などは、東京へ通学通勤し、一日の大半を東京で過ごす人が多く、「千葉都民」とも呼ばれている。
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千葉県庁(ウィキペディアより) |
千葉県立美術館を久しぶりに訪れましたが、この展覧会が千葉県誕生150周年の記念企画であることは知りませんでした。千葉のことをあらためて知る機会にもなりました。
(参照):「千葉の湊~千葉港~千葉みなと」(2024/02/02)
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