中野の哲学堂に行ってきました。ここは5年ほど前に訪ねています。そのときは哲学堂を一回りしましたが、今回は特別展「幽霊画」を中心に観てきました。哲学堂をつくった井上円了は、「妖怪博士」とも言われています。哲学堂にある幽霊や天狗などの「妖怪」をまとめてみました。
(参照):
1.哲理門・天狗と幽霊
まずは哲学の世界への正門にあたる哲理門。「哲理」とは、人生や世界の本質などに関する奥深い道理を意味して、それらを探究することが哲学であるとする。その門の両脇に天狗と幽霊が設置されている。井上円了にとって天狗や幽霊は、人々の無知や誤解が生んだ迷信であり、そうした迷信を戒める象徴として「天狗像」と「幽霊像」が置かれている。そこから、別名「妖怪門」とも言われる。
「妖怪学」という学問も、この円了の哲学観に関係している。妖怪に関する伝承・ 伝説は、「これは幽霊だ」「天狗の仕業だ」「鬼神のたたりだ」「狐狸は人を欺く」といった現象の説明ではあるが、その原理の解明ではない、と円了は言う。哲学を下敷きとした合理的精神をもって様々な妖怪の原理を追求して行けば、諸伝説・伝承の妖怪は「仮怪」(かりのあやかし)として雲散霧消してしまうだろう。そして、その時この森羅万象を成立させている本当に不思議な原理だけが残る。それが、円了のいう「真怪」(森羅万象を成立させる原理)であった。
2.絶対城・幽霊画
特別展の幽霊画は「絶対城」に展示されていた。絶対城は、円了の蔵書を中心とした書籍を公開する図書館として設置された。円了は、万巻の書を哲学界の万象と見立て、それを読み尽くせば「絶対の妙境」に到達できるという道理を示して、図書館機能を有する建物を「絶対城」と名づけた。
円了は、全国各地を巡回して一般民衆を対象に哲学の普及や迷信打破を説く講演活動を行っておりその際に、妖怪伝説や不思議な現象に関する情報を精力的に収集した。また、 幽霊画のコレクターでもあり、日本画家に依頼して幽霊画を描かせている。次のような幽霊画が展示されていた。
乱れ髪の幽霊 粕谷素山 大正
抱子幽霊画 間宮章堂 年代不詳
墓場の幽霊 作者不明 大正
娘の幽霊 渡辺秋渓 明治43年
枕返しの幽霊 円山応挙 年代不詳
男子幽霊画 西郷孤月 明治44年
骨立幽霊図 下村為山 昭和40年代
3.無尽蔵・天狗の瓦
「無尽蔵」は、円了が行った3回の世界旅行と、全国巡講したおりに蒐集した各地の品々を展示している建物で、博物館の機能を担っている。1階は「万象庫」、2階は「向上摟」と名づけられている。ここにも、天狗など妖怪なもの、珍奇な物が展示されている。(大部分は中野区歴史民俗資料館に保管されている)
井上円了像 右にお多福・真ん中は烏天狗:「福を呼ぶ」「魔除け・厄払い」といった縁起の良い意味合いを重ね合わせ、より強いご利益を願う。
六賢台の天狗の瓦
閻魔図
幽霊像
仏像など
4.鬼燈と狸燈
鬼燈:唯心庭の心字池の淵に置かれている。「無尽蔵」にある古い写真を観ると、当初は頭に燈籠を乗せていたことが分かる。唯物園の狸燈に対した燈籠で、人の心中に宿る鬼にも良心の光明は存することを寓している。悪念や妄想は心の鬼の為だが、このうちにも良心の光明があり、その良心に圧倒され苦しんでいる状態を表わしている(人心観を表す)
| 頭に燈籠のある古い写真 |
狸燈:唯物園に置かれている。人間の心情には狸(化かし合い、欺く)に類するものがあるが、時には光輝ある霊性を発することもあるとして腹中に光(燈籠)を仕込んである。(人生観を表す)
5.田中良雄(1880-1945)
これまで観てきた天狗や幽霊などの妖怪たちの像を作ったのは、田中良雄という彫刻家である。良雄は、江戸から8代続く鍛冶の家に生まれ、東京美術学校で高村光雲に学んだ。
良雄の作品には、次のようなものがある。
〇哲理門の天狗像と幽霊像
〇無尽蔵にある幽霊像、さらに、井上円了像、天狗の瓦の原型などは良雄の作と思われる。
〇鬼燈と狸燈
そのほかに、妖怪ではないが、聖人などの肖像を刻したものなど次のような作品がある。
〇絶対城に置かれている聖哲碑の四聖像(孔子・釈尊・ソクラテス・カント)の線刻
四聖像は、良雄の弟である百嶺が橋本雅邦の原画を写した線画に基づいて、良雄が陰刻 したと伝えられる。
聖哲碑の前に立つ井上円了のパネル 聖哲碑と孔子像 四聖像 四聖像 孔子像
〇三学亭の天井に掛けた石額(神道:平田篤胤・儒教:林羅山・仏教:釈凝然 ) の線刻
三学亭 儒教:林羅山 仏教:釈凝然 神道:平田篤胤 石額の線刻は、はっきり見えないが、図のような肖像が彫られている
〇筆塚:良雄が木彫の原型を作り、石工に彫らせた。筆塚は、円了が各地に講巡した際、揮毫して寄付を得て、哲学堂の資金としたことを記念して作られ、対応する硯塚は三学亭の下に置かれている。
〇円了の墓石:墓所は哲学堂公園の向かいの蓮華寺 にあり 井上円了が生前にデザインした、「井」桁の上に「円」形の石を乗せ、井上円了を表わすという、独特な墓石である。
これは、設計は哲学堂の建築を設計した山尾新三郎、円盤の文字は梵語学者の南條文雄、側面の墓碑銘は漢学者の土屋弘(鳳洲)によるもの。円了が逝去した翌年の1920(大正9)年に建てられた。
なお、山尾新三郎(1850-1936) は、井上円了の思想に基づき、哲理門や四聖堂、六賢台など哲学堂の建築を設計、施工した宮大工である。
今回は、六賢台などの建物の内部も見学できました。また、園内には到る所に哲学に由来するユニークな名前の坂や橋などが点在し、それらを「七十七場 」と称しています。これにより、井上円了の思想と世界観を垣間見ることができると言います。次回、訪ねたときにはこの七十七場所をゆっくり廻って観たいと思います。


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