中野の哲学堂公園に行ってきました。ここは井上円了が、哲学世界を視覚的に表現し、精神修養のための場として創設した公園です。
1.井上円了(1858-1919)
新潟県長岡の真宗大谷派の寺の長男として生まれた円了は、東京大学哲学科の一期生として、お雇い外国人アーネスト・フェノロサに哲学を学び、「真理は哲学にあり」と確信した。西洋の「Philosophy」を西周が「哲学」と訳したが、まだ一般には知られていなかった。この日本では未知なる学問を積極的に普及するため、私立学校「哲学館」(現在の東洋大学)を創立するとともに、「余資なく、優暇なき者」でも学べる場を作るべきであるという考えから巡回講演活動をはじめ社会教育活動に力を注いだ。また哲学を通じた精神修養の場として私設の哲学堂をつくり、一般に公開した。いまは中野区立の公園として、また国の名勝にも指定(2020年3月)されている。
2.哲学堂公園
井上円了は、哲学の聖人として、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を1904年(明治37年)に建設した。この四聖堂を当初「哲学堂」と称し、そのまま公園の名となった。その後、哲理門、六賢台、三学堂などの建築物が整備され、公園内には哲学に由来する七十七場が設けられた。円了自ら『哲学堂案内』を書き、七十七の場について「これらの名目を一々説明すれば、哲学の大意が分かるように工夫したつもりである」と述べている。そのいくつかを歩いて見てみよう。
正門となる「哲理門」の両脇には、仁王像の代わりに「幽霊像」「天狗像」が置かれていて、「妖怪門」とも呼ばれている。門柱には「棹論理舟遡物心之源」(論理の舟に棹さし、物心の源に遡る)と「鞭理想馬登絶対之峰」(理想の馬に鞭打ちて、絶対の峰に登る)という漢詩がはられている。
本堂ともいうべき「四聖堂」には、孔子、釈迦、ソクラテス、カントを祀り、四方に「孔聖」「釈聖」「瑣聖」「韓聖」と書かれた扁額で表わしている。堂内には釈迦の涅槃像が置かれている。中央に置かれた石柱には「南無絶対無限尊」と刻まれ本尊と位置付けられている。
三重塔にも似た「六賢台」は三層の正六角形の建物で、屋根瓦には天狗がついている。この六賢とは、日本から聖徳太子、菅原道真、中国から荘氏、朱子、印度から龍樹、迦毘羅の6人を奉崇している。
「四聖堂」には西洋・東洋から4人、「六賢堂」には東洋から6人、そして「三学堂」には日本から3人、平田篤胤、林羅山、釈凝然という神道、儒教、仏教の三道が選ばれている。
庭園内に置かれた「三祖碑」には、中国の黄帝、印度の足目仙人(アクシャ・バーダ)、希臘の多礼須(タレス)の三人の顔が刻まれている。
円了が取り上げた、これらの哲人の中には、キリストとマホメットが含まれていない。円了は、この二人は哲学者ではなく宗教者として位置づけているのか。キリスト教の布教が活発となるこの時期、円了は、既存仏教改革、キリスト教批判を展開していた。
建物は四聖堂の前にある平地を「時空岡」と名付け、その周りに六賢台をはじめ、「絶対城」「宇宙館」「無尽蔵」「髑髏庵」などが建てられている。
「絶対城」は、図書館・読書室で、万巻の書を読み尽くせば絶対の境地に達するを得るということから名付けられた。堂内には「聖哲碑」という、やはり四聖の肖像が描かれた碑が掲げられている。
「無尽蔵」は、陳列館で、円了が収集した珍奇なもの、妖怪なものなど玉石混交のものが陳列されていた。(現在は、中野区歴史民俗資料館に保管されている)
「無尽蔵」の階上を「向上楼」、階下を「万象庫」と名付けている。
また円了は、迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。円了にとって、妖怪研究は人類の科学の発展に寄与するものであった。園内にも様々な妖怪が住んでいるので、いくつかを見て行こう。
「哲理門」の両脇には幽霊像と天狗像が置かれている(現在はレプリカで、本物は中野歴史資料館に保存されている)。「六賢台」の屋根瓦には天狗が置かれている。(取り外された天狗の瓦が無尽蔵に陳列されている)。
「唯物園」と呼ばれるところには「狸灯」が置かれている。狸は人を化かすが、人間も詐偽や嘘いつわりを語るなどして悪いことをする。しかし、そうした腹黒さの中にも、ときに光輝ある霊性が宿ることがあることから、狸の腹に灯籠を仕込んでいる。このような世界は、人間の真情を表わしてもいる。
「唯心庭」と名付けられた池は「心字池」といわれ、その淵には「鬼灯」が置かれている。先の狸灯が人生観とすれば、この鬼灯は人心観を表している。人間の心の中に妄想や悪念が宿るのは心の鬼のためだが、しかしその心の内には良心の光明がある。鬼が灯籠(良心)を抱きつつ、その良心の光に圧倒させられ、苦しんでいる姿になっている。
円了は、真理を探究する哲学者であるだけでなく、哲学の普及を図るための大学をつくる教育者であり、妖怪を研究し迷信を打破していく啓蒙家であり、哲学堂を公園に造る建築家でもある。明治期の日本の近代化にあたり、旧来の因習から人々を解放し、哲学という新たな価値観による精神修養をはかり、国の礎を築こうとした智識人といえるだろう。
円了が唱えた「護国愛理」という言葉は、「理を愛す」すなわち「哲学」であり、それが「国を護る」ことになるという考えであった。そのために円了が私財を投じて作った哲学堂公園は、いまは精神修養の場というよりも、ひとびとの憩いの場となっているが、七十七場を巡ることにより円了の志を体験できる異空間とも言えるだろう。
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「哲学関」・「真理界」:哲学堂への入口。これより先が「哲学上宇宙の真理を味わい、かつ人生の妙趣を楽しむところ」を表す。
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「哲理門」:正門であり、両脇に幽霊像と天狗像があり、妖怪門とも言われる。 |
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「哲理門」の屋根
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「哲理門」・幽霊像(レプリカ) |
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「哲理門」・幽霊像(中野歴史資料館蔵) |
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「哲理門」・天狗像(レプリカ) |
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「哲理門」・天狗像(中野歴史資料館蔵) |
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「常識門」・「一元牆」:来館者は、哲理門ではなく、こちらの門から入る。 |
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「四聖堂」と「六賢台」 |
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「無尽蔵」から:陳列所で、階下を「万象庫」、階上を「向上楼」と名付けている。 |
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「無尽蔵」に陳列してある六賢台の天狗の瓦 |
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「六賢台」 |
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「四聖堂」 |
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「宇宙館」:講義室で、哲学は宇宙の真理を研究する学問であることを説く。 |
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「四聖堂」:本堂であり、四人の聖人、孔子、釈迦、ソクラテス、カントを奉崇する。 |
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「四聖堂」 |
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「四聖堂」 |
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「四聖堂」・「南無絶対無限尊」と刻まれた本尊 |
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「四聖堂」 |
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「時空岡」:この平地に四聖堂、六賢台などの建物が並ぶ。哲学の時間・空間を表す。 |
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「絶対城」:読書堂で、万巻の書を読み尽くせば絶対の境地に達することから名付けた。 |
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「絶対城」 |
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「聖哲碑」:絶対城の中に置かれた四聖人の肖像。 |
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「絶対城」・孔子像
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「六賢台」三層六角の赤い建物。六人の賢人、聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅を奉崇する。 |
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「六賢台」 |
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「三祖碑」:黄帝、足目仙人(アクシャ・バーダ)、多礼須(タレス)の三祖。 |
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「経験坂」:唯物園に至る道。唯物論が経験を階段とし、実験に基づくことから名付けられている。 |
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「客観廬」:休息所(草亭)である。 |
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「狸灯」:唯物園に置かれた狸。腹に灯籠が仕込まれている。 |
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「自然井」:自然に噴出する泉。世界の原動力は天地自然より間断なく発生していることを表わす。 |
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「心字池」:唯心庭にある心の字を形をした池。唯心論の中心は心ということを表す。 |
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「心字池」
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「鬼灯」:心字池の淵に置かれた鬼。鬼が灯籠(良心の光明)を抱き、良心に圧倒され苦しんでいる姿を表す。 |
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「演繹観」:認識路の途中にある傘の形をした小亭。 |
3.円了の墓~蓮華寺
公園のすぐ近くにある蓮華寺に円了のお墓がある。「井」のうえに「円(マル)」をおいて「井上円了」を表しているユニークなお墓だ。いかにも円了の人柄を表わしているようだ。もちろん、生前の自らの意匠だという。
久しぶりに電車に乗り中野の哲学堂に行ってきました。中野には以前住んでいたのですが、哲学堂辺りは車で通ったくらいで、園内を歩いた覚えはありません。井上円了の、いわば執念がこの哲学堂という公園を創ったといえるような気がしました。これも東京異空間の形でしょうか。
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