2019年12月20日金曜日

上野・寛永寺~徳川の歴史を

上野には、東京国立博物館をはじめ、美術館が多くあるので、よく行くことがありますが、寛永寺(本堂)には行ったことがありませんでした。台東区と寛永寺の企画で寛永寺の特別公開に行くことができましたので、上野公園にある寛永寺の諸堂もあわせてみてみました。



寛永寺は、徳川家の菩提寺として、徳川家光を開基、天海を開山として創建された。天海は、比叡山延暦寺をみならい、江戸城の鬼門の方角を守護する寺として山号を東叡山とし、延暦と同様、寛永という年号を用いた寺名(天台宗)とした。
しかし、堂宇の大部分は、上野戦争(慶応4年、1868年)により失われた。盛時には今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたという。 今に残る伽藍を見てみると。
根本中堂(本堂)、清水観音堂、五重塔、東照宮、弁天堂、鐘楼(時の鐘)、上野大仏などが上野公園内にある。
根本中堂(本堂)

根本中堂



清水観音堂

五重塔(動物園の敷地内にある)

東照宮

弁天堂

鐘楼(時の鐘)

上野・大仏(レリーフ)



 特別拝観では、本堂の裏手にある書院で、徳川慶喜が蟄居していたという葵の間を、また歴代将軍(6人)の霊廟(現存する5代綱吉の勅額門、8代吉宗の宝塔など)を見ることができた。
なお、徳川家の菩提寺としては、芝の増上寺(こちらは浄土宗)があり、こちらにも寛永寺と同じく、徳川15代の将軍のうち6人が葬られている。ということはこの2つの寺に12人、では残る3人の将軍はどこに?
まず家康は日光東照宮に、3代家光がやはり日光の輪王寺に、そして15代慶喜は谷中霊園を墓所としている。

上野公園に寛永寺の堂宇を見ると、そこに徳川の歴史を、江戸の空間を感じることができるような気がします。

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