神田川の桜並木 |
早稲田から目白に出て、神田川沿いを歩いて、桜を見てきた。神田川は吉祥寺の井の頭池を水源として、隅田川に注ぐ東京の真ん中を通る川で、全部が開渠となっている。
1.早稲田「ドラード和世陀」
2年前にもこの奇妙な建物を撮りに来た(Googleフォト・2019.7.15)。この建物は、賃貸マンションとなっていて、早稲田出身の建築家梵寿鋼(本名・田中俊郎)が何人かの芸術家と共同して建てたものである。この奇妙な建築から「日本のガウディ」とも呼ばれている。
彼は名前にもこだわり、早稲田を「和世陀」とし、理想郷「エル・ドラード」からドラードを採り、住まいは「寿舞」と、ビルは「美瑠」とする。彼は、「名前の付け方で、建築も関わる人も、大いなる力に向かわせることができる。」と語る。
その建物の前に赤・白のハデな花がマッチしていた。こうした咲き方は「源平咲き」といわれ、平安時代の源平合戦で、源氏が白い旗、平家が赤い旗を用いたことから、こう呼ばれる。梅を始め、桃や椿,躑躅などにもみられる。よく接ぎ木(枝)してあるのではないかと思われるが、突然変異によるものだそうだ。ここの木はシダレのハナモモと思われる。
ドラード和世陀 |
ドラード和世陀 |
2.関口
神田川上水は江戸時代、井之頭池を水源として、ここ関口大洗堰で左右に分かれ、左側を上水として江戸の人口増に対応するために、「天下普請」により整備された。
文京区の関口は、その「堰」があったことから付けられたという。その改修工事には松尾芭蕉が携わったことがあり、この地に住んだのが「関口芭蕉庵」になっている。
近くには「水神神社」があり、鳥居とその奥には大イチョウがある。神田上水が開かれたとき、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」というお告げがあり、ここに関口水門の守護神として祀られてきたという。
水神神社 |
水神神社 |
水神神社・三猿 |
3.権力者の館
この神田川のエリアには、幕末から明治、そして戦後にかけて活躍した政治家たちの館があった。
(1)肥後細川家:肥後細川庭園
幕末には、細川家の下屋敷があった。かっての細川侯爵の邸宅は和敬塾として、また屋敷跡の一角には、美術品などのコレクションを所蔵する永青文庫、さらに肥後細川庭園として整備されている。
細川家は、「美術の殿様」だけでなく、17代・護貞は近衛文麿の秘書官として、18代・護熙は総理大臣になり、政治の世界に入っている。
(2)山縣有朋:椿山荘
神田川の川沿いにはホテル「椿山荘」があるが、ここは山縣有朋が「椿山荘」と命名して作庭を行ったところである。山縣有朋(1838-1922)は、幕末から明治にかけて活躍した軍人、政治家であるが、作庭にも力を入れていた。よく知られているのは小川治平衛(植治)の作庭した京都の「無鄰菴」があるが、無鄰菴と名付けられた山縣邸は3つあるという。最初の無鄰菴は山縣の郷里長州・下関に作られた。二番目は京都の木屋町二条に購入した別邸、そして第三が先の南禅寺参道前に造営した別邸である。さらに小田原にも「古稀庵」という別邸に作庭をしている。
(3)田中光顕:蕉雨園
椿山荘に隣接して田中光顕(1843-1939)の蕉雨園がある。田中は土佐藩出身で尊王攘夷運動に加わり、明治になって、警視総監や宮内大臣として活躍した。
なお、土佐の国佐川の生まれということで、植物学者牧野富太郎と同郷である。
蕉雨園は、非公開であるが、その一角が先に述べた「関口芭蕉庵」となっている。
(4)大隈重信:早稲田・大隈庭園
神田川を挟んで、向かい側には早稲田大学があり、大隈重信の邸宅であった「大隈庭園」がある。大隈は佐賀藩出身で政治家として、そして早稲田大学の創立者、教育者としてよく知られている。大隈と山縣は1838-1922年と、生まれも亡くなった年も同じであるが、大隈のほうが断然人気があったそうである。
(5)鳩山一郎:音羽御殿
戦後の政治家としては、鳩山一郎(1883-1959)の「音羽御殿」といわれた邸宅がある。いまは鳩山会館として公開されている。鳩山家は一郎、威一郎、由紀夫、邦夫と四代にわたり政治家を輩出している。
(6)田中角栄:目白御殿
目白といえば、田中角栄(1918-1993)の「目白御殿」といわれた邸宅がよく知られている。いまは敷地の一部が目白台運動公園となっている。
このように、目白台、その下を流れる神田川、早稲田のエリアは、明治維新から戦後・昭和にかけて政治的な空間があった。いまは、そのほとんどが、ホテルや公園など公共的な場所になっている。時代の移り変わりを反映しているのだろうか。
椿山荘 |
早稲田・大隈講堂 |
永青文庫 |
肥後細川庭園 |
肥後細川庭園 |
肥後細川庭園 |
都電荒川線 |
神田川の両側の桜並木を歩き、目白通りまで出てきた。かって、この近くに住んでいたころ神田川が時々増水して、帰宅困難なことがあったことを思い出した。
こんどは、いくつかの権力者の館跡を訪ねてみたい。
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