足元を見ながら散歩すると、そこにも秋がありました。近くの公園では、ギンナン(銀杏)が一面に落ちていました。また、どんぐりもたくさん落ちていました。木の根元には、たくさんの枯葉が落ちていていました、そんな足元の秋を撮ってみました。
1.銀杏
イチョウは、広い葉をもっているが広葉樹ではなく、裸子植物であるが針葉樹でもない。「生きた化石」ともいわれ植物の中でも特異な存在であるが、身近な存在でもある。
イチョウは、日本には11世紀ごろに中国から入ってきて、神社や寺院などに植えられ広まったとされる。
鎌倉の鶴岡八幡宮の階段横に大きないちょうの木があり、源実朝の暗殺の時に、公暁がこの大銀杏に隠れていたという話はよく知られている。しかし、これは後世の創作と言われている。そう聞くと、歴史ロマンの一つが消えてしまうようだが、樹齢500年あまりというこの大銀杏も、2010年に強風で倒れてしまった。
ヨーロッパにイチョウを伝えたのは江戸時代、オランダ商館の医師であり、植物学者でもあったドイツ人のケンペルによるものだそうだ。既にヨーロッパでは絶えていたイチョウを、オランダやイギリスのキュー植物園で育てたという。
イチョウは雌雄異株で、ギンナンがなるのは雌株である。ギンナンは食用にもされるが、これは果実ではなく種子である。外皮は果肉のようになっていて悪臭を放つ、それをきれいに洗い落とし、堅い殻のなかにある黄緑の種を茶碗蒸しなどに入れいただく。ただし、食べ過ぎは禁物で、「年の数以上に食べてはいけない」という言い伝えがある。
イチョウは街路樹としてもよく植えられおり、秋になると黄葉して美しい銀杏並木となる。もうしばらくしたら、今度は上を向いて散歩しよう。
2.どんぐり(団栗)
どんぐりがたくさん落ちていた。ドングリはブナ科コナラ属の樹の果実をいう。ギンナンは果実のようであっても種子であるが、こちらドングリは種子のようであっても果実である。この違いは、「子房」がふくらんで大きくなったものが果実、「子房」の中の「胚珠」が熟したものが種子、ということの違い。ちょっとややこしい。クリの場合、食べるところは種子で、食べる時にむいてしまうところが(果)実ということになる。
また、「はかま」とか「ぼうし」と呼ばれる部分は「殻斗(かくと)」という。クリの場合、イガの部分が「殻斗」にあたる。これは雌花を保護するためとか、虫から守るためにあるといわれている。この殻斗の形の特徴からドングリの樹の違いが見分けられるという。
しかし、ドングリのほとんどは(一説には7割も)虫が入っていたり、虫に穴をあけられたりしている。これはゾウムシの仲間だそうだ。たしかに買ってきた栗にも虫穴があったり、虫が入っていたりしているものがたまにある。
ドングリは縄文時代の遺跡からも見つかっており、古くから食用にされていたと考えられている。また、動物の食糧としても大切なもので、よく山のドングリが少ないので熊が人里に出て来たなどというニュースを聞くことがある。ドングリには豊凶の周期があり、2年から3年と言われているが、それを予測するのは天気予報と同じように難しいそうだ。気象状況や周囲の動物や虫などの生態環境も影響しているようだ。
ドングリは、アクが強く、先ず口にすることはないが、先のとがった形のシイのドングリはそのまま食べられる。子供のころに、ちょっと食べた経験がある。また、ドングリに竹ひごを挿して独楽にしたり、中身をほじくり出して笛を作って遊んだことを思い出す。
はかまの形からクヌギのどんぐり |
セミのぬけ殻も |
ドングリの仲間でも、クリは別格で、食べておいしい。因みにクリに入っている虫(ゾウムシの仲間)は、そのまま食べても問題ないそうだ。
3.落葉
早くも樹の下は落ち葉でいっぱいになっているところがある。やはり大きな葉を持っている樹のほうが葉を早く落とすのだろうか。トチノキ、ホオノキ、アオギリ、タイサンボク、カツラなどがたくさんの枯葉を落としている。サクラも黄色く色づいた葉を落としていた。
葉は、太陽の光を受け、光合成をおこない、栄養分を樹全体にまわす。よく光合成をした葉のほうが寿命が短いという。また葉には「光周性」というものがあり、夜の長さを感じとって秋になると、葉は持っていた栄養分をすべて樹本体に戻して、葉の付け根から自らを切り離して落ちていくそうである。秋に、なんとなく物悲しさが漂うのは、こうした葉っぱのいのちが尽きるところから来ているのかもしれない(参考:『植物のいのち』田中修 中公新書)
タイサンボクの落葉 |
ホオノキの落葉 |
ホオノキの落葉 |
ケヤキの落葉 |
アオギリの落葉 |
カツラの落葉 |
カツラの落葉 |
サクラの落葉 |
キンモクセイの小さな花が樹の下、一面に広がって落ちていた。落葉ならぬ「落花」だ。もう香りもほどんどしない。キンモクセイはイチョウなどと同じく雌雄異株の植物だが、日本のキンモクセイはすべて雄株だという。だから受粉もできず、種もできない。では、どうして増えるのか。それは人の手による挿し木によるもの。キンモクセイは人と出会うことによって増えていく。秋になると甘い香りを漂わすのは、そのお礼なのかもしれない。
キンモクセイの落花 |
最近、下を向いて歩いていると、よく目にするのがマスクだ。マスクをしないで歩いていれば、すれ違う人から批判するような目で見られる。しかし、マスクを道に落としていくのもマナー違反だ。こんな世の中、せめてこんな簡単なマナーでも守りたいものだ。
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