2022年4月10日日曜日

東京異空間59-1 井の頭公園・追加~弁財天周辺の石造物

井之頭弁才天

吉祥寺に出る機会があったので、井の頭公園に寄ってみました。というのは、前回のブログ(東京異空間59 井の頭公園 2022.4.3)では、見逃していた石造物があったからです。そのいくつかを追加しておきます。


1.「井之頭」の由来の石碑

「井之頭」の名は、三代将軍・家光がコブシの木に切りつけたという伝説があり、その由来を石碑に刻んでいる。石碑には、「大猷院家光公様御手づから井之頭と御彫あそばされたる古むしの木是なり御切付の文字は今に宝物として内陣に秘蔵す」と刻まれている。

石碑を寄進したのは、「深川水船組合」という神田上水からの水を船で運び、桶にいれて水売りをしていた「水屋」と呼ばれる人たち。深川辺りは、井戸水は塩気があって飲み水には適さなかったことから、こうした「水屋」に頼っていたという。

石碑は、明治26年(1893)に建てられた。近代的水道設備が整備されていくなか、これまでの江戸からの水の源流に感謝し、水船、水屋という商売に誇りを持っていたことを刻んで、後世に伝えたいという思いから、こうした石碑がたてられたのだろう。

由来の石碑・深川水船組合の寄進

2.弁天堂の水盤

弁天堂のまわりには多くの石造物がある。太鼓橋を渡った右側にある水盤は、安永4年(1775)に造られたもの。時代を経て、いまは水に桜の花弁を浮かべていた。

また、太鼓橋の橋桁には「湯屋」など、寄進した講の名が刻まれていることは前回に記したが、橋の反対側の橋桁の石に刻まれている文字は、半分埋まっていて「井頭弁」と「神田御上」しか見えないが、たぶん、「井頭弁才天」と「神田御上水」と刻まれているのであろう。

水盤

「神田御上水」と刻まれている

「井頭弁才天」と刻まれている

3.紫灯籠

弁天堂の前には「日本橋」と刻まれた石灯籠が2基、そして向かいの階段の足元には「両國」の石があることは前回で見たが、階段の上にあがると、やはり足元に「講中」と「両國」と刻まれている。

また、階段を登りきると紫灯籠といわれる石灯籠が2基たっている。紫は古くから高貴な色として知られているが、紫染めは江戸時代中頃から原料となる紫草の栽培と、「江戸紫」といわれる染物がつくられるようになった。灯籠の台座には「江戸 紫根問屋 紫染屋」と刻まれ、続いて寄進した職人たちの名が刻まれている。この灯籠が寄進されたのは慶應元年(1865)で、このあと明治に入り、植物染料は化学染料に取って代わられていくことになる。灯籠の記念の意味は二重に歴史深いものとなっている。

ほかにも灯籠が2基あり、こちらは「両國講中」の寄進によるもので、紫灯籠と合わせ4基の灯籠が並ぶ。また、その横には「井之頭弁財天鳥居講中」と刻まれている大きな石碑が立っている。

階段の上にある寺院は、井之頭弁才天の本坊で大盛寺という天台宗のお寺である。弁天堂では例大祭であろうか、赤い旗が参道に並び、お囃子の音も聞こえた。

階段上の石柱「講中」と刻まれている

階段上の石柱「両國」と刻まれている

紫灯籠2基

紫灯籠の台座・「江戸 紫根問屋 紫染屋」と刻まれている

手前が両國講中による石灯籠・奥は紫灯籠

台座には「両國講中」と

「井之頭弁財天鳥居講中」と刻まれた石碑

大盛寺(本坊)

弁天堂

前回、井の頭公園を訪れたのは3月の上旬でしたが、今回は、春の陽光がまぶしい4月9日でした。公園の桜は見頃を過ぎ、散った桜の花びらは、水草とともに池の水面を埋めていました。多くの人がボートに乗ったりして春の一日を楽しんでいました。

向かいは動物園

スワンボート

名残の桜

散った桜の花びらと水草

たくさんのボートが遊ぶ


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