渋谷にある松濤美術館で開催されている「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」展を観てきました。人形をテーマにした、ユニークな展覧会です。(会期は8月27日まで)
人形といっても、古くは呪い人形、雛人形、生人形、現代ではアニメのフィギュアまでいろいろな「人形」が展示されていました。その中で印象に残った「人形」を観ていくことにします。
1.ヒトガタから人形
人形には、魂が宿るなどといわれ、人形供養などが行われるが、古くから呪術的な意味をもち、ヒトガタ(人形)を作って呪いをかけるということはよく知られている。展示されている、平安時代の「人形代(ヒトカタシロ)」には、男女の名前が墨で書かれており、実在の人物だったらしい。
東北地方では、「オシラサマ」という木の棒に顔を描き、布切れを何枚も重ねて着せている「人形」がある。これは蚕の神、農業の神などの民間信仰、また様々な伝承を生んでいることから、民俗学の研究対象となっている。しかし、こうした信仰、儀式等は秘密裏に行われることから、今だ解明されていないことも多いようだ。
ひな祭りに飾られる「雛人形」もよく知られている。紙で作られた男女一対の立雛が展示されている。江戸時代につくられたもので、子供の成長を願ってつくられたのであろう。
《人形代[男・女]》(平安京跡出土 平安時代前期) 京都市蔵 |
2.人形から彫刻(Sculpture)
明治に入ると、あらたに「彫刻」という概念が Sculptureの訳語として成立してくるが、それ当てはまる制作物は仏像であって、人形は前近代的なもので含まれないものとされた。
(1)彫刻(Sculpture)
しかしながら、近代的な彫刻は、奈良人形(一刀彫)から始まったともいえる。森川杜園(1820-1894)は、春日大社の古材で作る奈良人形の制作を学び、奈良一刀彫を創始した。その影響を受け、竹内久一(1857-1916)や、平櫛田中(1872-1979)といった彫刻家が続くことになり、森川は近代彫刻の先駆者といわれる。平櫛田中は、森川杜園の奈良一刀彫を高く評価し、収集した杜園の彫刻作品から技法を学び、学んだ技法は彼の代表作である「鏡獅子」などに生かされているという。
展示されていたのは、森川杜園の「能人形 牛若・弁慶」、竹内久一の「太平楽置物」、いずれも東京国立博物館蔵、平櫛田中の「気楽坊」小平平櫛田中博物館蔵などであり、その芸術性が高く評価されている彫刻である。
平櫛田中の「気楽坊」小平平櫛田中博物館蔵 |
(2)生人形 安本亀八、松本喜三郎
江戸時代の後期から明治時代にかけて「生人形細工」がつくられ、見世物の一つとなり人気を博した。生人形は、言葉通り、実際に生きている人間のように見えるほど精巧な細工を施した人形である。
松本喜三郎と安本亀八による生人形が展示されていたが、どれも本物の人間が立っているような、また生々しい人間の顔に驚く。松本喜三郎(1825-1891)は、「生人形」と称して初めて見世物興行を行った。また、安本亀八は、仏師の家系に生まれたが、廃仏毀釈の影響で仕事が無くなり、人形細工師として身をたてた。松本喜三郎と、その技量と人気で双璧を争ったという。どちらも現在の熊本県の出身であり、幕末の上方と江戸で人気を博し、安本は上海など海外にも出かけた。
展示されていた安本亀八の「徳川時代花見上臈」は東京国立博物館蔵であるが、こうした生人形は現存している作品数が非常に少ないという。
(3)松江の処刑
展示されている三体の生き人形は、松山市三津浜の小学校で2020年に見つかったものであり、そこには次のような物語があった。
「江戸時代後期、松江は、南予にあった大洲藩士・井口瀬兵衛の次女として生まれた。父はわけあって大洲藩を免職となり、一家は、松山に移り住み、暮らしを支えるため、父は道場で剣術を教えていた。その道場に通っていた男が、松江を気に入り、しつこくつきまとうようになった。男は、ある日、父の留守中に家に押し入り、松江を襲った。松江は、抵抗の末、隠し持っていた脇差しで男を刺し殺してしまう。帰宅した父に、松江はこう言った。「いかに悪人であっても、人を傷つけた罪は許されない。首をはねて下さい。」父は娘の望みを聞き入れ、浜辺で松江の首をはねた。松江
18歳。文化10(1813)年12月8日の夜であった。父娘の壮絶さを思い、当時の松山藩主は、葬儀の資金として米を贈り、松山藩に仕えるようすすめたが、父はそれを断り、その後、大洲藩主が領内に住むことを許し、一家は松山を去った。」安本亀八「徳川時代花見上臈」東京国立博物館蔵
明治期にたてられた石碑には、「操を守り通し、一家に災いを及ばさなかった松江は婦人の鏡」とあり、「貞操を守った女性」として称えられた。
1970年代には、地元の人たちが「奉賛会」を結成し、墓前で松江の供養祭を開いていて、その時、この人形が飾られていた。墓はコンクリートのお堂で囲われていて、その中のロッカーに人形を保管されていたが、人手不足で供養祭は途絶えてしまい、お堂も劣化して壊されることになり、保管場所がなくなったので、三津浜小学校に引き取ってもらったという。生人形の作者も分かっていて、博多人形師の吉村利三郎(明治初期~1946年)だとされる。(朝日新聞松山総局記者・寺田実穂子の記事による。https://withnews.jp/ 2020/11/18)
会場の入口近くに展示されていた生人形3体は、跪いて手を合わせ目をつぶる松江、その横には刀を振り下ろす父、手元を照らす提灯を持つのは妹、これは浜辺でのシーンだという。片隅には松江の位牌が置かれていたのが心に残る。
吉村利三郎《生人形 松江の処刑》(1931頃) 三津浜地区まちづくり協議会蔵 (撮影:関根麻里恵) |
(4)慰問人形
戦時中、女性たちが布の切れ端から人形を作り、慰問袋などに入れて戦地に送る習慣があった。兵士はそれを胸のポケットに忍ばせ、戦地に向かったとされる 。「兵士らに銃後の守るべき者の姿を想像させ、戦意を鼓舞するねらいがあった」 という。
慰問袋には、日用品、手紙、写真、お守りなどが入れられてたようだが、このような小さな人形も入れられていたことは知らなかった。展示されていた奉公袋、人形は、靖国神社遊就館の所蔵である。
《人形・奉公袋》靖國神社遊就館蔵 撮影:関根麻里恵 |
3.人形からフィギュア(Figure )
現代の人形作家として知られる四谷シモン(1944-)の作品が展示されていた。「ルネ・マグリットの男」は、1970年に開催された大阪万博の「せんい館」のために制作された。「未来と過去のイブ」は、裸にガーターベルトと網タイツを付けた姿の人形。パーマをかけた金髪に、濃い色の口紅を付けており、挑発的な印象を与える。こ の作品のタイトルは澁澤龍彦による。四谷シモンは澁澤龍彦の紹介により、ハンス・ベルメールの球体関節人形に大きな影響を受けている。「解剖学の少年」は、美少年が胸を切り開き、内臓がリアルに見え、人体各部の関節には球体が入れ込まれていて、 医療標本のようにみえる。ドキッとする人形だ。これは国立工芸館の所蔵となっている。
四谷シモン「解剖学の少年」(1983年)国立工芸館蔵 |
現代の「人形」としては、アニメのキャラクターのフィギュアがつくられ、BOMEという美少女フィギュアの原型師の作品が並べられている。また、いまや世界的にも有名となった村上隆の「Ko²ちゃん 」などBOMEとコラボした作品が並べられていた。村上隆(1962-)は、世界的に評価されている日本の現代美術家として活躍している。その源流には、人形愛があり、日本のアニメといった文化が融合した作品となっているのだろう。
明治時代に「美術」の概念が純化していき、絵画を頂点とし、彫刻、工芸といったヒエラルキーが形成されていったが、「人形」は彫刻にも入らななかった。しかし、現代においては「人形(フィギュア)」が現代美術の頂点となってしまったともいえるのだろう。
村上隆の「Ko²ちゃん 」 |
バルコニー部分に特別な展示コーナーが設けられており、そこには、いわゆるラブドール(ダッチワイフとも)が数体、そして 「有明夫人」という、かつては温泉街の秘宝館に飾られていたエロチックな人形が展示されていた。 これらは、まさに現代の「生人形」であり、秘宝館は見世物小屋であった。こうした人形は、江戸・明治時代の生人形の生き返りともいえるだろう。
4.松濤美術館
松濤美術館については、拙ブログ「東京異空間64:また二つの美術展を観た~SHIBUYAで仏教美術とボテロ展(2022/06/04) 」を参照していただくこととし、今回も、白井晟一の設計による建物の写真を掲載する。
なお、展示物については撮影禁止となっており、このブログに掲載した作品の写真は、下記のサイトからコピーした。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/japanesedolls-review-202307
https://shoto-museum.jp/exhibitions/200dolls/
松濤美術館・入口 |
松濤美術館 |
松濤美術館 |
松濤美術館 |
松濤美術館・地下噴水 |
松濤美術館・地下噴水 |
松濤美術館・階段照明 |
今回の美術展のタイトル「私たちは何者?ボーダーレス・ドール」にあるように取りあげられた「人形(ヒトガタ)」は、民俗、考古、工芸、彫刻、玩具、民具、現代美術といった様々なジャンルをボーダーレスに飛び越え、「美術」「芸術」とは何かといった概念も揺さぶられることになります。歴史的にも呪い人形(ヒトガタ)から、現代のアニメのフィギュアまでが展示されていましたが、さらに古代にさかのぼれば、土偶、埴輪や、近代では、カカシやマネキンなども、「人形」をいう枠に入りそうです。人形たちが「私たちは何者?」と問うているようです。
この展覧会を観て、ギリシア神話にあるピュグマリオンの話を思い出しました。
「現実の女性に失望していたピュグマリオンは、理想の女性を彫刻したが、そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらにそれが人間になることを願った。その姿を見かねたアプロディティーがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピュグマリオンはそれを妻に迎えた」という。
その物語を描いたジャン・レオン・ジェロームの 『ピグマリオンとガラテア』という絵がありますが、今回とりあげられた「人形」は、まさにこの物語の「彫刻」に当てはまるように思います。つまり、人間をかたどった「人形」は、結局、人間に愛される対象となるということではないでしょうか。
ジェローム「ピグマリオンとガラテア」1890年 Wikipediaより
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