阿弥陀如来倚像・両脇侍立像 |
東京国立博物館の東洋館で、インド、中国などの仏像を観てきましたが、本館では日本の仏像を観ることができます。特集として「阿弥陀如来のすがた」と「吉野と熊野ー山岳霊場の遺宝」が開かれていました。また、法隆寺宝物館では、古代の仏像を観ることができます。
Ⅰ.本館の仏像
本館で観られた仏像をその種類、如来、菩薩、明王、天部、その他に分けて整理してみた。特集として「阿弥陀如来のすがた」が開かれていたので、阿弥陀如来像を多く観ることができた。
1.如来
(1)阿弥陀如来倚像・両脇侍立像 飛鳥時代7世紀
両脇は、右に観音菩薩、左に勢至菩薩。菩薩は浄土の蓮池から生える蓮華に立つ。
この像は、普段は法隆寺宝物館に展示されている。
(2)阿弥陀如来坐像 鎌倉時代12~13世紀 静岡・願生寺
仏師・運慶の周辺の仏師の作とみられ、鎌倉武士による発願にかかる可能性がある。
(3)阿弥陀如来立像 鎌倉時代13世紀
施主の両親と自身が悟りを開くことなどを阿弥陀に祈願し、仏師・永仙が制作した。
(4)阿弥陀如来立像 鎌倉時代13世紀
両手に来迎印を結び、前傾しながら左脚を前へ出し歩み寄る姿を表わす。
(5)阿弥陀如来立像 鎌倉時代13~14世紀
前傾した姿勢は今まさに極楽浄土から信者を迎えに来る様子を表わす。
(6)阿弥陀如来立像 江戸時代17世紀
浄土真宗では、像高50センチ程度の阿弥陀如来立像を本尊とすることが多くある。
(7)如来立像 鎌倉時代13世紀 京都・泉涌寺
像が伝来した泉涌寺は、宋からの文物が多くある環境にあり、角ばった顔、鋭い爪、背を丸め頭を前に出す姿勢など宋の様式が反映されている。
(8)法隆寺金堂壁画(模本)明治時代19世紀、原本・飛鳥時代7~8世紀 模・桜井香雲
本作は阿弥陀浄土図とされ、飛鳥時代に描かれたが、昭和24年に消損した。大阪の画工・桜井香雲(1840-1902)による模写。
2.菩薩
(1)菩薩立像 飛鳥時代7世紀
霊木として信仰されたクスノキから彫り出された。大きな頭に対し体を極端に薄くつくられているのは古代に金銅仏に見られることから、中国、朝鮮半島の金銅仏を模したと考えられる。
(2)日光菩薩坐像 奈良時代8世紀 京都・高山寺伝来
整った髪すじ、弾力ある体、柔らかな衣など写実的な表現。木心乾漆像造という奈良時代の技法で造られている。
(3)菩薩立像 鎌倉時代13世紀
鎌倉時代の仏師・肥後定慶の作品に近い。着衣に截金を用い、白檀を模している。
(4)聖観音菩薩立像(模造) 昭和時代20世紀 原品・薬師寺 飛鳥~奈良時代7~8世紀
奈良薬師寺の東院堂に安置されている像を型取りして造られた。
(5)雲中供養菩薩立像 平安時代11世紀 宇治平等院伝来
平等院鳳凰堂の堂内壁面にかけられ、本尊・阿弥陀如来のいる堂内を極楽浄土として演出していた菩薩群の一体。平安時代を代表する仏師・定朝の工房で制作されたとみられる。
3.明王
(1)愛染明王坐像 鎌倉~南北朝時代14世紀 東京・浅草寺
密教では愛欲をつかさどる仏として愛染明王が信仰された。太陽を象徴する光背に赤い身色が特徴。
(2)愛染明王坐像・厨子 鎌倉時代13世紀
逆立てた髪、忿怒の表情、真っ赤な身体、六本の腕に弓矢を執る。華麗な色彩、台座、厨子も当時のまま残る。
愛染明王を納める厨子は、内面に水牛に乗る焔魔天を中心とした焔魔天曼荼羅が描かれる。扉には八体の菩薩と二体の明王が描かれている。天井には梵字を貼った仏眼曼荼羅を表している。
(3)不動明王立像 平安時代11世紀
巻き髪で左肩に結わえた髪を垂らし、左目をすがめ、唇の上下に牙を出す姿は9世紀末に成立し、その後も不動明王のスタイルとなる。
4.天部
(1)吉祥天立像 平安時代10世紀 京都・大宮神社伝来
吉祥天はインド神話に由来する豊穣、福徳をつかさどる女神。高貴な女性の装束をまとい、掌に宝珠を載せる。本像は、京都・亀山市の大宮神社に伝来する10体の平安彫刻のうちの一体で、重量感あふれる表現がみごとである。
(2)天王立像 平安時代10~11世紀 京都・大宮神社伝来
吉祥天像と同じく、京都・亀山市の大宮神社の仏堂に近年まで伝来した。左手を振り上げ、左腰をひねる姿から、二天王、あるいは四天王のうちの一体で、180センチを超える大きさから寺門に安置されていた可能性がある。
5.その他 祖師、高僧
(1)慈恵大師坐像 鎌倉時代13世紀 滋賀・金剛輪寺
比叡山の中興の祖として知られる慈恵大師良源(912-985)は鎌倉時代以降に多くの像が造られた。本像は蓮妙が父親の極楽往生を願って造立した。蓮妙は生涯に66体の大師像の造立を発願しており、そのうちの2体が滋賀・金剛輪寺に現存している。
(参照):2020年に金剛輪寺を訪ねている。
湖の国の旅2:湖東三山と多賀大社(2020/12/6)
Ⅱ.法隆寺宝物館
法隆寺宝物館は、明治11年(1878)に奈良・法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示している。 かつては「皇室の所有品」という意味の「御物」という語を用いて「法隆寺献納御物」と呼ばれていたが、1949年に一部を除いて国有となり、それ以後、「法隆寺献納宝物」と称されている。
現在の建物は谷口吉生の設計で1999年に建て替えられた2代目である。ちなみに東洋館は谷口吉郎による設計であり、親子による設計となっている。
法隆寺宝物館 |
1.摩耶夫人および天人像 飛鳥時代・7世紀
摩耶夫人が庭園を散策中、木の枝に右手を伸ばしたところ、腋から釈迦が生まれたという伝説を表したもの。天人像は天衣をなびかせ、空中を飛来して祝う姿。本像は、釈迦の誕生日である4月8日に、法隆寺の仏生会に使われた。
2.如来坐像 飛鳥時代・7世紀
3.菩薩立像 飛鳥時代・7世紀
4.菩薩半跏像 飛鳥時代・7世紀
Ⅲ吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―
蔵王権現は、日本独自の山岳仏教である修験道の本尊である。正式名称は「金剛蔵王権現」という。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良・吉野の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという 。
金峯山寺の蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯。本尊は巨像で中尊は約7mもあり、普段は非公開(秘仏)であることから「日本最大の秘仏」とも称される。
金峯山寺・蔵王堂の蔵王権現立像 |
蔵王権現の姿は密教の明王像と類似しており、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き、右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てている。右手には三鈷杵を持ち左手は刀印を結び、左足は大地を力強く踏ん張り、右足は宙高く掲げられている。その背後には火炎が燃え盛る。右手の三鈷杵は天魔を粉砕する相を示し、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る利剣を示す。左足の踏みつけは地下の悪魔を押さえつけており、右足の蹴り上げは天地間の悪魔を払っており、背後の炎は大智慧をあらわしている。
1.銅板鎚出蔵王権現像 奈良県吉野郡天川村金峯山出土 平安時代・12世紀
2.銅板鎚出蔵王権現像 奈良県吉野郡天川村金峯山出土 平安時代・12世紀
3.銅板鋳出蔵王権現像 奈良・大峯山頂遺跡出土 平安時代・11~12世紀
4.鎚出蔵王権現懸仏 奈良・大峰山頂遺跡出土 平安時代・12世紀
5.銅板鋳出蔵王権現像 奈良・大峯山頂遺跡出土 平安時代・11~12世紀 奈良・大峯山寺蔵
6.大日如来坐像(模造) 長野垤志作 原品:和歌山・那智勝浦町那智山出土、和歌山・青岸渡寺所蔵 昭和時代・20世紀、原品:平安時代・12世紀
7.無量寿如来像及び台座 金剛「法」菩薩三昧耶形 金剛「利」菩薩三昧耶形 金剛「因」菩薩三昧耶形 和歌山・那智勝浦町那智山出土 平安時代・12世紀
三昧耶形(さんまやぎょう)とは、密教に於いて、仏を表す象徴物のこと。多くの場合、各仏の持仏がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる。
8.阿閦如来像(模造) 長野垤志作 原品:和歌山・那智勝浦町那智山出土、和歌山・青岸渡寺所蔵 昭和時代・20世紀、原品:平安時代・12世紀
印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(「降魔印:ごうまいん」とも)を結ぶ。
9.那智曼荼羅 和歌山・那智勝浦町那智山出土 平安時代・12世紀
東博・本館と法隆寺宝物館で、様々な日本の仏像を観てきました。日本へは、「日本書紀」に552年に百済の聖明王から金銅の釈迦像が贈られたと記され、以来、仏教が信仰され、仏像が造られてきました。仏像の姿に、そうした歴史をみることができます。
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