2024年8月29日木曜日

東京異空間221:近世・近代の美術@東京国立博物館・本館

 

御産の祷 安田靭彦

神輿振 前田青邨

東京国立博物館・東洋館で仏像などを観てきましたが、本館では近世および近代の絵画を中心として観てきました。そのいくつかを紹介します。

1.近世の美術(江戸期)

(1)遊女立姿図 懐月堂度繁 18世紀

肉筆美人画の懐月堂安度の弟子の一人で、「懐月堂様式」と呼ばれる肉付きの良い美人画を描いた。


(2)品川遊女図 礫川亭素 19世紀

作者については、詳細不詳。品川の海を臨む妓楼を描く。



(3)品川遊女図 菊川英山 19世紀

菊川英山(1787-1867)は、歌麿風の美人画で売り出した。この作品は、同じく品川の妓楼を描いているが、六頭身のほっそりした美人を描く。




(4)竹林七賢図襖 池大雅 18世紀

池大雅(1723-1776)は、江戸時代の文人画家と知られる。竹林七賢は俗世間をさけて山中に隠遁し、竹林に集まった七人の総称。

川端康成の蒐集品として著名な「十便十宜画」は、池大雅と与謝蕪村が共作した画帖で、国宝となっている。


(5)山野行楽図屏風 与謝蕪村 18世紀

与謝蕪村(1716-1784)は、俳人、文人画家。この作品は、蕪村の代表作の一つとされる。三人の旅人は、月の浮かぶ夜明け前の山野を馬に任せるまま進み、四人の老いた高士は、童僕の手を借りながら、清流を越え、急な山道を登る遅々として進まぬ旅をゆくさまが描かれている。




(6)公余探勝図巻 谷文晁 1793(寛政5)年

谷文晁(1763- 1841) は、江戸南画の大成者として知られる。谷文晁は、第三代白河藩主・松平定信の生家である徳川御三卿・田安家の家臣だったが、寛政431歳の時に幕府老中の松平定信のお抱え絵師となった。真景図と呼ばれる、写実性の高い風景画を多く残した。

「公余探勝図巻」は、定信の江戸湾岸巡視に同行し、各地の風景を写生した。この時の定信の巡視の目的は、当時盛んに日本近海に出没していた異国船に対する海岸防備の対策をたてるためだった。そのため正確な距離や奥行きを表現した風景画を必要としていた。西洋画法を学んでいた文晁に、そうした正確な風景画を求めていた









(7)四季花鳥画帖 増山雪園 1840(天保11)年

増山雪園 (1785-1842)は、 花鳥や水墨を描き、文人大名と呼ばれた伊勢長島藩主・増山雪斎1754-1819の長男。花鳥画を描いた画帖は、装幀も素晴らしく、博物図譜で、博物大名ともいわれる。






(8)雑花果蓏図  椿椿山 1852(嘉永5年)

椿椿山(1801-1854)は、幕府の槍組同心で、主に花鳥画、人物画を得意とした。 渡辺崋山を終生の師 とした。

本作は、輪郭線を用いない没骨法を主として花々や野菜果実を描いた華やかな作品。

(参照):椿椿山について

東京異空間100:板橋の文化を歩く~板橋区立美術館・郷土資料館・植物園2023/4/15




(9)武陵桃源図 春木南瞑 1871(明治4

春木南瞑(なんめい、1795-1878)は、父南湖から南画を学び、山水画花鳥画を得意とした

画題の武陵桃源とは桃の華咲く仙境のこと、一漁夫がここに入つて帰るを忘れた故事による。

(参照)春木南瞑について

東京異空間201:「歸空庵コレクションによる洋風画という風」展@板橋区立美術館2024/5/24


10)鳳輦 19世紀、明治39年に宮内省より引継ぐ

鳳輦は天皇が行幸に際して座乗した専用の乗物。 総体を黒漆塗りとし、座乗するための屋形を中心として、上部の屋蓋には鳳輦という名称の根拠となる鳳凰像を飾り、前面と側面に御簾および紫綾帳を懸け、背面に扉を設け、下部に轅(ながえ)を取り付ける形式となっている。 この轅という二本の担ぎ棒を付け、駕輿丁(かよちょう)という担ぎ手が担いで移動する。

この鳳輦は、孝明天皇が1855安政2に新造内裏(現在の京都御所)に遷幸する際に用いられ、また明治天皇の東京行幸の際にも用いられたもの。明治時代になると、近代国家にふさわしく、明治天皇は洋装されて馬車に乗られるようになり、鳳輦は、1906(明治39年に宮内省式部職より博物館が引き継がれた。



2.近代の美術(明治・大正期)

(1)旧江戸城之図 高橋由一 明治5

高橋由一(1828-1894)は、狩野派を学んだ後、本格的な西洋の油絵技法を習得し、多くの作品を描き、「日本で最初の洋画家」と言わる。

本作品は、これまで横山松三郎の筆になるものと考えられていたが、近年、修復の際の調査により高橋由一の作とされた。

この汐見櫓は1873(明治6)年、破損がはげしく陸軍により撤去されたが、新政府の制度調査掛であった蜷川式胤(にながわのりたね)はこの文化財的建物を記録にとどめようと1871(明治4)年『旧江戸城写真帖』全64図を作成した。この写真帖は横山松三郎が撮影した白黒写真に由一が着色した。



(2)ヴェニス 川村清雄 明治714

川村清雄(1852-1934) は、旗本の家に生まれ、明治維新からまもない時期に渡欧し本格的に油絵を学んだ最初期の画家

明治9年(1876)イタリアに移り、ヴェネツィア美術学校に入学し、ティエポロなどヴェネツィア派を学ぶ。清雄は後年までヴェネツィアでの生活を懐かしみ、日本に帰った後もその情景をしばしば描いた。

清雄は日本的伝統を重んじた題材を描き、日本画の材料や手法を積極的に取り入れ、日本画的傾向を深め、油絵を日本化した。


(3)瀑布 柴田是真 明治7

柴田是真(1807-1891)は、江戸時代末から明治中期にかけて活動した漆工家、絵師・日本画家。とくに漆絵を好んで描いた。

本作品は、険しい崖の強い調子の黒と瀑布にみられる白(絹地の色)とのコントラストが映えている。

(参照):柴田是真について

東京異空間80:「柴田是真と能楽」~国立能楽堂2023/1/27


(4)花鳥図 河鍋暁斎 明治14

河鍋暁斎(1831-1889)は、伝統的な花鳥画・山水画・歴史画から、浮世絵や風刺画、戯画まであらゆる画題を描き尽くし、幕末~明治中期にかけて活躍した天才絵師。自らを「画鬼」と称した。

本作品は、濃密でしかも細部まで緻密に描写された色とりどりの花や草木を背景に、画面中央では蛇と雉子がにらみ合うという、暁斎画の特色ともいえる美しさの中に、あたかも時間が凍りついたような空間が描かれている。明治14年の第2回内国勧業博覧会に出品された。

(参照):河鍋暁斎について

東京異空間112:美術と建築~東京ステーションギャラリーと静嘉堂@丸の内2023/5/15






(5)萩蝶木画額 西村壮一朗 明治25

西村荘一郎(18461914)は、鳥取藩士の息子で四条派の絵を学び、木工技術を身につけ、色や木目の異なる様々な木材を嵌装して絵画的な図柄を表わす、木象嵌という独特の作風を展開した。

本作品でも筆と絵の具で描いたと見紛うばかりに、植物の微妙な色合い、しなやかな質感をみごとに表現している。


(6)雨中双鶴図 荒木寛畝 明治26

荒木寛畝(1831-1915)は、幕末には土佐藩の絵所預となり、明治になると宮中の御用絵画を多く描いた。その画業は、濃密な色彩と緻密な描写による花鳥画一筋に展開している。

本作品においても、あっさりと描かれた芭蕉とは対照的に、雨をしのぐ鶏の羽はリアルに表現されている。

2024510日金曜日

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(7)神輿振 前田青邨 大正元年

前田青邨(1885-1977)は、やまと絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。

本作品は、第6回文展に出品され3等を受賞し、青邨の出世作となった。1177年延暦寺の僧兵が神輿を奉じて京の街に乱入した事件を描く。担いでいるのは、比叡山のふもとに鎮座する日吉山王(現:日吉大社)の神輿。延暦寺は日吉大社の神輿などの「神威」をかざして洛中内裏に押し掛けて要求を行い、それが通らない時は、神木・神輿を御所の門前に放置し、政治機能を実質上停止させるなどの手段に出た。寺社勢力による「強訴」といわれる。神輿を使う後者を「神輿振」と呼ぶ。










(8)御産の祷 安田靭彦 大正3

安田靭彦(ゆきひこ、1884-1978)は、前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった。

本作品は、『紫式部日記(むらさきしきぶにっき)』に着想をえて、藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子(しょうし)の初産の様子をダイナミックな構成で描く。悪魔払いの米を撒く殿上人、憑坐(よりまし)と女房たち、祈祷する密教僧などが適切に配置されて、御産儀式の場面を周到な構図によって描いている。





(9)馬 後藤貞行 明治26

後藤貞行 (1850-1903)は、彫刻家、とくに馬の彫刻で知られる。

後藤は軍馬局に勤めながら彫刻を学び、明治天皇所有の馬である金華山号の彫刻を制作した。制作にあたり、写実を徹底するため馬の解剖も行なったという。明治23(1890)には東京美術学校に転じ、「美術解剖学」を担当した。

なお、高村光雲による監督のもと、皇居前広場に建つ楠木正成銅像の馬の原型制作にたずさわった。また、上野公園の西郷隆盛銅像では犬を担当した。




10)野猪 石川光明 大正元年

石川光明(1852-1913)は、宮彫師の家に生まれ、父より木彫を教えられるとともに、牙彫(げちょう)の技法も習得した。同い年の高村光雲と共に近代彫刻の発展に尽力した。本作品は、つぶらな瞳をもち、前足を投げ出してすわる、愛らしいイノシシの姿が活写されている。また、ふわふわとした柔らかそうな毛並みの質感描写にも、光明の彫技が遺憾なく発揮されている。



3.東博・本館

J.コンドルが設計し、明治15年に開館した旧本館は大正12年に関東大震災で大きな被害を受けた。その後、昭和13年(1938)に昭和天皇の即位を記念して開館したのが現在の本館。*渡辺仁による設計で、コンクリート建築に瓦屋根をのせ、東洋風を強く打ち出し、「帝冠様式」の代表的建築とされている。館内の装飾なども、展示品とともに美術品と言える。

*渡辺仁(1887-1973

主要作品には東博・本館以外に、服部時計店(和光)、第一生命館などがある。また逓信省にも所属しており、高輪、日本橋電話局なども設計している。

(参照):東博等の建築について

上野の建築(家)と彫刻(家)めぐる2019/12/20









東博には、何度も訪れていますが、特別展はもちろんのこと、常設展示においても時期により入れ替わり、素晴らしい作品が観ることができます。

また常設展示では多くが撮影可ですので、こうしてブログにまとめることで、さらに作品を深く味わうことができます。

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