稲毛にある神谷傳兵衛の別荘に行ってきました。ここは以前から行って観たいところでした。
京成稲毛駅から稲毛公園の松林を抜けて、約10分ぐらいのところにあります。
1.神谷傳兵衛(1856-1922)
神谷傳兵衛は、三河国(現・愛知県西尾市)で生まれ、早くから酒造家になることを夢見ていた。
1880(明治13)年、浅草に郷里の三河に因んで「みかはや銘酒店」を開業し、当初は濁り酒を売っていたが、翌年、輸入の葡萄酒を販売する。さらに速成ブランデーである「電気ブラン」の製造販売を始め事業を拡大した。現在も、浅草に「神谷バー」があり、「電気ブラン」が看板商品になっている。電気ブランは、ブランデーをベースとし、ワインやジン、ベルモットなどをブレンドしたリキュール。
傳兵衛は本格的なワイン造りに挑み、1897(明治30)年に茨城県の原野にブドウ畑を開墾し、1903(明治36)年にはワイン醸造場のシャトーカミヤ(現・牛久シャトー)をつくるなど、1922(大正11)年に亡くなるまで、人生をワインづくりに捧げた。日本の「ワイン王」といわれる。
2.稲毛海岸
明治21年、稲毛に千葉県初の海水浴場が設けられた。浜辺の松林の中に「稲毛海気療養所」(後の旅館「海気館」)もつくられ、保養所として知られるようになる。さらに、明治32年には総武鉄道の幕張~千葉間に稲毛駅が開業、大正10年には船橋~千葉間に京成電鉄が開通し、海水浴や潮干狩りに多くの客が増え、稲毛には旅館や別荘が建てられた。当時の稲毛は関東を代表する風光明媚な避暑地であった。
稲毛海岸の地図(神谷別荘・海気館・浅間神社) 稲毛海岸の絵葉書
3.別荘
稲毛の海岸近くに別荘を建てたのは、1918(大正7)年。当時は母屋である木造の和館とゲストハウス用の鉄筋コンクリート造り2階建ての洋館が隣接して造られたが、洋館のみが今に残っている。関東大震災前の建物が残っているのは貴重で、国の登録有形文化財となっている。
ガイドの方の話によると、見学に来られた人から「なぜ、こんな場所に立派な別荘を建てたのですかね?」という質問がよくあるということ。今は、近くを交通量の多い国道14号が走り、その先は住宅が立ち並び、海岸に出るまでは約3キロ近くある場所で、昔の避暑地だった面影はまったく残っていないので、不思議に思われたのも当然だ。
(1)和室
先に二階に上がると、本格的な書院造の和室。目に入るのは床の間に使われているくねった床柱、これは傳兵衛らしく葡萄の古木である。欄間、障子、窓などに美しい建具が用いられている。和室の中に洋風のデザインをした一室も設けられている。
葡萄の古木を用いた床柱 |
洋風のつくり |
(2)階段・玄関ホール
緩やかな階段を降りると、玄関ホール。ランプが下がる天井の中心飾りには葡萄のレリーフが施されている。
葡萄のレリーフ |
(3)洋間
応接間には、大理石でつくられた暖炉、木の色合いを活かした寄木つくりの床、広いテーブル、明るく光を取り入れる大きな窓など見事な造りである。
(4)ベランダ・外観
円柱に支えられた5連のアーチはモダンである。その下のベランダからは海が眺められただろう。いかにも別荘らしい。
(5)電気ブランなど
階段の踊り場には、「電気ブラン」と「蜂印香竄葡萄酒」(はちじるしこうざんぶどうしゅ)という蜂蜜で甘くしたワインが置いてある。
蜂印香竄葡萄酒 |
電気ブラン |
神谷バー・ポスター |
神谷傳兵衛の別荘が千葉の稲毛にあるのは知っていましたが、なかなか来る機会がありませんでした。建物や近くの公園に残る松林をみて、昔の稲毛海岸で遊びたくなる気分になりました。
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