「魂を込めた 円空仏ー飛騨・千光寺を中心として」@三井記念美術館を観てきました。今回の展覧会では、千光寺の円空仏を中心に約100体近くの円空仏が展示されていました。この展示のうち写真OKが4点あり、そのほか印象に残った作品を取り上げてみました。
1.円空
円空(1632-1695)は美農国(岐阜)の生まれとされる修行僧であるが、12万体の造仏を発願し、現存するだけでも5千体を超えるという。
円空は、古く行基、泰澄の伝統を受け継ぎ、白山信仰など山岳修行僧として、遠くは蝦夷地(北海道)まで、各地で布教につとめ、、そこで何体もの仏像、神像を彫り上げた。
伴蒿蹊(1733‐1806)の人物奇譚集
『近世畸人伝
』において、「畸人」の一人として次のように書かれている。
「僧円空は、美濃国竹が鼻といふ所の人也。稚きより出家し、某の寺にありしが、廿三にて遁れ出、富士山に籠り、又加賀白山にこもる。ある夜白山権現の示現ありて、美濃のくに池尻弥勒寺再建のことを仰たまふよしにて至りしが、いくほどなく成就しければ、そこにも止らず、飛騨の袈裟山千光寺といへるに遊ぶ。・・・
円空もてるものは鉈一丁のみ。常にこれをもて仏像を刻むを所作とす。袈裟山にも立ちながらの枯木をもて作れる二王あり。今是を見るに仏作のごとしとかや。」
飛騨・千光寺は岐阜県高山にあり、ここには60体余りの円空仏が納められている。もう数十年前になるが、ここを訪れたことがある。千光寺には「立ちながらの枯木をもて作れる」仁王があると記されているように、伴蒿蹊の時代にはそのままの形で残っていたが、その後、伐られて仁王門内に移され、現在は円空寺宝館におさめられている。『近世畸人伝』にはこの場面のユーモラスな筆致の挿絵が載っていて、円空が村人たちの差しかけた梯子に登って立木相手に鉈を振う様子が描かれている。この挿絵を描いたのは蒿蹊の友人である画家で桜を得意とした、三熊思孝(みくまもとたか:1730-1794
)である。
円空は、1695(元禄8)年、己の死期を悟り、自坊である弥勒寺(岐阜県関市)の南に位置する長良川河畔に穴を掘り、多くの里人に見守られ念仏を唱えながら自ら土に埋もれ入定を果たしたという。64歳であった。
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円空図像(大森旭亭画、千光寺蔵) |
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『近世畸人伝』伴蒿蹊・挿絵 |
2.両面宿儺(りょうめんすくな)
宿儺は、仁徳天皇の時代の飛騨に現れたとされる異形の人物、もしくは鬼神である。『日本書紀』においては、大和朝廷に従わずに、武振熊(たけふるくま)により「討伐された鬼人」
とされるが、飛騨地方においては、この地を守護し、武勇にすぐれ毒龍退治を行ったり、寺院の開基となった豪族とする伝承が残されている。飛騨・千光寺は、宿儺を開祖とする。
両面宿儺は、計八本の手足に頭の前後両面に顔を持つという奇怪な姿で描写される。円空は、2つの顔に慈悲と忿怒を表し、その手に弓矢ではなく斧を持たせている。
梅原猛は、手に持っている斧などは仏像をつくる道具であるとして、「この像は歴史上の人物の両面宿儺であると同時に、円空自身でもあると見なくてはならない」と述べている。
3.護法神立像・金剛神立像
護法神は、仏法とその信者を守護する善神。金剛神は、外敵を払い、仏法を守護する神、金剛杵を執って仏法を守護するため、この名がある
。
総高2メートル超、半裁した丸太を、さらに半分に割り、木心側を像の正面として各部を彫り出している。4体共に同材であるとされる。
円空仏の特徴の一つは、このように木に宿る力を仏の姿へと昇華させていくところにある。日本に仏教が入ってきたときには、仏像は金色に輝くものであり、金銅仏が多く造られたが、自然崇拝として木には神が宿るとされることから、平安時代になると木彫の一木造りの仏像が造られるようになる。
4.三十三観音立像
三十三観音とは、『法華経』普門品に記された「観世音菩薩が衆生を救済するため三十三の化身として現れる」という「三十三応身」を基に、民間で信仰されていた観音菩薩の姿を当てはめたもの。
観音菩薩は、人々がこの世で苦しんでいる声を聞き、色々な姿に変身して救いの手を差し伸べてくれるとされる。
「三十三観音」といえ、残っているのは31体。かつて近隣の住民たちが病気の際に持ち出し、病気平癒を願ったと伝わる。
梅原猛は、「村の人々は病気にかかると観音像一体を借りて家に持ち帰り平癒祈願をしたらしく、昭和の中頃までは五十数体あったとも伝えられるので、三十三観音ではない」としている。
5.阿弥陀如来坐像及び二十五菩薩立像
二十五菩薩は、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来とともに迎えに来る菩薩の一団。平安時代の中頃から浄土信仰が盛んになり来迎図が描かれるようになる。昨年、府中市美術館で開催された「ほとけの国の美術」展では、京都・二尊院の「二十五菩薩来迎図(土佐行広
)」が展示されていた。
円空は、木端材を使った棒状の菩薩25体を彫り上げていて、阿弥陀如来像の両脇に、12体と13体に分けて並べられ、来迎の構図となっている。
(参照):
東京異空間196:「ほとけの国の美術」展・後期@府中市美術館(2024/5/1)
6.柿本人麻呂坐像
柿本人麻呂は、万葉集の歌人として知られているが、平安時代後期以降、人麻呂は歌人として称えられるだけでなく、和歌の上達などに霊験がある存在として崇拝されるようになり、人麻呂を神として祀る神社や祠も各地に建てられた。
円空は、和歌千六百余首を書き残しており、それらは
古今和歌集や新古今和歌集等の古典からの「本歌取り」の歌が多いとされる。また、元歌が仏教色が薄いので、男女の恋など、仏教の観点からすれば煩悩めいたことも大らかに詠っているものもいくつかあるようだ。
7.千手観音・聖観音・龍頭観音菩薩立像
龍頭観音(りゅうずかんのん)は、観音菩薩が龍に乗る姿をした三十三観音の一尊で、災難除けや幸運の象徴とされている。観音の頭部に対して非常に高く龍が乗り、よく見ると、龍の目、鼻などが皺のように彫られ、表情豊かである。
横に並ぶ千手観音はその手を彫り上げ、足元には、小さく、別の菩薩が彫られている。聖観音の頭髪も盛り上がり、また衣の襞も裾まで彫られている。いずれも、かなり奇抜な形の仏像である。
8.三井記念美術館
三井記念美術館は、昭和初期の日本を代表する洋風建築として知られる、三井本館の7階にある。2005年に中野区にある三井文庫別館を移転して開館した。
展示を観終わってエレベータの近くにいくと、かつての三井銀行の重厚な金庫、そして鹿の彫像が置かれていた。
《嶺》池田勇八(1886-1963)
池田勇八は東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科卒業。早くから彫刻界にデビューし、動物彫塑家として知られる。
この像は西麻布の三井八郎右衞門邸の玄関脇に置かれていた。
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重厚な金庫 |
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《嶺》池田勇八 |
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三井記念美術館・エントランス |
円空は、あらゆる種類の神仏像を彫っています。仏像の形には「儀軌」という取り決めもありますが、円空はこうした決まりや伝統にとらわれず、ほとんど自由に造っているようです。それは木に宿る神仏を彫り出すことから、木の姿、すなわち神仏の姿を彫り出し、民衆の信仰に寄り添うことによって布教を続けたのでしょう。驚くのは、江戸時代初期(1666年)に蝦夷地(北海道)に渡り布教をしているということです。当時のことですから、アイヌの人びとに仏や神の教えを伝えたのでしょうか。そうした布教の地でいろいろな神仏の像を彫り、人々に与えました。なによりも、円空仏は、みな微笑みを浮かべた表情をもっています。それは衆生を救う神仏の姿だったからでしょう。
(参考):
『歓喜する円空』梅原猛 新潮社