2020年11月2日月曜日

伊豆の旅Ⅱ:松崎~伊豆の長八の鏝絵

 下田からバサラ峠を越えて松崎町に入る。

西伊豆の松崎には、伊豆の長八といわれた左官の鏝絵となまこ壁の街並みがある。以前から訪ねたい場所の一つであったが、なかなか遠い。今回、やっと実現した。

伊豆の長八美術館

1.伊豆の長八美術館・石山修武

入江長八(1815-1899年)は、ここ松崎の生まれの左官職人で、名工「伊豆の長八」として名をはせた。12歳のころ、松崎の左官職人のもとに入り、その腕を磨くとともに、18歳のころには江戸に出て、本格的な絵画修行をし、漆喰に色を付ける技法を生み出し、鏝絵とよばれる作品をつくりだした。伊豆出身の作家井上靖は、それを「土の絵」と呼んでいる。

作品は、日本画風の絵画のみならず、漆喰による彫刻、レリーフのような建築装飾など、そのジャンルは広い。ただ、長八の仕事は基本的には江戸で行われたため、その後の大震災や戦災等によって残っている作品は少ない。松崎には、長八30代のころの作品、その後の60代の作品が残っており、その多くが「伊豆の長八美術館」に所蔵・展示されている。

 

この美術館の建物は、石山修武(おさむ)による設計で、建築界の芥川賞といわれる吉田五十八(いそや)賞を受賞している。昭和59年(1984年)に開館。

設計にあたり、江戸から明治にかけての擬洋風の建築に発想のヒントを得ている。国宝となった松本市にある開智学校、それと同じ系統の岩科学校が松崎にはある。そうした擬洋風の建物は、西洋の建築様式を、江戸からの大工の職人技術が可能にした建物である。

同じように、長八美術館は、ポスト・モダンの奇抜な建築様式に江戸から続く左官職人の技を結集した建物になっている。エントランスのなまこ壁、館内の漆喰の白壁などは、全国の左官職人がのべ2000人の協力を得て建てられたという。それは「伊豆の長八」という江戸末から明治を生きた左官の英雄への職人たちのオマージュともいえる建物である。

 

美術館のファサードは、江戸の大工の技による岩科学校の擬洋風を、エントランスは、左官の技によるなまこ壁をもつ。またガウディのサグラダ・ファミリアの主任彫刻家である外尾悦郎により「ナシミエント(生誕)」と名付けた塔が建てられている。

 

石山は、松崎町の町おこしプロジェクトにもかかわり、那賀川の橋の架け替え、橋の欄干に鏝絵を描き、橋の近くに元からあった時計塔を新たに、江戸から未来へのタイムトラベルマシーンとして建て替えた。

参照:『職人共和国だより 伊豆松崎町の冒険』(石山修武、1986年)


伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館




長八美術館の天井の天女


長八美術館の館内

長八美術館の館内









「ナシミエント(生誕)」


鏝塚:時の総理大臣小泉純一郎の揮毫

時計塔:タイムトラベルマシーン

時計塔

時計塔

時計塔の天井絵

那賀川に架かる常盤大橋:さくらの鏝絵

館内に展示されている伊豆の長八の作品は約50点ほどで、漆喰と鏝による額絵から壁絵、彫塑など、職人技を超えて超絶技巧の芸術品となっている。

明治10年、上野公園で開かれた第1回内国勧業博覧会に出品した作品で、長八は褒状を受けた。その褒状の審査評に「西洋の浮き彫りに学べばもっとよくなる」という趣旨の文言があったが、これに憤りを覚えたのか、以後、内国勧業博覧会に長八は出品しなかった、というエピソードがある。ここに押し寄せてくる西洋の権威に反発する長八の江戸の職人気質をみることが出来る。


松崎町に残されている長八の作品には、他にも、伊那下神社に塑像、岩科学校の欄間壁に鶴の絵などが所蔵されている。


参照:『伊豆の長八』生誕200年記念図録 平凡社 2015年

   :『伊豆長八の世界』村山道宣 編 木蓮社 2002年


春暁の図


春暁の図・部分


富嶽旅愁




 
依田直吉像

神功皇后像・伊那下神社蔵

応神天皇と武内宿祢像・伊那下神社蔵

福禄寿の香炉・伊那下神社蔵

鳳凰・岩科学校蔵


鶴図・岩科学校蔵

2.浄感寺(長八記念館)

長八の生涯及び作品に欠かせない場所が、美術館の斜め向かいにある浄感寺で、長八記念館にもなっている。

 

長八美術館が建っている辺りで生まれた長八は、近くの浄感寺で行われていた寺子屋によく出入りし、住職に可愛がられたという。この浄感寺本堂は1845年に完成しており、その棟札には、左官とは別に「彩色 入江長八」と書かれていて、自らを画家として位置づけている。それが、天井に描かれた「雲龍図」(八方睨みの龍とも)であり、内陣の長押に描かれた「飛天の図」で、30才前半の長八の代表作となっている。

 

また長八と同じころ、この寺子屋で学び、堂宮彫刻の名工となった石田半兵衛が、本堂の柱や梁に透かし彫りの彫刻を施している。

 

浄感寺は、長八の菩提寺でもあり、お墓とともに、日本左官業組合連合会が建立した胸像と顕彰碑がある。


入江長八

「雲龍図」・浄感寺

「雲龍図」・浄感寺

「雲龍図」・浄感寺

「飛天の図」・浄感寺

「飛天の図」・浄感寺


石田半兵衛による透かし彫り・浄感寺

伊豆長八胸像
3.東福寺・五百羅漢 

松崎からは数キロ離れた西伊豆町に東福寺というお寺があり、本堂の天井に八方睨みの龍とその周りに五百羅漢が漆喰によって描かれている。

 

ここの漆喰の絵は、大正末期に群馬の左官職人で田村利光(酒豪だったことから通称「のん兵衛安さん」)という職人が描いた。浅草で事業を成功した檀家さんが菩提寺である東福寺の恩に報いるため、本堂に天上界の浄土を描いて奉納しようと、「のん兵衛安さん」に依頼したのが、この漆喰で描かれた龍と五百羅漢である。

 

長八の技術を引き継いだ、極彩色で立体感がある五百羅漢の鏝絵である。

ただし、残念ながら撮影はできないとのことだったので、絵葉書をアップしておく。


東福寺・山門鐘楼

東福寺・本堂

天井の龍と五百羅漢の鏝絵


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