2020年11月18日水曜日

伊豆の旅Ⅷ:幕末・明治の二人の写真師

 

下岡蓮杖像・下田公園

日本写真の開拓者といわれる下岡蓮杖は、下田の生まれである。その弟子となった鈴木真一は、松崎の生まれである。伊豆の旅:下田と松崎で写真を撮ってきたこのシリーズ最終版として、この二人の写真師を取り上げる。

 

1.下岡蓮杖


下岡蓮杖は、文政6年(1823年)下田に生まれ、若くして絵師を志し江戸に出て、狩野派の門下に入る。ある日、一枚の銀板写真をみたとき、「写実というならば、いくら絵筆をもって苦心してもこれにはかなわない」と衝撃を受け、筆を折り、写真術を学ぶことを決意した。

下田に戻り、「欠乏所」に勤め、写真術を学ぶ機会を窺った。ここで、米国領事館に赴任してきたタウンゼント・ハリスの通訳であるヘンリー・ヒュースケンから写真術の原理や基本技術を学ぶことができたという。


その後、横浜に写真館を開き、日本の商業写真の先駆者のひとりとされる。その門下からは、横山松三郎など日本の写真史に名を残す写真師(家)を輩出した。


また、米国人建築技師リチャード・ブリジェンスから石版技術を学び、石版画制作するなど日本の石版印刷の開祖でもあるという。

下岡蓮杖像・下田公園

石版画(松崎・中瀬邸にて)


 2.鈴木真一


鈴木真一は、天保5年(1834年)、現在の松崎町に生まれた。32才の時、家運を立て直そうと横浜に出たとき、写真館を開いていた下岡蓮杖と出会い、弟子になる。真一は、先に弟子となっていた横山松三郎とともに蓮杖の手助けをしつつ、写真術を学び、研鑽に努めた。

学び終えて、師の許しを得て横浜で写真館を開くに至った。同じ門下であった岡本圭三(のち、2代目鈴木真一となる)を婿として迎え、米国に行かせて写真術を学ばせた。


真一は、主に横浜の外国人の写真を撮っていたが、皇族の肖像写真を撮るまでに一流の写真師として成功した。また、圭三(2代目真一)により九段坂にも写真館を開き、宮内省御用掛の写真館となった。

 

先に旧依田邸を訪れたときに、鈴木真一の肖像写真が資料室にあった。実は、松崎の有力者であった依田佐二平、勉三の兄弟の実母が、真一の姉・文(ぶん)であり、真一は依田兄弟の叔父にあたる。真一は、勉三らが北海道開拓移民団「晩成社」の出立記念写真を撮っている。

鈴木真一の肖像写真(松崎・旧依田邸にて)

 3.昭和レトロな写真館


下田と松崎の街で、昭和レトロな写真館を見つけた。こうした写真館で写真を撮ってもらったり、写真の現像・プリント(DPE)を頼んだりしたものだ。いまは、この写真もデジタルカメラで撮っているが、かってのフィルムカメラが懐かしい。








 幕末・明治の写真師、下岡蓮杖とその弟子鈴木真一が、それぞれ下田、松崎で生まれて、日本の写真史の開幕を飾っていることを知ることができた。今回の伊豆の旅(Ⅰ~Ⅷ)の締めくくりとして、写真についての知的産物ともなった。

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