2020年11月17日火曜日

伊豆の旅Ⅶ:伊豆の神社


伊那下神社

今回の伊豆の旅では、お寺や仏像だけでなく、いくつかの神社にも訪れることができ、その歴史の一端に触れることができた。

 1.伊那下神社

松崎の由来については、次のような説話があるという。

那賀川の押し出す土砂の堆積によるデルタ地帯に防風林として松並木を植えたところから、「松ヶ崎」の名が生まれたのではないかという
まつざきのあたりは、もともとは、「伊那」と、呼んでいたもので、伊那下神社、伊那上神社は、新羅の渡来人、猪名部族が奉祀したのにはじまると伝えている。
猪名部族は、古くは摂津、伊勢、丹波、近江、隠岐、伊豆などに栄えた一族といわれ造船の技術にたけていたと伝え、その一派が西から海岸の黒潮にのり、伊豆七島を飛石伝いに伊豆半島の海岸にたどりつき、那賀川の下流一帯に居住した。やがて猪名が伊那と呼ばれるようになったものといわれている。


伊那下神社には、次のような伝承があるという。

伊那下神社は、「唐(もろこし)大明神」ともいわれ、その起源は、4世紀に新羅征討のとき、この国の人が皇后の御船を守り、長門の豊浦にとどまり、後にこの松崎に来て、ここに唐(新羅)征討の神功皇后のゆかりの住吉三神を鎮座したためといわれている。

それが、寛政年間に江川坦庵によって「伊那下」の額を賜り、以後「伊那下神社」と称するようになったという。


どちらも、この松崎は、古代、新羅との関わりがあったことを伝えている。

 

この神社には、すでに紹介した長八の作品も所蔵されているが、それ以外にも古くは鎌倉、北条氏の文書から江戸、明治の書画など多くの資料が所蔵されている。これらを神職さんから丁寧な説明をしていただいた。本殿まで案内していただき、見事な石造りの神殿を拝することができた。


境内の周りには、たくさんの木彫が置かれているが、これは神職さんが自ら彫られたもので、100体以上あるそうだ。

伊那下神社




カミソリの刃の入る隙間もない石組


「唐(もろこし)大明神」の扁額

御神木

神職が彫られた彫刻


2.厳島神社


松崎海岸の北端に弁天島という小さな山があ。元々は古代島(別名巨鯛島)と呼ばれる小島であったものが地続きとなり、現在は岬状となっているその島の頂部に、広島安芸の宮島の分社である厳島神社が鎮座している。




3.山神社・蚕霊大明神


旧依田邸から三聖苑に向かう途中に、山神社がある。今在る神社は、大正9年に依田佐二平をはじめとする大沢村の総力を挙げて造営されたものだという。

神社に手前には蚕霊大明神(さんれいのおおかみ)と書かれた蚕の形をした石が置かれている。

当時の養蚕、製糸業の繁栄を物語っているようだ。



蚕霊大明神(さんれいのおおかみ)

4.白浜神社


下田駅からバスで白浜海岸にでると、伊豆の国最古の神社とされる「白浜神社」がある。この社名は、通称で、正式には「伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)」で、主祭神の伊古奈比咩命は、伊豆諸島開拓神の三嶋神の后神であるという。

 

本殿に参った後、海岸にでる鳥居があり、その先の岩礁にも鳥居が建っている。白浜、青い海、朱の鳥居、美しい景色を見ることができた。(伊豆の旅Ⅴ伊豆の海にアップ)






今回の旅では、幕末の開国の歴史を語るお寺を訪れたが、神社にも素晴らしい歴史を感じることができました。とくに松崎の伊那下神社の神職さんからは、町の歴史や、由来など、いろいろなお話を聴けて、旅の印象が深くなりました。








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