牧野富太郎の銅像とスエコザサ |
桜が満開のこの時期、牧野記念庭園に行ってみた。門の前にあるオオカンザクラは、すでに葉桜となっていた。他にもいろいろな桜が植えられている。また野草も色々見ることができる。
1.牧野記念庭園
牧野富太郎は1862年(文久2)に土佐の国佐川に生まれ、1957年(昭和32)に94歳で亡くなった。1926年(大正15)から、ここ練馬区東大泉で過ごした。生前、牧野が書斎として使っていた部屋がそのまま屋根をかけ保存され、記念館には牧野自筆の原稿や植物画が展示され、展示室では植物画などの企画展が開かれる。また庭園には300種以上の草木が植栽されている。
書斎 |
庭園の門の前には、カンザクラより花が大きい「オオカンザクラ」があるが、訪れたときには、すでに葉桜となっていた。ソメイヨシノより1週間ほど早く咲くという。
また庭園内に「センダイヤ」というヤマザクラの一種とされる桜の大木がある。これは高知市内の仙台屋という店の前にあったもので、牧野が命名したという。
他にも庭では変わった桜を見ることができる。ワカキノサクラという名前の通り、種から発芽し2~年で花を咲かせるヤマザクラの変種で、牧野の故郷高知の佐川で発見し命名した。またウスガサネオオシマは神奈川県真鶴で発見したオオシマザクラの変種とされる。
なお、高知の五台山には牧野植物園があり、近くには四国霊場三十一番札所・竹林寺がある。
入口のあるオオカンザクラ |
オオカンザクラ |
オオカンザクラ |
ソメイヨシノ |
センダイヤザクラ |
センダイヤザクラ |
センダイヤザクラ |
センダイヤザクラ |
ワカキノサクラ |
ウスガサネオオシマ |
ウスガサネオオシマ |
牧野が新種として発見し命名した植物は1500種類にも及び、「日本の植物学の父」といわれ、独学で、東大の助手、理学博士の学位も得るなど、その生涯は偉人伝として多く語られている。
牧野の研究生活を支えた妻寿衛子が亡くなり、その苦労に感謝して亡くなる前年に仙台で発見した笹に「スエコザサ」ろ命名し、感謝の念を表したという。
庭園の一角にある石碑には、牧野が詠んだ次の2句が刻まれている。また、牧野の銅像の周りにもスエコザサが植えられている。
家守りし妻の恵みや我が学び
世の中のあらむかぎりやすゑ子笹
石碑とスエコザサ |
牧野の編纂した『牧野日本植物図鑑』は、よく知られているが、その出版の陰に、無名であった村越三千男というライバルとの植物図鑑の出版競争があったという。そうした知られざる牧野の「アナザー・ストーリー」があったことを次の本が明らかにしている。(『牧野植物図鑑の謎』俵浩三著 平凡社新書)
牧野は多くの植物の命名を行ったが、よく知られている言葉に「雑草という名の植物は無い」という言葉がある。この庭園でも、雑草ではなく、それぞれ名前のついた次のような草木を見ることができた。
ニリンソウ:1本の茎から2輪ずつ花茎が伸びることからついた名。
ジュウニヒトエ:花の咲く様子を宮中の女官などが着る十二単に見立てた名。
オオバベニガシワ:新葉の時の葉が紅く大きいことからついた名。
ユキワリイチゲ:「雪割」は早春植物を意味し、「一華」は一茎に一輪の花を咲かせるという意味。
カタクリ:かっては球根から片栗粉が作られていたことからついた名。
クサイチゴ:背丈が20-60cmと低く、草本のように見えるため、このような名がついているが、実際は木本。
ニリンソウ |
ニリンソウ |
ニリンソウ |
ジュウニヒトエ |
オオバベニガシワ |
オオバベニガシワ |
ユキワリイチゲ |
ユキワリイチゲ |
カタクリ |
カタクリ |
クサイチゴ |
クサイチゴ |
2.白子川のマルバヤナギ
牧野記念庭園の近くに大泉井頭(いがしら)こうえんがあり、白子川という川の上流端になっている。白子川は練馬区東大泉の井頭から北に向かって流れ、埼玉・和光市、板橋区を経由して新川岸川に合流する川である。井頭の「井」は湧水を意味し、吉祥寺の井の頭(いのかしら)も湧水である。
台風や大雨のときに練馬に洪水警報が出るのは、この川であることが多い。川は、ほとんどが道路に覆われ下を流れているが、上流端にあたる大泉井頭公園にはマルバヤナギの巨樹が2本あり、練馬区の天然記念物となっている。
ヤナギといえば銀座の柳であるが、それはシダレヤナギである。マルバヤナギは、シダレヤナギに比べると、その名のとおり葉は少し丸みを帯びて、多湿地に生育する水辺植物として特徴がある。
マルバヤナギ |
マルバヤナギ |
マルバヤナギ |
マルバヤナギ |
白子川の桜 |
近くに住んでいながら、このような巨樹があることは知らなかった。4月に入って新緑の季節になったら、また来てみたい。