2024年1月5日金曜日

東京異空間168:明治神宮・宝物殿

明治神宮宝物殿

 明治神宮を参拝する人でも、この宝物館まで行かれる人は少ないと思います。というのも、神宮の境内の北端にあり、多くの人が訪れる原宿口からは一番遠いところにあります。また、その南参道沿いに明治神宮ミュージアムが令和元年にでき、展示機能が移されたため、現在は春秋の例祭の際に一般公開されるだけになり、ふだんは見ることができません。

このブログも昨秋、訪れたものであり、今年の初詣に明治神宮に出かけたわけではありませんが、ブログで初詣(?)ということでアップしてみました。

1.宝物殿

明治神宮宝物殿は、御祭神である明治天皇と昭憲皇太后の御物を保存、展示するため、1921(大正10)年に建設された。建物は聖武天皇、光明皇后ゆかりの品を収める正倉院の建築様式を模した校倉風造で、鉄筋コンクリート造である。造営は内務省に設置された明治神宮造営局によって行われ、伊東忠太、佐野利器の指導のもと、同造営局の大江新太郎が設計を担当した。

関東大震災が起こる二年前の竣工で、鉄筋コンクリート造りというのは珍しい。これも耐震工学を築いた佐野利器の指導によるところが大きいのだろう。佐野は、神宮外苑に建てられた聖徳記念絵画館の設計も指導している。

また、伊東忠太は、明治神宮の社殿の設計を担当しており、宝物館も社殿との調和が図られるように指導されている。ただし、社殿はこのときには鉄筋コンクリート造りではなく総檜造りである。これについては伊東忠太が次のように自らの主張を述べている。

火災の防備は別に相当の施設を竭してもぜひ檜皮葺にしたいというのが余輩の主張であった。耐久問題については、なるほど檜皮は不利益である。しかし完全に葺き上げた檜皮の寿命はよく50年にするものであり、銅版で葺いてもその下地は案外早く腐朽する例は余輩の均しく経験するところである。要するに社殿建築の正格正式ならんがためには多少の物理上不利益はこれは忍ぶという覚悟でなければならぬ。 」(学士会アーカイブ伊東忠太「明治神宮の建築について」№397号より)

しかし伊東の主張にもかかわらず、社殿は、戦災により焼失し再建されたが、宝物殿は残っている。

また、宝物殿は、令和元年に南参道沿いに明治神宮ミュージアムが完成したため、展示機能が移された。なお、このミュージアムの設計は隈研吾が行っている。

(参照:東京異空間81:明治神宮(内苑)と神宮外苑Ⅰ2023/03/19

伊東忠太

伊東忠太の設計による明治神宮社殿

佐野利器

大江新太郎

2.大江新太郎

宝物殿の設計は、大江新太郎が担当したが、実は、この設計にはコンペが行われており、一等は大森喜一が当選したが、結局、大江新太郎の設計となった。大江の設計には、三等一席となった後藤慶二の設計案の影響があるといわれるが、大江のほうが、より独創的で技術レベルも高いものがあると評価されている。また、三等二席には遠藤新が選ばれている。この遠藤案を辰野金吾が誉めて、伊東忠太に、なぜ一等にしなかったのかといったという。しかし、当の遠藤は「老人に誉められるゝ事はよきものか、嬉しい様にして、淋しさ湧く」と複雑な思いを日記に綴っている。遠藤新(1889-1951)は、このときは明治神宮造営局技手であり、この後、フランク・ロイド・ライトに学び、帝国ホテル設計・監督中のライトの助手として働く 。ほかに自由学園明日館などを設計している。

大江新太郎(1879-1935)は、1904(明治37)年に東京帝国大学工科大学建築科を卒業し、その後、日光廟大修繕(1907-16に携わって以来、生涯にわたって日本の伝統建築を追求した。明治神宮造営に関わり、最初の大きな仕事が宝物殿の設計であった。大江は、1926年まで明治神宮の造営に携わり、ほかに高野山霊宝館1920年、伊勢神宮造営1929年、神田明神社殿1934年、厳島神社宝物館1934年、などを手掛けている。また、岩崎小彌太の鳥飯坂別邸の設計も行っている。この別邸の庭園は小川治兵衛によるもので、戦後は国際文化会館となった。(参照:東京異空間131:大名庭園を歩く8~国際文化会館2023/07/01

なお、新太郎の子息・大江宏(1913-1989)も建築家であり、国立能楽堂などの設計を手掛けている。(参照:東京異空間80:「柴田是真と能楽」~国立能楽堂2023/01/27

明治神宮宝物殿・正門

明治神宮宝物殿・正門

門扉

門扉・菊と巴の文様


陵王の面

陵王の面

創建当時の鬼瓦

創建当時の鬼瓦

明治神宮宝物殿・中倉

明治神宮宝物殿・中倉



明治神宮宝物殿

明治神宮宝物殿・展示室

明治神宮宝物殿・展示室

明治神宮宝物殿・格天井




明治神宮宝物殿は、神宮外苑の聖徳記念絵画館とともに、重厚な建物で重要文化財となっています。しかし、宝物殿の展示品は少なく、建物も春秋に一般公開されるのみになりました。しかし、宝物殿の前は広い芝生の広場となっており、憩いの場となっています。この広場には、北池と呼ばれる池があり、そのそばに亀石が置かれています。亀石はパワースポットとされ、なんでも岩の周りを反時計回りに3周回って歩き、岩に腰かけて瞑想するといいんだそうです(?)。また、宝物殿の前には、「君が代」にも詠われているさざれ石が置かれています。こちらもパワースポットだそうです。

しかし、一番のパワースポットは神宮の森ではないでしょうか。全国から植樹をされ自然のままに育ち100年以上たって、緑濃い森となっています。

北参道口(代々木駅側)


神宮の森

神宮の森・参道

北池

亀石

さざれ石

広場からドコモタワー

広場

赤松の大木


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