|
西新井大師・御朱印 |
|
西新井大師・本堂 |
西新井大師に参詣してきました。初詣というには遅すぎますが、今年になって、田無神社、東伏見稲荷神社、川崎大師につづき、4つ目の寺社となります。先に川崎大師にもお詣りしましたが、「男は川崎大師、女は西新井大師」ともいわれ、厄除け大師としてよく知られている西新井大師です。
1.西新井大師
西新井大師というのは通称で、正式には「五智山遍照院總持寺(ごちさん
へんじょういん そうじじ)」という真言宗智山派の寺院である。その由緒によれば、
天長の昔(826年)に弘法大師様が関東巡錫の折、当所に立ち寄り悪疫流行になやむ村人たちを救わんと、本尊の十一面観音を彫り、寺院を建立したことに始まるとされる。
厄除けの寺として知られ、東京都内の初詣参拝客数では、明治神宮、浅草寺についで3番目、関東では、8番目になるという。
|
山門の扁額「五智山」 |
2.西新井大師の境内
(1)本堂
本堂は、江戸中期に建立されたが、昭和41(1966)年に火災により焼失し、昭和46(1971)年に鉄筋コンクリート造りで再建され現在に至っている。設計は吉田五十八の弟子である大関徹による。本尊は十一面観音(秘仏)であり、こちらは火災を免れたという。
|
本堂 |
|
本堂 |
|
本堂 |
|
本堂 |
|
本堂・内部 |
(2)山門
山門は、江戸後期に建立され、名刹に相応しい風格を持ち、区内唯一の楼門である。
両脇には金剛力士像を祀る。江戸時代の彫工・三代石川豊光の作という。
|
山門 |
|
山門 |
|
山門 |
|
金剛力士像 |
|
金剛力士像 |
(3)三匝堂(さんそうどう)
創建は天保5(1834)年といわれ、明治17(1884)年に改修された、都内に残る唯一の栄螺(さざえ)堂である。古くは登ることができ、ここに参れば一時に諸国の霊場、諸仏を巡拝したのと同じ御利益があるとされた。残念ながら現在は内部非公開となっている。
|
三匝堂 |
|
三匝堂 |
|
三匝堂 |
|
三匝堂 |
|
三匝堂 |
(4)加持水の井戸
弘法大師が疫病に苦しむ人々を救うため護摩祈願を行ったところ、本堂に西側から清らかな水が沸いたという、その井戸が「加持水の井戸」とされる。本堂の西に新たに出た「井」ということから「西新井」という名が付いたという。
|
加持水の井戸 |
|
加持水の井戸 |
(5)塩地蔵
ここに安置されている地蔵は、江戸時代より特にいぼ取りその他に霊験ありと伝えられ、御堂内の塩をいただきその功徳ある時、倍の塩をお返しするところから塩地蔵といわれ信仰が盛んになったという。
|
塩地蔵堂 |
|
塩地蔵 |
(6)六角観音堂
塩地蔵の隣にある六角堂で、聖観音が安置されている。西新井大師は牡丹の花でも知られており、別名ぼたん観音ともいわれる。真言宗豊山派の総本山である奈良の長谷寺から移植した牡丹園が境内にある。
|
六角観音堂 |
|
聖観音(ぼたん観音) |
(7)如意輪堂(女人堂)
境内の奥にあるお堂には如意輪観音を祀っている。女性の諸願成就に霊験があるとされる。
江戸時代からとくに女人の厄除け寺として、塩地蔵、六角観音、女人堂などが信仰をあつめた。また、川崎大師に比べ、江戸内にあることから女性でも日帰りでお詣りに行けたということから、「女は西新井大師」といわれるようになったという。
|
如意輪堂(女人堂) |
|
如意輪観音 |
(8)弘法大師像
境内には、弘法大師を祀って、①「四国八十八箇所お砂踏み霊場
」:八十八箇所をぐるりと回り、厄除弘法大師のご利益と観音慈悲の功徳を一時に得られる礼拝所、②「弘法大師立像」:大師が四国を行脚された時のお姿を現した像、③「稚児大師像」:大師の幼少のお姿の像が置かれている。
|
「四国八十八箇所お砂踏み霊場 」 |
|
「四国八十八箇所お砂踏み霊場 」 |
|
「四国八十八箇所お砂踏み霊場 」 |
|
「弘法大師立像」 |
|
「弘法大師立像」 |
|
「稚児大師像」 |
3.北斎「弘法大師修法図」
西新井大師に北斎の晩年88歳の時の肉筆画「弘法大師修法図」が所蔵されている。これは、明治期の刊行書に掲載された後、埋もれたままになってたが、北斎研究家の永田生慈氏によって、昭和58(1983)年になって再発見された。画面は縦150センチ、横240センチという大作で、現在残されている北斎の作品中、もっとも大きなものとされる。
漆黒の闇に三日月を背景に、左には筋肉猛々しい赤鬼、右にはキノコに覆われた古木、その木に絡みつく犬が唸りを上げ鬼と睨み合い、中央には疫病退散のために祈る僧侶、弘法大師・空海というダイナミックで幻想的な世界が描かれている。絵の中に描かれた三日月、キノコ、犬
には様々な暗喩が込められているという。下弦の細い「三日月」は、新月の前、すなわち闇夜になる直前の世界を示し、疫病が広まり暗黒の世が目前に迫っていることを示すという。「キノコ」は、カワラタケというサルノコシカケの仲間で、弱ったり枯れたりした木々にびっしりと生えるという。その「木」は疫病にかかった人を、そして木に絡みつく「犬」は、十二神将のうちの伐折羅大将(戌)の化身だという。十二神将は薬師如来を守護し、伐折羅大将は十二神将最強の神
とされる。
この作品が描かれた天保年間は、天然痘が流行った時期で、赤鬼=疫病に対し、弘法大師が修法を行う姿を描き疫病退散を願ったものとされる。「修法」とは、密教において、国家や個人の為に災いを払って福を祈る、あるいは怨敵降伏などに行う加持祈祷をいう。描かれた弘法大師は、経巻を持つ腕に血管が漲り、その法力を持って鬼(疫病)を調伏している。暗闇の中の草むらからは、小さな光が輝き始めている。この寺の縁起も踏まえたドラマティックな一瞬をダイナミックな構図で描いた北斎の肉筆画の傑作である。
この「弘法大師修法図」は、10月の第一土曜日にのみ本堂で公開される。
|
北斎「弘法大師修法図」 |
4.参道のお店
山門から参道に出ると、両脇には老舗のお団子屋、さらに進むと、トタンに書かれた「かどや」という大きな文字。創業は大正で、建物は昭和になってからという甘味処、食事処である。さらに進むと、こちらは「浅香屋」という煎餅屋さん。明治の創業で、建物は戦後に建てられたそうだ(この日はお休み)。こうした昭和レトロなお店が残っている。
(参考):
「美の巨人たち:葛飾北斎・晩年のすごい肉筆画」
テレビ東京2019/3/16放送
「新美の巨人たち:厄除けの寺」テレビ東京2023/1/7放送
|
参道・老舗のお団子屋 |
|
「かどや」 |
|
「浅香屋」 |
西新井大師は、川崎大師、観福寺大師堂(千葉・香取)と並んで関東厄除け三大師のひとつとなっています。もう一つの観福寺大師堂には、3年前に訪れていますので、これで三大師を回ったことになります。さて、厄除けのご利益は・・・
|
観福寺大師堂 |
|
観福寺大師堂 |
(参照):佐原~水郷の町、地図の町2021/01/11
東京異空間175:初詣は川崎大師から(2024/02/01)
0 件のコメント:
コメントを投稿