2024年3月29日金曜日

東京異空間188:東博に観る仏像

 

文殊菩薩騎獅像

突然ですが、問題:仏像を一番多くみられるところはどこでしょうか。答えは奈良や京都のお寺ではなく、おそらく上野の東京国立博物館(東博)だと思います。東博には、本館では平安以降の仏像を、法隆寺宝物館には飛鳥時代の金銅仏を、そして東洋館にはインド・ガンダーラの仏像から中国、韓国、アジアの仏像を観ることができます。今回は、本館の日本の仏像と、東洋館の中国の仏像を観て来ました。

普通、仏像は信仰の対象であることから、撮影は不可ですが、美術館では美術・彫刻として、一部を除き撮影可となっているのもうれしいことです。

1.仏像の誕生

仏教は、釈迦牟尼により紀元前6世紀ごろに始まったとされるが、仏像は、それよりずっと後の紀元1世紀ごろから造られたといわれている。仏像が造られる以前は、釈迦の存在は、法輪、菩提樹、仏足石によって象徴的に表現されていた。ところが、仏教がインドのガンダーラ地方(現・パキスタン)、マトゥーラ地方に伝わると、仏像が造られるようになる。この2つの地域が仏像の起源とされる。

仏像が作られるようになったのは、ヘレニズムの影響によるものとされ、ガンダーラ系仏像は、意匠的にもギリシアの影響が大きい。しかし、ほぼ同時期に造られたマトゥラーの仏像は,先行するバラモン教や地主神に相通ずる意匠をしていて現在にも続く仏像の意匠の発祥ともいわれている。

仏像の誕生とほぼ時を同じくして、仏教は中央アジアを経由して中国に伝えられ、5世紀に入ると大規模な石窟寺院なども造営されるようになり、数多くの仏像が造られた。

日本には、朝鮮半島から仏教が伝わり、いわゆる「仏教公伝」では、百済の聖明王から欽明天皇の時代、538年(あるいは552年)に伝わったとされる。仏像もこの時期、6世紀飛鳥時代に造られたという。法隆寺宝物館に所蔵されている金銅仏群はこの時代のものである。

(法隆寺宝物館には2019年に訪れているので、その時の写真の一部を載せる)

法隆寺宝物館・金銅仏群

法隆寺宝物館・金銅仏

法隆寺宝物館・金銅仏

2.日本の仏像@本館

東博の本館では、平安時代以降に造られた仏像を観ることができる。今回観る(撮る)ことのできた仏像をあげておく。

日蓮上人坐像・室町時代

慈恩大師坐像・平安時代 慈恩大師は唐の高僧で、法相宗の祖師

毘沙門天立像

毘沙門立像・平安時代 足元の邪鬼からの一木造

毘沙門立像・平安時代

菩薩立像・平安時代

文殊菩薩騎獅像及び侍者立像・鎌倉時代康円作、興福寺伝来、獅子に騎乗する文殊菩薩が善財童子など4人の侍者を伴い海を渡る姿。

善財童子

執金剛神立像 明治時代 竹内久一作。1893年シカゴ万博に出品。本館2階に展示。


3.中国の仏像@東洋館

東洋館には、インド・ガンダーラの仏像から、中国、朝鮮半島、アジアなどの仏像を観ることができる。今回は、1階に展示されている中国の仏像をあげておく。

観音菩薩立像・隋時代6世紀

観音菩薩立像・隋時代6世紀

観音菩薩立像・隋時代6世紀

菩薩立像・北斉時代6世紀

菩薩頭部・北魏時代6世紀

如来三尊立像・東魏時代6世紀

如来倚像・唐時代8世紀

如来頭部・唐時代8世紀

菩薩頭部・唐時代8世紀

菩薩頭部・隋時代6世紀

如来頭部・北魏時代5世紀

菩薩五尊像・北斉時代6世紀

如来五尊像・西魏時代6世紀

菩薩立像・東魏時代6世紀

菩薩立像・東魏時代6世紀

勢至菩薩・隋時代6世紀

観音菩薩立像・東魏時代6世紀

如来坐像・五胡十六国時代・4世紀

如来三尊仏龕唐時代8世紀

如来三尊仏龕・唐時代8世紀

阿弥陀三尊仏龕・唐時代8世紀

十一面観音龕・唐時代8世紀

十一面観音龕・唐時代8世紀

東洋館・中国の仏像


4.美術品としての仏像

東博の本館、東洋館でみてきたように、多くの仏像が展示されているが、このように博物館に展示されるようになったのは明治以降のことである。先に述べたように、6世紀に日本に仏教が伝わり(仏教公伝)、仏像も入ってきた。そのとき、いわゆる「崇仏論争」(蘇我氏と物部氏の権力争いとも)があったとされる。以来、江戸時代まで、仏教が信仰され、仏像は信仰の対象であった。

しかし、明治になると、仏像は信仰の対象から、美術品として鑑賞の対象となった。その断絶をもたらしたのは大きく二つあげられる。ひとつは、明治元年に布告された神仏分離令に伴い廃仏毀釈が起こり、各地で多くの仏像や仏具等が破壊、消失したことである。こうした状況に対し、明治政府は「古器旧物各地方ニ於テ保存」の太政官布告を行う。これは日本最初の文化財保護の法令となる。

もうひとつは、西洋化に伴い「美術」という概念が確立していき、仏像は古美術品、文化財として保護されるようになったことである。そのことを象徴する出来事が、フェノロサ、岡倉天心らによる、法隆寺夢殿の秘仏・夢違観音を開けるという事件である。寺側の開ければ仏罰が当たる、ということに構わず、美術品、文化財の調査を敢行したとされる。また、これを差配した九鬼隆一は、仏像など伝統的な美術工芸品を国威発揚に資するものとして、また殖産興業の一環として海外への輸出品として活用した。それによって、仏像は寺の私有物ではなく、公共性をもつ公益=国益となった。

実際、伝統的な美術工芸品はウィーンなどで行われた万国博覧会に出品され、高い評価を得た。国内においても殖産興業をはかるため、博覧会を開催された。1872(明治5にはウィーン万博への出品準備として開かれた湯島聖堂博覧会が開かれ、これが日本の博物館の始まりとされ、東京国立博物館の創立としている。こうして、仏像など美術工芸品が博物館に展示されるようになった。博物館に文化財として保存されるようになると、寺社も自ら宝物館を造り、文化財として管理するようになり、本尊として祀るだけでなく、展示、保護にも重点が置かれるようになった。

また、博物館等での展示のほかにも、美術品としての鑑賞においては写真術が大きく寄与した。1888(明治21)年から翌年にかけて行われた近畿宝物調査いて美術工芸品の撮影は小川一眞によって行われ、のちに『國華』などの美術書を発行することになる。『國華』という名称は、岡倉天心による創刊の辞にある「美術ハ國ノ精華ナリ」によるものであり、<美術>が<國>と結び付けられた。

また、写真は日本美術史を編纂する書物の図版として活用された(『稿本日本帝国美術略史』1901年帝室博物館発行)。 日本美術史は岡倉天心によって書かれたが、それにより各地にある仏像が、その年代、時代区分、様式などが美術史により定まっていくとともに、文化財(当時は古器旧物)として、その重要性に応じ等級が付けられることになる。1897(明治30)には「古社寺保存法」が制定され、国宝と指定されたのは神像・夫須美大神坐像(熊野速玉大社)とされる。(なお、戦後の国宝第一号は広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像である)

こうした写真により、それまで寺社で祀られていた仏像を全く異なる空間で仏像を見ること、観賞することができようになる。さらに美術品としての鑑賞だけでなく、写真入りの仏像の美術本を信仰心を喚起し布教に役立てるために出版することまで行われた(『真美大観』全201899-1908年刊)。

一方、仏像の制作は、これまで仏師によって造られてきたが、高村光雲(1852-1934)のように仏師から彫刻家として、あらたに彫刻として造ることになる。本館2階に展示されていた竹内久一(1857-1916)の<執金剛神立像>は近代彫刻作品の一例であり、仏像は彫刻作品となり、仏師は彫刻家となった。

こうして仏像たちは、寺社の秘仏、信仰の対象から、博物館に展示されるとともに、美術品としての格付けもなされることになり、最高品は、まさに国の宝として「国宝」に指定される文化財となった。

(参考)

『仏像と日本人』碧海寿広 中公新書 2018

『国宝ロストワ-ルド』岡塚章子他 小学館 2019

小川一眞については、「東京異空間181:「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」展@印刷博物館」2024/2/19を参照されたい。

小川一眞「無着菩薩像」興福寺

小川一眞「興福寺・仮金堂」(明治21年)

仏像が信仰の対象から美術品として鑑賞の対象となるのに、写真が大きく寄与していたことを述べたが、仏像を撮った写真家として、小川一眞 のほかにも、横山松三郎、小川晴暘(飛鳥園)、工藤利三郎、坂本万七、土門拳、藤本四八、入江泰吉、などが挙げられる。このうち、土門拳は、仏像の聖性にまで迫るようにクローズアップした写真で、また入江泰吉は仏像を拝する人々の心象に迫るような写真で、鑑賞対象としての美を超えて、信仰対象の心までをとらえている。こうした写真が、博物館等に展示された仏像だけでなく、奈良などの寺院に安置された仏像を実際に見ることを誘う。

入江泰吉「東大寺戒壇院・広目天」

今回は、東博の本館、東洋館1階で観られる仏像でしたが、東博では、インドにはじまり、中国、朝鮮半島、アジア各地にある仏像を観ることができます。常設展示の他、特別展として仏像展が開かれることも多いので、さらに観る機会が増えます。

また、先に挙げた仏像写真家の作品も多く見ていきたいと思います。そして、できれば古都に行き、寺院の仏像を拝することを。

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