横尾忠則の「寒山百得」展は、昨年2023年12月3日に終わっていますが、時間をおいて、やっとアップすることが出来ました。横尾の展覧会に行ったのは初めてです。それというのも、上野の表慶館で開催されていることから、建物内部をまた見られるということもあり、出かけてきました。なお、会場はすべて撮影可でした。
表慶館については、3年前に拙ブログで取り上げています。
「表慶館~芸術作品としての建築」2021/01/12
1.横尾忠則
横尾忠則(よこお ただのり、1936-)は兵庫県西脇市の出身。1960年代はグラフィックデザイナーとして活躍。寺山修司、唐十郎、細江英公、そして三島由紀夫らと知り合う。とくに三島には深く影響され、神秘主義などの精神世界に傾斜していった。この時期に制作されたのが細江英公の三島を撮った写真集『新輯薔薇刑』の装幀である(1971(昭和46)年 集英社刊)。また篠山紀信が三島を撮った写真集『男の死』は、三島の自決により封印されたままとなり幻の写真集となった(その後、2020年にアメリカで刊行された)。
1970年代に横尾は「画家宣言」をするが、そのきっかけとなったのがニューヨーク近代美術館で開かれたピカソ展であったという。
今回の「寒山百得」は、コロナ禍の2021年9月から2023年6月まで、横尾が87歳、の期間に描かれた102点の作品である。この横尾忠則展は、東博の歴史上、初の現存作家の個展であり、しかも「表慶館」で開催されたものとなった。
2.寒山拾得
今回、横尾がテーマとして描いた「寒山拾得」というのは、寒山と拾得という、中国,唐に伝わる伝説上の2人の詩僧である。天台山国清寺の豊干(ぶかん)禅師の弟子であり、拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称し、寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したという。ともに世俗を超越した奇行が多く,また多くの詩を作ったといわれるが、寒山、拾得の実在そのものを含めて真偽のほどは確かめがたい とされる。寒山拾得は、禅僧や文人たちによって画題として、箒や経巻などを持つ姿で描かれることが多い。虎を連れた豊干を釈迦如来、寒山を文殊菩薩、拾得を普賢菩薩の化身に見立てるものもある。 「四睡図」
横尾が「寒山拾得」をテーマに描くことになったのは、江戸時代の奇想の画家・曾我蕭白の代表作《寒山拾得図》にインスパイアされたからという。 今回の「寒山百得」展にあわせ、東京国立博物館が所蔵する、中国、日本で描かれた「寒山拾得図」を一堂に集めた企画展も開催された。
黙庵筆「四睡図」 |
曾我蕭白「寒山拾得」京都・興聖寺 |
曾我蕭白「寒山拾得」京都・興聖寺 |
3.寒山百得
横尾は、寒山拾得をテーマとして、「拾」を「百」に替え、「寒山百得」として、2021年9月から描きはじめ、結局102点もの作品を制作した。伝統的な寒山拾得では、寒山は巻物を、拾得は箒を持つ姿が定番として描かれる。しかし横尾はこれを独自に解釈し、巻物はトイレットペーパーに、箒は掃除機に置き換えられている。さらにトイレットペーパーからの連想でトイレの便器もしばしば登場し、それは現代アートの重要作家マルセル・デュシャンの《泉》を思い起こさせる。マネの《草上の昼食》や江戸期の絵画である久隅守景の《納涼図屏風》を想起させるもの、ドン・キホーテ、アルセーヌ・ルパン、さらにはアインシュタインも登場する。また、この時期、東京オリンピックの開催が話題となり、世相を反映したマラソンや水泳など競技、WBCで盛り上がった野球の大谷も登場する。このように連想が連想を生み、伝統的な「寒山拾得」を超えた様々なモチーフが百面相のように描かれる。
それぞれの作品にはタイトルなどはなく、制作した日付が記されており、基本的に制作順に展示されている。横尾は、100点もの作品を描くに当たって、次のように述べている。
「今年86歳になりまして、100点も描けるのかな、えらいことになってしまった、これは相当なスピードを出して描かないと間に合わないと思いました。だからもう、アーティストを辞めてアスリートになろう、と。頭で考えるのではなくて、体で考える。脳みそを体のほうに移動しまして、僕はそれを”肉体脳”と呼んでいます。」
そして、最後の102点目の作品を仕上げるのにかかった時間は1時間25分だった。その作品に日付、2023.6.27と書き入れ、横尾は次のように振り返っている。
「寒山拾得は、自由奔放で、約束事がない、決まりがない、ということはつかみどころがないということ。つかみどころがないから、こちらが振り回されているわけだ。絵というものはもともと何かに振り回されている作業である。美術、芸術というものがあるとすれば、芸術そのものが<寒山拾得>であるといえる。」
この102点目の作品は、横尾が自ら「朦朧体」とよぶ、輪郭線のない絵全体が朦朧としてつかみどころがない作品となっている。そのきっかけは2015年に発症したという難聴により、視界がぼやけ、あらゆる事物の境界があいまいに、さらに腱鞘炎になり筆を持つ右手が不自由となった。老化に伴うこうした身体的不自由を自然のものとして受け入れ、横尾の筆は作者の意図を離れ、自由奔放に動き回り、色彩も原色に近い明るい色にあふれ画面全体を明るく描く。こうしたスタイルを自ら「朦朧体」と呼んだ。朦朧体と言えば、美術史では横山大観(1868-1958)などが明治時代に確立させた日本画の技 法を指すが、横尾の「朦朧体」は自らをとりまく朦朧とした状況、時には夢と現実の区別さえつかなくなるような状態そのもの、そうした画家の姿を表わしている。とすれば、「寒山拾得」とは、すなわち横尾忠則であり、それは「芸術」であったといえるだろう。
(参考):
NHK日曜美術館アートシーン特別編「横尾忠則 寒山百得」2023.11.5放送
NHK横尾忠則 聖者を描く「寒山拾得」の世界 2023.11.6放送
大谷翔平も登場 |
トイレットペーパー・便器・掃除機 |
42.195と書かれたマラソンのゴール |
マネ《草上の昼食》から・虎(TIGERS)の看板も |
ドン・キホーテとサンチョパンサ? |
ドン・キホーテ |
久隅守景の《納涼図屏風》から |
アラビアン・ナイトから? |
赤い魔法の絨毯に乗って |
生命の樹? |
ハリー・ポッターのように空を飛ぶ |
「FUSION」とは、二つ以上のものが結合し一つの新しいものが生まれること。 |
アルセーヌ・ルパン? |
「四睡図」・アインシュタインも登場 |
102点目の作品・2023.6.27の日付 |
横尾忠則の「寒山百得」展を観たのは、昨年の11月30日でしたので、ブログにまとめ得るのに時間が経ってしまいましたが、あらためて横尾の作品のかずかずに魅入ることになりました。
87歳になる横尾忠則が、このように100点を超える大作を2年弱の期間で完成させたということに驚きました。この時期がコロナ禍で、行動にも制約がかかるなど不自由な状況であった中で、100点もの大作を自由奔放に描き出したことに、また、横尾自身が老いて身体的な不自由な中で、「朦朧体」という自由で明るい世界を描いたことに、寒山拾得とともに横尾忠則に不自由の中から自由の世界、生き方を観た思いがしました。
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