「地獄極楽図」 |
府中市美術館で開かれていた「ほとけの国の美術」展の前期も観てきましたが、後期に展示される作品にも素晴らしいものがあり、観てきました。前期・後期を通して、今の言葉でいえば「推し」の作品は、「二十五菩薩来迎図」、「地獄極楽図」、「涅槃図」の3点でした。
(参照):
1.二十五菩薩来迎図 土佐行広 17幅 室町時代(15世紀前半)
京都嵯峨野の二尊院にある二十五菩薩来迎図。15世紀の前半、室町時代前期に土佐行広によって描かれた。
本尊である釈迦如来立像と阿弥陀如来立像の二尊を中心に南北両側に十七幅が掛けられる一七幅には、二十五菩薩と地蔵、龍樹の僧形、さらに日輪、月輪が描かれる。
二尊のうち釈迦如来は現前から死者を送り出す「発遣」、阿弥陀如来は極楽浄土から迎えに現れる「来迎」。
日輪・月輪は、往生する人を送り出す現世を表わすと考えられている。二十五菩薩は、楽器を奏でたり踊ったりする優美な姿で現れる。僧形で描かれる地蔵菩薩と龍樹菩薩は、源信の『往生要集』に、苦しむ衆生を救う地蔵、修行の方法などを説く龍樹とされることに由来している。
十七幅に描かれている二十五菩薩は、これまで馴染みのない名前が多いのですべてを列挙しておく。持っている楽器も付記しておく。
北一番 日輪
北二番 観音菩薩
北三番 薬王菩薩・普賢菩薩
北四番 獅子吼菩薩・陀羅尼菩薩 「鶏婁鼓(けいろうこ)」「振鼓(ふりつづみ)」
北五番 宝蔵菩薩・金蔵菩薩 「横笛」「排簫(はいしょう)」
北六番 衆宝王菩薩・金剛蔵菩薩 「鉦鼓(しょうこ)」「筝(そう)」
北七番 三昧王菩薩・月光王菩薩 「方響(ほうきょう)」「鼓」
北八番 定自在王菩薩 「大太鼓」
北九番 白象王菩薩・地蔵菩薩
南一番 月輪
南二番 勢至菩薩
南三番 薬上菩薩・法自在菩薩 「腰鼓」
南四番 虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩 「笙(しょう)」
南五番 光明王菩薩・山海恵菩薩 琵琶」「箜篌(くご)」
南六番 無辺身菩薩・華厳王菩薩 「磬(けい)」
南七番 日照王菩薩・大威徳王菩薩 「鞨鼓 (かつこ)」
南八番 大自在王菩薩・龍樹菩薩
結縁者 画面の下隅に結縁者、すなわちこの来迎図を寄進して極楽浄土を願った人たちの名前が書かれている(32名、書かれているが、ダブりがあり実際には29名)。
釈迦・阿弥陀の二尊を中心に、二十五の菩薩が囲む、このお堂がまさに来迎の場となるようだ。
(参考):
『二尊院の二十五菩薩来迎図』小倉山二尊院 国書刊行会 2023年
「二十五菩薩来迎図」 |
「二十五菩薩来迎図」 |
2.地獄極楽図 18幅 江戸時代後期(19世紀)
金沢にある浄土真宗の寺、照円寺に伝わる「地獄極楽絵図」は、江戸後期に制作された絵図で、 極楽と地獄を迫力ある鮮やかな色彩で18枚にわたる、大画面(一幅は縦約170×横約95センチ)で、見る人を地獄極楽の世界に一気に引き込む。
18幅の構成は、地獄以外の六道の図が六幅(うち人道の図は二幅)、地獄の図が七幅、浄土の図が四幅、そして源信像は一幅からなっている。
(1)源信和尚図。地獄・極楽の観念が広まったのは源信の『往生要集』による。源信の『往生要集』は、第一章「厭離穢土」で六道の苦の世界を描く。
六道の輪廻というのは、すべての生き物が死んだら生まれ変わる六種の世界があり、どの世界に行くかは各々の生前の業による。六道のどこに行くかは、死後七日ごとに行われる「十王」による審理で決まる。よく知られているのは閻魔大王の裁きである。
(2)六道図
天道:天人の世界で、六道の中では最も苦が少ないが、それでも死は免れない。死を迎えるときは5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、髪飾りも落ち、天の羽衣も汚れ、悪臭を放ち、一人で死んでいく。
人道(2幅):人間の世界では、生老病苦という四苦に加え、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦があり、「四苦八苦」となる。人道の1枚目は栄枯盛衰(上臈女房と枯野の老婆)、生老病死の四苦をあらわし、2枚目は死者の九相図。死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。
阿修羅道:戦いの神である阿修羅の世界で、須弥山の帝釈天相手に戦い続ける、つねに負け続ける不毛な戦いを続けなければならない。戦いだけでなく天災の苦しみも。
畜生道、弱肉強食の世界で、つねにお互いを殺し喰らい合い、どんな生き物も常に、より強いものに命を脅かされながら暮らす。牛や馬になれば人間にこき使われるという苦がある。
餓鬼道:怒り、貪り、嫉妬に満ちた者が堕ちる世界で、喉が針のように細く、つねに満たすことのできない腹が山のように膨らんだ餓鬼として生きねばならない。
地獄道:愚行を働いたものが堕ちる世界で、地底奥深くにあると考えられている。畜生道、餓鬼道、地獄道を「三悪道」という。重ねた業の内容に応じて、八つの地獄の内、どこかに行き獄卒(鬼)達から壮絶な攻めの苦を受け続ける。それが八大地獄である。
(3)八大地獄
八大地獄には、次の八つの罪を犯した者が行く。①殺生②偸盗③邪淫④飲酒⑤妄語⑥邪見⑦犯持戒人⑧親・阿羅漢殺害。これらの罪を重ねて堕ちる地獄である。
《等活地獄》=①殺生をした者が堕ちる。罪人たちはお互いに傷つけ合い、肉を食い合う。地獄の獄卒は鉄の杖で罪人たちの体を砕き、肉をそげ落とす。罪人は命を落とすが、獄卒が「活々(かつかつ!)と叫ぶと赤ん坊の姿で生き返り、再び凄惨な攻めを負うことになる。
《黒縄地獄》=①~②偸盗を犯した者が堕ちる。煮えたぎる釜の上に黒縄が張ってあり、その縄の上を渡らせられる。落下した罪人は肉を煮られ、骨を溶かされる。無事渡ったとしても、獄卒が罪人を捕らえ、灼熱の鉄の板に寝かせ、黒縄で体を測り、その線に沿って斧や鋸で体を切り裂く。また熱い黒縄は罪人にもつれ絡まり、肉が焼け骨が焦げる。黒縄地獄は等活地獄の下にあってその苦しみは十倍に及ぶ。
《衆合地獄》=①~③邪淫の罪を犯した者が堕ちる。 多くの罪人が、相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、おしつぶされて圧殺され、砂のように粉々にされる。鉄の臼に入れられ鉄の杵でつかれる。衆合地獄の苦しみはは 黒縄地獄のさらに十倍となる。
るなどの追い込まれた苦を受ける。剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す。それは誘惑に負けた罪とされる。その他に、鉄の巨象に踏まれて押し潰されるという罰もある。黒縄地獄の下にあってその苦しみは十倍に及ぶ。
《叫喚地獄=①~④飲酒の罪を犯した者が堕ちる。熱湯の大釜の中で煮られたり、暑い炎の鉄室に入れられて叫喚する。その叫び声や許しを請い哀願する声を聞いた獄卒たちはさらに怒って、罪人に酷い追い討ちをする。頭髪が金色、目から火を出し、赤い衣を身にまとった巨大な鬼たちが罪人を追い回して弓矢で射る。衆合地獄の下に位置し、その十倍の苦を受ける。
《大叫喚地獄》=①~⑤妄語の罪を犯したものが堕ちる。妄語とは嘘をつくこと。熱鉄の鋭い針で、口も下も刺される。熱鉄の金ばさみで舌を抜き出されるが、抜いてしまうと、舌はまた生え、同じ責め苦が繰り返される。 叫喚地獄の十倍の苦を受ける。
《焦熱地獄》=①~⑥邪見(間違った考えを抱く)の罪を犯したものが堕ちる。熱した大きな鉄線の上で、激しい炎に炙られる。あるいは大きな鉄の串で身体から頭まで突き刺され、繰り返し炙られる。大叫喚地獄の十倍の苦を受ける。
《大焦熱地獄》=①~⑦犯持戒人(尼僧を騙して汚す)の罪を犯したものが堕ちる。悪行の縄で縛られ、見渡す限り巨大な火柱が群林する場所に連れていかれ、自らの悪行によって燃え盛る炎のなかに落とされる。焦熱地獄の十倍の苦を受ける。
《阿鼻地獄》=①~⑧父母、阿羅漢殺害の罪を犯したものが堕ちる。「五逆」という、5種の最も重い罪。一般には、父を殺すこと、母を殺すこと、悟りに達した阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることをいい、一つでも犯せば無間地獄に落ちると説かれる。
地獄の最下層に位置する。大きさは前の7つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬(由旬とは、古代インドの距離の単位で一由旬でも約7~8キロメートルといわれる)。最下層ゆえ、この地獄に到達するには、真っ逆さまに落ち続けて2000年かかるという。前の七大地獄の1000倍の苦もあるという。 これまでの7つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという。
続いて極楽図4幅では、十種の極楽が描かれる。源信の『往生要集』では第二章「欣求浄土」において「浄土十楽」としてとりまとめられている。
①聖衆来迎楽(阿弥陀仏等の聖者の集団が往生人を迎えに来る楽しみ)
②蓮華初開楽(往生人の乗った蓮が極楽の蓮池で初めて開く楽しみ)
③身相神通楽(身に三十二相の優れた特質が具わり、五神通を得る楽しみ)
④五妙境界楽(色・声・香・味・触という五種の対象がみな見事である楽しみ)
⑤快楽無退楽(快感が無くなることのない楽しみ)
⑥引接結縁楽(縁を結んだ人を迎える楽しみ)
⑦聖衆倶会楽(菩薩たちと会える楽しみ)
⑧見仏聞法楽(仏に直接お会いして教えを聞く楽しみ)
⑨随心供仏楽(思い通りに仏を供養する楽しみ)
⑩増進仏道楽(修行が進む楽しみ)。
さらに源信は、『往生要集』第四章で、死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎(のちの法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗)を創る 。念仏には五種の行がある
「礼拝」阿弥陀仏を礼拝する
「讃嘆」阿弥陀仏を褒めたたえる
「作願」悟りを求める心を起こす
「観察」阿弥陀仏の姿を観想する
「回向」自ら修めた功徳を自らの悟りのため、他所の利益のためにふりむける
この五行を正しく行えば極楽浄土への道が拓けるという。
江戸時代には、『往生要集』の内容を図示した分かりやすい挿絵入りの版本「平かな絵入り往生要集」が出版されている。「平かな絵入り往生要集」は、寛永年間に出た本で、挿絵は、八田華堂という画家によるもの。この作者は、仏教関係の絵を生業とする京都の絵仏師ではないかとされるが、詳しいことは不明とされる。この本の挿絵に、「地獄極楽図」の構図や細部に同じものが見られるので、これを参照していることは確かだろうが、照円寺の地獄極楽図の作者、制作年代など詳しいことは分かっていない。
「地獄極楽図」の18幅の大きな図は、とくに地獄絵にみるように、黒をバックに、炎や閃光を鮮やかな赤やオレンジで描き、獄卒(鬼)には赤色や緑色を使い、責め苦にあう人間の滴り落ちる血、苦しむ姿、表情は、当時の人々にとっては一種のリアリティがあったのではないだろうか。今でいえばマンガ、劇画、アニメを観るように画面にひきこまれ、追体験するような感覚になっていったのではないだろうか。当時の人々にとって、極楽は「ユートピアの幻想」であったかもしれないが、地獄は「リアルな現実」として映ったかもしれない。
「地獄極楽図」 |
「地獄極楽図」 |
「地獄極楽図」 |
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「地獄極楽図」 |
3.八相涅槃図 1727(享保12)年
名古屋市・西来寺に伝わる「八相涅槃図」は、江戸時代の数多くの涅槃図の中でも、美しく洗練されている。縦187×横276センチという大きな画面の中心に釈迦の涅槃が置かれ周囲には嘆き悲しむ人々や動物たちが描かれている。動物たちがは色鮮やかに描かれ、珍しいのは水の生き物が描かれていること。陸上の動物がお釈迦様に手向けているのは花だが、クジラが口にくわえているのはサンゴである。
伊藤若冲などが巨大な象と大きな鯨を描いたのも、こうした涅槃図をヒントにしたとされる。
涅槃図の左右に描かれているのは「八相」と呼ばれる、釈迦の生涯の八つの場面。すなわち、釈迦の生涯を涅槃=臨終を中心に八つの場面で絵解きが行われ、人々の信仰を深めることになる。こうした絵解きに使われた絵画が、涅槃図であり、先の地獄極楽図であり、他にも曼荼羅図、釈迦八相図、聖徳太子伝などの絵画である。
展示会場の横では、西来寺の住職、照円寺の住職のそれぞれの絵解きの様子がビデオで観られるようになっていた。
「八相涅槃図」 |
それぞれの寺院で絵解きに用いられる、こうした涅槃図や地獄極楽図といった絵画が美術館で展示されることはほとんどないのではないか。今回の展覧会では、ほかにも、美術館や美術書などではこれまで見たことのないような作品が展示されていた。
例えば、一般の画家ではなく、名前も分からない絵仏師が描いたとされる「星曼荼羅」。真ん中に「一時金輪仏頂」という仏、周囲の円は星、星座を表わしている。円の中には多くの動物たちが描かれる。占星術が取り込まれ、災いの加持祈祷が行われるときに用いられた曼荼羅である。
また、中村竹渓(1816-1867)が描いた「観音像」。漆黒の紺地に浮かび上がる観音、白い雲に乗り、水瓶と柳の枝を持つ。菩薩の天衣は執拗なくらいうねって、細かい襞を重ねたように見える。極めて珍しい観音像である。
さらに、「仏涅槃図」。これは江戸時代、木版刷りの涅槃図もたくさん作られたが、そのうち「道益」という作者が原画を描き、その原画をそっくりそのまま手書きで描いたものである。版画をもとにしていることから、44×30センチというサイズであるが、これも絵解きに用いられたのであろう。
もうひとつ、狩野了承(1768-1846)が描いた「二十六夜待図」。これは前期に展示されていたが、二十六夜待という当時の信仰と娯楽の合わさった行事を静寂な海と空、そして遠くに房総の山々から黄色の光を発する阿弥陀仏が現れるという神秘的な光景を描いたもので、題材もシルエットで表す描き方も珍しい。
こうした珍しい作品も展示され、「ほとけの国」の人々、極楽浄土に往生したいと願い、地獄に落ちたくないから悪いことはしないと心に誓うといった人々の心、信仰心までうかがえる美術展であった。
(参考):
図録『ほとけの国の美術』東京美術 2024年
『地獄絵の日本史』末木文美士ほか 宝島社新書 2021年
『往生要集を読む』中村元 講談社学術文庫 2013年
「地獄極楽図」の鬼 |
曽我蕭白「雪山童子図」の鬼 |
いつもユニークな企画で楽しませてくれる府中市美術館。次回は「吉田初三郎の世界」展(5月18日~7月7日)が予告されています。これもまた、観に行きたいと思います。
なお、「ほとけの国の美術」展は、5月6日まで。
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