池上秀畝展 |
池上秀畝展 |
池上秀畝展@練馬区立美術館を観に行きました。池上秀畝という画家については全く知りませんでしたが、美術関係のブログで評判が高かったこと、そして練馬区立美術館で行われていたことから観に行きました。すでに終わってしまった美術展ですが、見応えのある素晴らしい作品が並んでいました。
練馬区立美術館では、1988(昭和63)年にも「池上秀畝ー山水花鳥の美」という展覧会が開かれていました。
1.池上秀畝(1874-1944)
池上秀畝は、長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に生まれる。祖父・休柳は、高遠藩の狩野派の御用絵師に学び、父・秀花は四条派の画家に学んだ。どちらも家業の小間物問屋は番頭任せで、絵の他に俳句、和歌、華道、茶道などに凝るという趣味三昧の生活であったという。秀畝は、生まれたときからこういう環境であったため、4,5歳のころから絵に親しみ、その出来栄えは周囲の人を感嘆させた。父・秀花は息子の資質を評価し、絵の師匠を上京して探し、当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となった。秀畝の名は、父の「秀」と荒木の「畝」から付けられた。 秀畝は、文展、帝展等に出品し、賞を得るなど終始一貫して官展に身を置き、伝統に立脚しながら、写実に基づく新しい山水画、花鳥画を追求した。
2.作品
展示されていた作品の内、とくに迫力があり、印象に残った2点をあげておく。
(1)四季花鳥 1918年
池上秀畝の代表作といわれる作品。239×103センチという大きな画面の4幅に次のような花鳥が描かれている。
「春」:縦長の画面いっぱいに青竹、それを横切る老梅、笹の緑の間に、梅の花と赤い椿の華がのぞく、そこに飛んでいるのは黒いハハチョウ。
「夏」:画面左に芭蕉の太い幹、その周りに柘榴、紫陽花、朝顔、百合、立葵、笹に止まる小鳥や上の赤い花が咲く木にも鳥。
「秋」:画面中央には老木の柳、枯れかかった蓮の葉や葦、咲いているのは芙蓉、枝に止まっているのは翡翠。
「冬」:画面の上から枇杷の葉、その下には南天の赤い実、、その下には熊笹、飛んでいるのはヒヨドリ。
しかし、花鳥図の定番である、春に桜なく、秋に紅葉なく、冬には雪もない。
秀畝によれば、この作品は桃山芸術に心酔し、狩野山楽、永徳の筆蹟を研究して、現代的な装飾感覚を取り入れ構図、色彩に新機軸を打ち出したものであるという。
なお、荒木寛畝の「四季花鳥図」三の丸尚蔵館所蔵の作品も展示されていた。
四季花鳥 |
四季花鳥・夏 |
(2)桃に青鷺・松に白鷹図 1928年
池上秀畝の「金字塔」ともいわれる作品。165×81の板に描かれた杉戸絵である。
秀畝の作品は、皇室や華族(旧大名家)からも高く評価されていた。現在も皇居三の丸尚蔵館に所蔵されている作品や、また目黒雅叙園に所蔵されている作品がある。そのうち、展示されていたのは、旧蜂須賀候爵邸を飾った杉戸絵である。ここには、精緻な筆使いにより孔雀によく似た青鸞(せいらん)という鳥と白鷹が表裏に描かれている。 青鷺という東南アジアに生息する鳥を描いたのは、蜂須賀家の当主である蜂須賀正氏(1903-1953年)が、絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた鳥類学者でもあり、鳳凰のモデルは青鸞(カンムリセイラン)であるとしており、そうした発注者の意図を踏まえて描かれたものとされる。
なお、杉戸絵の裏面には、荒木寛畝の「牡丹に孔雀・芭蕉図」が描かれている。
この杉戸絵は、オーストリア大使館の所蔵となっている。というのは、蜂須賀家の三田綱町にあった敷地5万坪の旧邸の一部が、1950年にオーストラリア政府に売却され、現在は駐日オーストラリア大使館となっていることによる。
(参考):
図録『池上秀畝展ー山水花鳥の美』練馬区立美術館 1988年
『池上秀畝ー高精細画人』青幻舎 2024年
桃に青鷺・松に白鷹図・杉戸絵 |
青鷺 |
この展覧会は「生誕150年池上秀畝 高精細画人」と銘打たれていますが、作品、画家ともに、「高精細」という言葉とはイメージが違うように思いました。
なお、練馬区立美術館は4月21日まででしたが、そのあと、池上秀畝の故郷の長野県立美術館で5月25日から開催されます。
練馬区立美術館 |
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