2024年5月10日金曜日

東京異空間198:池上秀畝展@練馬区立美術館

 

池上秀畝展

池上秀畝展

池上秀畝展@練馬区立美術館を観に行きました。池上秀畝という画家については全く知りませんでしたが、美術関係のブログで評判が高かったこと、そして練馬区立美術館で行われていたことから観に行きました。すでに終わってしまった美術展ですが、見応えのある素晴らしい作品が並んでいました。

練馬区立美術館では、1988(昭和63)年にも「池上秀畝ー山水花鳥の美」という展覧会が開かれていました。

1.池上秀畝(1874-1944)

池上秀畝は、長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に生まれる。祖父・休柳は、高遠藩の狩野派の御用絵師に学び、父・秀花は四条派の画家に学んだ。どちらも家業の小間物問屋は番頭任せで、絵の他に俳句、和歌、華道、茶道などに凝るという趣味三昧の生活であったという。秀畝は、生まれたときからこういう環境であったため、45歳のころから絵に親しみ、その出来栄えは周囲の人を感嘆させた。父・秀花は息子の資質を評価し、絵の師匠を上京して探し、当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となった。秀畝の名は、父の「秀」と荒木の「畝」から付けられた。 秀畝は、文展、帝展等に出品し、賞を得るなど終始一貫して官展に身を置き、伝統に立脚しながら、写実に基づく新しい山水画、花鳥画を追求した。

2.作品

展示されていた作品の内、とくに迫力があり、印象に残った2点をあげておく。

(1)四季花鳥 1918年

池上秀畝の代表作といわれる作品。239×103センチという大きな画面の4幅に次のような花鳥が描かれている。

「春」:縦長の画面いっぱいに青竹、それを横切る老梅、笹の緑の間に、梅の花と赤い椿の華がのぞく、そこに飛んでいるのは黒いハハチョウ。

「夏」:画面左に芭蕉の太い幹、その周りに柘榴、紫陽花、朝顔、百合、立葵、笹に止まる小鳥や上の赤い花が咲く木にも鳥。

「秋」:画面中央には老木の柳、枯れかかった蓮の葉や葦、咲いているのは芙蓉、枝に止まっているのは翡翠。

「冬」:画面の上から枇杷の葉、その下には南天の赤い実、、その下には熊笹、飛んでいるのはヒヨドリ。

しかし、花鳥図の定番である、春に桜なく、秋に紅葉なく、冬には雪もない。

秀畝によれば、この作品は桃山芸術に心酔し、狩野山楽、永徳の筆蹟を研究して、現代的な装飾感覚を取り入れ構図、色彩に新機軸を打ち出したものであるという。

なお、荒木寛畝の「四季花鳥図」三の丸尚蔵館所蔵の作品も展示されていた。

四季花鳥

四季花鳥・夏

(2)桃に青鷺・松に白鷹図 1928年

池上秀畝の「金字塔」ともいわれる作品。165×81の板に描かれた杉戸絵である。

秀畝の作品は、皇室や華族(旧大名家)からも高く評価されていた。現在も皇居三の丸尚蔵館に所蔵されている作品や、また目黒雅叙園に所蔵されている作品がある。そのうち、展示されていたのは、旧蜂須賀候爵邸を飾った杉戸絵である。ここには、精緻な筆使いにより孔雀によく似た青鸞(せいらん)という鳥と白鷹が表裏に描かれてい青鷺という東南アジアに生息する鳥を描いたのは、蜂須賀家の当主である蜂須賀正氏(1903-1953年)が、絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた鳥類学者でもあり、鳳凰のモデルは青鸞(カンムリセイラン)であるとしており、そうした発注者の意図を踏まえて描かれたものとされる。

なお、杉戸絵の裏面には、荒木寛畝の「牡丹に孔雀・芭蕉図」が描かれている。

この杉戸絵は、オーストリア大使館の所蔵となっている。というのは、蜂須賀家の三田綱町にあった敷地5万坪の旧邸の一部、1950年にオーストラリア政府に売却され、現在は駐日オーストラリア大使館となっていることによる。

(参考):

図録『池上秀畝展ー山水花鳥の美』練馬区立美術館 1988

池上秀畝ー高精細画人』青幻舎 2024年

桃に青鷺・松に白鷹図・杉戸絵

青鷺


この展覧会は「生誕150年池上秀畝 高精細画人」と銘打たれていますが、作品、画家ともに、「高精細」という言葉とはイメージが違うように思いました。

なお、練馬区立美術館は421日まででしたが、そのあと、池上秀畝の故郷の長野県立美術館で525日から開催されます。

練馬区立美術館


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