| 絵馬展 |
| 中野区立歴史民俗資料館 |
絵馬展@中野区立歴史民俗資料館を観てきました。約250点もの絵馬が展示されていて、それぞれの絵馬に神仏にすがる人々の願いが込められていました。
1.絵馬のはじまりとその流れ
古来、神霊は馬に乗って人界に降臨するものと信じられ、馬を神聖視していた。そこで、生馬を神に捧げた。それが神馬である。しかし、生馬を用意できない時は、その代わりとして土製や木製の馬形を奉納するようになる。さらに生馬を献上できないもの、馬形をも作り得ないものが板に馬の絵を描いて献上した。それが絵馬のはじまりとされる。
こうした絵馬を奉納する習俗はすでに奈良時代からあったという。中世には神社仏閣に奉納されるようになる。平安時代以降になると絵柄も神馬だけでなく多様化し、また形状も長方形だけでなくいろいろなものになり大型化もする。安土桃山時代には扁額形式の「大絵馬」が登場し、*絵馬堂に掲げられるようになる。江戸時代になると、とくに文化・文政時代には民間信仰と結びついた個人の願いを込めた「小絵馬」が広まった。大絵馬には名だたる絵師が競って筆を振るうようになり、小絵馬は、絵馬屋という専門家が描いたものがつくられ庶民の需要にこたえるようになる。こうした絵馬屋はその後、明治、大正期にも絵馬生産の担い手となった。今では、プリントされた絵馬が主流となり、多くの人が受験合格など特定の願い事を書いた絵馬を奉納している。
*絵馬堂としては、成田山新勝寺にある七代目市川團十郎の寄進による「額堂」が知られている。また、著名な画家が描いた絵馬として、北区の王子稲荷神社には、柴田是真の《額面著色鬼女図》が奉納されている。
(参照):
2.小絵馬
今回展示されているのは小絵馬で、古くは江戸時代のものから現代まで約250点が展示されている。小絵馬の絵柄は神馬が基本形であるが、このほかに様々なモチーフは描かれている。そのひとつひとつに人々の切なる願いが込められている。
(1)病の治癒
医療が十分でない時代には、病を治すには神仏にすがるほかなかった。なかでも目の病が多かったようだ。
向い目
「め」が二つ向き合うものから、八つの目、さらに「め」がいっぱい書かれているものもある。八つの目は「病む目」にかけている、また薬師の「や」にかけているとも。
| 「六十四才女」の年と同じ数の「め」が書かれている。 |
景清
景清の絵馬は、平家方の武将であった藤原景清は源頼朝に捕らえられ、日向国へ流され、源家の繁栄を目にすることを厭うとともに源家への復讐を断念するために自身の両眼を抉ったという伝説による。宮崎市にある生目神社(いきめじんじゃ)は「日向の生目様」と呼ばれて古くから眼病に霊験あらたかな神社とされている。ここには、東国から離れた日向においても源氏の繁栄を見聞きせねばならないことで苦しんだ景清が自分の両目をえぐり投げ捨てると、投げた両目が松(目かけの松)の枝に刺さったため、これを祀ったと云う伝説がある。
蛸
蛸の絵馬は、蛸の吸盤に因縁づけて腫物を吸い出す、タコ・イボを取りのぞいて、という願いになっている。
鳩
鳩の絵馬も、鳩は豆を食うことから、手足のマメが早く治るようにと願う。また、子どもの疳の虫のときもこの絵馬をあげて祈願する。鳩は八幡様の使いとされ、子育て、夫婦和合の願いも込められる。
耳持ち猿
猿は、庚申信仰と結びついて、「見ザル、聞かザル、言わザル」の三猿があるが、そのうちの聞かサルに耳をもってもらい、中耳炎などの耳の病気の治癒を願う。
腰から下
「腰から下」の絵馬は、腰から足までの病気全般の治癒。性病の平癒、また子宝祈願もある。
腹あて
「腹あて」の絵馬は、胃腸病などお腹の病気の治癒を願う。
錨噛み
「錨噛み」の絵馬は、錨のような堅いものでも噛めるほど強い歯に、また錨が船を動かぬようにつなぎとめるという意味から、歯の病の治癒、あるいは治った時のお礼に奉納する。
藻かり絵馬
藻かり絵馬は、「藻かる」が「儲かる」に通じており、雨の降る中で舟を漕いで藻を刈っているのは、「降るほど儲かる」ようにというシャレである。また絵の隅には「一芳」と書かれてあり、これは画家・森一鳳にあやかって、「儲かる一方」をあらわしている。なお、安井金毘羅宮は京都東山にあり、悪縁を切り、良縁を結ぶ神社として知られている。
呑流上人
「呑流上人」の絵馬は珍しい絵馬の一つである。呑流上人は群馬県太田市の太光院新田寺の開祖であるが、大変な子供好きで、よく可愛がり、「子育呑流」と慕われ、子供の神様として信仰された。子どもの病気一切に御利益があるとして祈願し、そのお礼に呑流様の姿を絵馬に描いて奉納した。
薬師像
薬師像の絵馬。薬師様は薬壺をもち、病全般を治してくれると信じられた。とくに眼病平癒に御利益があるとされた。
(2)夫婦和合 子授かり 子育て
地蔵尊
地蔵尊の絵馬。地蔵菩薩は現世利益、とくに子どもの安泰を守ってくれるという信仰が広まった。子どもの夜泣き、疳の虫、安産などの願いをかける。
金太郎
金太郎の絵馬は、その伝説が持つ意味合いから、子どもの健やかな成長を願う。
飛魚
飛魚が二尾描かれている絵馬は夫婦和合を願う。飛魚は、京都・今熊野剣神社の神使であり、禁食して絵馬をあげて祈願する。二尾は、伊邪那岐・伊邪那美の二神が範を垂れた象徴だという。
鰻
鰻が二匹も夫婦和合の願いの絵馬である。京都・三島神社の祭神の使いとされ、鰻を禁食し絵馬をあげて願懸けする。二尾の鰻は、夫婦和合、三尾の鰻は、夫婦と子供の安泰をあらわす。鰻はまた虚空蔵菩薩の神使という信仰が埼玉地方にあり、背景に出産をあらわす太陽を描いており、水と太陽の色のコントラストがあざやかである。
宮参り
宮参りは、子どもの健やかな成長を願う。
(3)商売繁盛 五穀豊穣
千両箱
千両箱はその名の通り、千両という大金の入った箱であり、金運上昇や商売繁盛、財福円満などの金銭に関わる願い事を込める。
狐、向狐
狐は稲荷様の使いとして五穀豊穣、商売繁盛を祈願する。とくに向狐は二匹の狐が男女をあらわし、真ん中に宝珠を置いて、生植に御利益、あるいは婦人病平癒の祈願にもこの絵馬をあげる。狐がくわえている鍵は、子宝の鍵を開けるためだという意味が込められている。
百足
百足は毘沙門天の使いとされ、各地の毘沙門様に百足の絵馬が見られる。百足はその名の通り「お足が多い」ことから、商売繁盛、千客万来を願う。
宝の入船
宝船は金銀、宝石、米俵など様々な宝物を積み、七福神が乗っているとされる船で、多くの「福」を載せた宝船は、開運招福、財運・家運向上、家内安全、商売繁昌などを強く願う。宝船の絵を枕の下に敷いて眠ると、良い初夢を見るというように、新年や人生の節目に、多くの福を運び込み、開運へと導いてくれるよう祈願する。
(4)おがみ
男おがみ
「拝み」の絵馬は、人に言えない願いを神様に聞いてもらうもの。この絵馬も何を願うのかは不明だが、左隅に男根が描かれていることから、精力増強を祈願しているのか。
女おがみ
これも「拝み」の絵馬だが、柘榴が大きく描かれている。柘榴は人間の味がするといい、また一度にたくさんの実を生むことから子授けの祈願とされる。柘榴は鬼子母神が持つことから鬼子母神をあらわす。鬼子母は千人の子をもつ母であったが、他人の子を捕って食うので、釈尊が鬼子母の愛していた末の子を鉄鉢の中に隠してしまった。愛児を失って鬼子母は、他人の子を捕る非を初めて悟り、子どもを食べる代わりに柘榴を食べるようになった 。そこで釈尊に説諭されて、子を返してもらい、以後、仏法守護の善神となったとされる。この鬼子母神の像は美しい女性が子を抱き、片手には柘榴を持つ。
母娘おがみ
拝みの絵馬は、ほとんどが左向きに描かれ、社殿に向かって拝んでいる図である。往々にしてオープンにできない願いが多い。この二人の母娘は何を願うのだろうか。
凱旋礼
凱旋礼の絵馬は、日中戦争以降、、無事に凱旋したお礼の意味を込めて奉納した。軍人絵馬として、当初は戦勝祝いなどの意味もあったが、出征が多くなるにつれ、出征逃れ、徴兵逃れを願うものも出てきた。当時の人のホンネが絵馬に託す願いになった。
縁切
足利の門田稲荷、板橋の縁切榎、京都の菊野大明神は日本で三つの縁切りに御利益のある神とされている。門田稲荷は、夫婦、男女の縁切りはもとより、病気との絶縁、盗人との絶縁など、よからぬもの一切の縁切りが祈願される。
この縁切りは戦時中は兵役との縁切りにも敷衍された。こうした絵馬は、匿名であるからこそあげられた。
入浴
入浴嫌いが治るように祈願。母と子が入浴、あるいは小児の入浴の図が描かれた絵馬もある。昔は子どもの入浴嫌いが多く育児の悩みであった。
乳しぼり
大きな乳房を出して、乳の出ない人は乳を授かりに、乳のあり余る人は預けに参ってあげる絵馬。
(5)古い絵馬
山崎家は、この博物館の土地を寄贈した名主であった。庭には椎の木があり、祠がつくられていた。そこに奉納された絵馬で、主に初牛祭に奉納された。嘉永や文久など江戸末期の絵馬も展示されていた。
(6)その他
足と山ノ神
足は健脚、足腰の健康を祈願。山の神は、近年では箱根駅伝の5区(山登り区間) で記録を破るような選手を指すが、ここでは違うであろう。むしろ、山の神というのは、頭の上がらない妻、怖い妻の意味もあり、何とかなだめたいと祈願する?
盃、賽に錠
盃に錠は、禁酒を誓い、賽に錠は、博打を辞めることを誓って、絵馬をあげる。こうした断ち事の祈願には、禁酒、禁煙、禁賭、浮気封じなどがあり、これらを含め心に錠まである。奈良生駒の聖天は激しい神であるとの信仰もあり、こうした誓いが込められた「錠物」といわれる絵馬が奉納された。
錨
花柳界の女性がよい旦那の足止めに、自分のところに錨を下ろしてくれるように、また他で沈没しないようにと願懸けした。
七馬
縁起の良い数字である「七」と「馬」を組み合わせ、「何事もうまくいく」「幸運が駆け込んでくる」 と願う。特に、9頭の馬を描いた絵もあり、「馬九行久(うまくいく)」という語呂合わせになっている。
殿中の武士
武運長久、戦勝祈願、あるいは殿中(お殿様のいる場所、職場)での成功や出世を願う意味が込められているか。
牛
干支ひとつ。また、牛は草を食うことからクサ(瘡)の治癒を願う。他に、天神様の使いとして学業成就、家運隆盛を願う。
兎
干支のひとつ。絵馬をあげるということは切実な悩みをもっているからであるが、それは誰にも言えず密かに心の中の閉じ込めているものが多い。さりとて絵馬をあげる際に、誰が祈願しているかを記さなければ、神に願いが通じない。そこから名前は書かずに自身の年齢と性別を記すようになった。これをさらに自分の干支にあたる動物を描いた絵馬を奉納するようになった。
いまでは、こうした意味で干支の絵馬をあげるのではなく、その年の干支の絵馬が用意され、入試シーズンなどには、その干支の絵馬に願い文が書かれる。最近は、個人情報ということで一層、名前、住所などは書かないようになってきているようだ。
天狗
火災除け、厄除け、魔除けの絵馬。右に赤い顔の大天狗、左に青い色の烏天狗が描かれる。民家では軒先に吊るしてお守りにしたり、絵馬を青竹に挟んで田畑に立て豊作を願ったりする。
(7)各地の絵馬
全国各地にそれぞれ特徴のある絵馬が奉納されている。
(8)絵馬の資料
絵馬の研究書や絵馬図集などの資料も展示されていた。とくに宮尾しげを(1902-1982)は、漫画家、江戸時代風俗研究家であり、日本各地の絵馬を収集し、その図案や背景にある民間信仰の側面を研究した。
また北条時宗は全国各地の小絵馬のコレクションを築き、それがここ中野区立歴史民俗資料館に所蔵されており、今回の展覧会を構成している。
| 宮尾しげを |
| 宮尾しげを |
| 宮尾しげを |
| 宮尾しげを |
| 北条時宗 |
図録『絵馬 託す心・人々の願い』中野区立歴史民俗資料館 1991年
『妖怪と絵馬と七福神』岩井宏實 青春出版 2004年
『絵馬』岩井宏実 法政大学出版局 1974年
2.酉の市
資料館の展示コーナーの一角に大鳥(鷲)神社の酉の市の熊手が飾ってあった。 縁起物の熊手は、鷲が獲物をわし(鷲)づかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、わしづかむという意味が込められている。
今年の酉の市は、11月12日が一の酉、11月24日が二の酉である。福を掻き込み、幸せのご神徳を戴けるように、熊手の写真をアップしておく。
さまざまな願いを込めた絵馬、これだけ数多くの絵馬をまとまって観たのは初めてでした。絵馬に込められた願い、人々の信仰を垣間見ることができました。それは、近くの氷川神社の絵馬に書かれた願いを見て、今も変わらないものだと得心しました。
氷川神社の絵馬


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