もっと浮世絵で行こ!@ふるさと文化館を観てきました。この展覧会は、練馬区立石神井公園ふるさと文化館と練馬区立美術館による初めての共同企画ということです。
ふるさと文化館には代々、上石神井村の名主であった栗原家に伝わる浮世絵130点余りを収蔵しているということです。また、美術館は小林清親の没後100年を記念して展覧会を2015年に開催したのを機縁に約300点に及ぶ清親の作品、資料、身の回り品などの寄託を受け、2021年にはこれらの作品・資料を増補として小林清親展を開催しています。今回は、それぞれが所蔵する作品から約70点が展示されています。
その中でも、歌川国芳と小林清親の二人の作品を取り上げてみました。(2回に分けてアップします)
1.歌川国芳(1798-1861)
浮世絵において三大浮世絵師というと、葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川広重が挙げられるが、あえて三人を選ぶとしたら、葛飾北斎、歌川国芳、河鍋暁斎だと思う。この三人の絵師は、美人画、武者絵、風景画、動植物画、そして戯画などあらゆるジャンルを手がけて、常に新たな表現を追求し続けた。
今回の展覧会では、多くの歌川国芳の作品が展示されていた。
(1)美人画
美人画や役者絵はしばしば出版統制の対象となったため、国芳は一計を案じた。それはモデルを遊女などではなく、市中の女性たちにしたもの。華美な衣装ではないが、キリっと引き締まった縞の着物は身近な女性たちの魅力を際立たせている。縞の模様は流れる瀧をイメージさせる。
大願成就有ケ瀧縞 金太郎 鯉つかみ 1845年頃
天保の改革で遊女が描けなくなった中で美人画に新風を吹き込んだのが国芳。このシリーズは新しい美人画のスタイルを造り上げ、そのモードは当時の女性にも響いたといわれる。
大願成就有ケ瀧縞 初花 1845年頃
「大願成就有ケ瀧縞」という様々な縞模様の着物の女性を描いたシリーズ。縞を流れ落ちる滝の水になぞらえている。
(2)役者絵
歌舞伎芝居は江戸の最大の娯楽であり、その役者たちは憧れのスターであった。浮世絵師は、役者のいわばブロマイドやポスターなどあらゆる印刷物のデザイン、作画を担っていた。
絵鏡台見立三十木花撰 秋津嶋 鬼あさみ 秋津嶋 1845年頃
鏡に映った役者の姿を草花に見立てアレンジした役者絵のシリーズ。
「秋津嶋」は、幕末に活躍した大関・秋津洲(秋津嶋)を指している。
「鬼あさみ」は、植物の「アザミ」と、歌舞伎の有名な演目『十六夜清心』などに登場する盗賊・鬼薊清吉(おにあざみ せいきち)を掛けている。
絵鏡台見立三十木花撰 よりかね 高雄のもみじ 1845年頃
「よりかね」は足利頼兼で、花魁、高尾(雄)に入れ込み、廓通いをする。紅葉の名所、京都・高雄からの連想。
(3)名所絵
江戸市中には多くの観光スポットがあり、その多くは神社仏閣に由来するところで、信心と結びつくことで安心感、遊興の言い訳が立つところであった。江戸近郊にも足を伸ばし、品川などの月見の名所、桜や紅葉の名所もあった。
東都月の名所 品川の半月 1840年頃
月をテーマに名所と様々な職種の女性を組み合わせた揃物。品川あたりは、月見の行事、二十六夜の名所として夜遅くまでにぎわったという。この女性は細工物を幾つも担いでいる。品川の先、大森は麦藁細工が名産で、これから行商に行く姿なのだろう。
(4)武者絵
「武者絵は国芳に尽きる」と当時の番付にもあるように、『水滸伝』の猛者を描いた作品で国芳はブレイクした。国芳の真骨頂は3枚続の大きな画面いっぱいに大胆な構図で武者をダイナミックに描き、一種の流行となった。
三国志長板橋の図 1852年
三国志の長坂の戦いを描いた図。曹操が5000の兵を率いて、劉備を追撃し、ついに長坂で追いつくも、しんがりをつとめた張飛が橋を破壊し曹操を威圧して劉備の逃亡を助けたストーリー。
頼朝義経対面の図 1850年頃
画面右の中央に座るのが源頼朝、画面中央の弁慶の横にいるのが源義経。頼朝が源氏再興、平氏打倒を掲げ兵を挙げると、奥州平泉より義経が駆けつける。その後、仲たがいをする兄弟というストーリーが背景にある。
冨士之裾野曽我兄弟夜打本望之図 1836年頃
源頼朝の家臣、工藤祐経に父を殺された、曽我十郎・五郎の兄弟が、艱難辛苦の末、頼朝主宰の富士の裾野での巻狩がり(大規模な軍事演習)の晩に仇討ちを果たす、「曽我の仇討」を描いたもの。
(5)戯画
国芳は武者絵の達人であったと同時に、戯画にも時代に即応したセンスを発揮した。国芳の「寄せ絵」は4点あり、いずれも人体だけで一人の人物を形作る表現力はみごとである。展示されていたのは3点だが、もう一点(「みかけハこハゐ」)はネットから引用した。
としよりのよふな若い人だ 1847年頃
国芳の寄せ絵4点のうち、女性を描いた唯一の作品。さまざまなポーズの人物を組み合わせて一人の人物を描き出す。ところどころ人体以外のモチーフをうまく組み入れている。
「いろいろな人がよつてわたしのかほをたてゝおくれで誠人にうれしよ 人さまのおかげでよふよふ人らしいかほになりました」とある。かんざしは提灯、眉は鎌で描かれる。
人をばかにした人だ 1847年頃
下あごを突き出して息を吹き上げて、おでこに八田神を飛ばす遊びをしている人物の顔は複数の裸体の人で構成されている。
「人の心はさまざまなものだ いろいろくろふして よふよふ人一にんまへになった」と記されている。
人かたまって人になる 1847年頃
顔は、のけぞった人の身体、顔の皺や耳は、複数の人の身体で構成されている。
「人おほき 人の中にも 人ぞなき 人になれ人 人になせ人」と記されている。
みかけハこハゐがとんだいゝ人だ
体の部分は、背中を丸めた一人の人物の後ろ姿によって構成されている。眉毛の部分はふんどしである。
「太ぜいの人がよってたかってとふといゝ人をこしらへた とかく人のことは人にしてもらはねばいゝ人にはならぬ」と記されている。
これら寄せ絵に記された人に関する言葉は、人としての精神論でもあり、警句、箴言ともいえだろう。しかし、そこは国芳のこと、そうした人の道徳をも茶化しているのかもしれない。
(6)妖怪・幽霊画
妖怪や幽霊を描いた浮世絵は江戸後期に登場する。それは主に歌舞伎の影響が強いとされるが、時代背景も反映されているだろう。猫好きの国芳は、リアリティのある巨大な猫で驚かす一方、画面の手前には、てぬぐいを粋な吹き流しに被った二匹の猫又を躍らせるという、茶目っ気ある絵を描いている。
見立東海道五十三次 岡部 猫石の由来 1847年頃
岡部宿には猫石伝説があり、これに取材したもの。背後に大きな化け猫、猫手、猫耳の老婆が鉄漿を衝けるおどろおどろしい場面。左右の画面では、尻尾が二つに割れた妖怪猫又*が、頬かむりして踊る。
*猫又(二股)とは、年老いた猫が妖怪化するとされる妖怪。二足歩行で人を襲う、または人間に化けるなど恐ろしい能力を持つ一方で、江戸時代には長生きの象徴としても見られてい た。
昔ばなしの戯 猫又としをへて古寺に怪をなす図 1850年頃
忠臣蔵の場面を、化け物や妖怪に置き換えて描いた見立て絵。 猫又や骸骨、ろくろ首などの妖怪が古寺を舞台に奇妙な物語を繰り広げる。
(7)諷刺画
浮世絵は、流行を追う大衆の印刷物として、報道や情報発信といったジャーナリスムの役割も担っていた。ときには政権・政治に対する皮肉、諷刺にも一役買っていた。国芳はよく「反骨の絵師」と評されることがあるが、規制に反すれば、かつての蔦屋重三郎たちのように容赦ない罰を受けることになる。そうした「反体制」のような無粋な真似はせず、スマートで頓智の効いた表現で人気を得た。
源来光公館土蜘蛛作妖怪図 1843年頃
病床に伏せる英雄・源頼光を、頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光)が守護し、背後に潜む巨大な土蜘蛛を退治しようとする場面を描いている。
この絵が出版された天保14年(1843年)当時、庶民は厳しい「天保の改革」に苦しんでいたが、人々はこの絵を「為政者への皮肉」として読み解き、大ブームとなった。すなわち、源頼光は12代将軍・家慶であり、 政治に無関心で眠りこけている様子を揶揄している。卜部季武は老中・水野忠邦を指し、 着物の「逆沢瀉(さかおもだか)紋」が水野家の家紋と同じであり、改革を主導した彼への批判が込められている。 妖怪たちは苦しむ庶民たちであり、改革で取り締まりを受けた役者や、行き場を失った江戸の民衆の怨嗟の象徴とされた。
この絵のあまりの人気と批判的な内容から、版元は自ら版木を削り取り、販売を中止したが、海賊版が出回った(展示作品も海賊版)。また、国芳自身も幕府から取り調べを受けたが、「ただの古事記の絵だ」と言い張り、処罰を免れたという逸話が残っている。
一流曲独楽 竹沢藤次 1845年頃
羽織袴で独楽を回し、水芸を披露するこの男性、二代目竹沢藤次は当時の江戸の話題をさらった独楽の曲芸師。曲独楽に水芸やからくり人形、早変わりを加えた見世物で好評を得て、両国広小路に見世物小屋を建てて興行を繁盛させた。
流行道外こまづくし こまの五郎時宗 こまやし朝日奈 もゝんごまアゝ1845年頃
独楽の曲芸が江戸市中で大流行した際に、描かれた上下二枚の戯画。上の図は、曽我五郎時宗と小林朝比奈の争い。曽我兄弟の仇討ちで有名な曽我五郎時宗。 勇猛な武者として知られる五郎を「こま(独楽)」に掛けている。荒事の派手な衣装を纏い、独楽が勢いよく回る様子を、血気盛んな若武者のエネルギーに見立てて表現している。
いっぽうは、鎌倉時代の剛勇な武将・朝比奈三郎義秀。 怪力で知られる朝比奈を、「独楽(こま)を回す(こまやし)」専門家に見立てた洒落。歌舞伎の「寿曽我対面」などに登場する朝比奈のひげ面の風貌を、どっしりとした独楽の姿に投影している。
下の図は、独楽の化け物に出現におののく侍と従者。化け物や幽霊を指す「ももんじい」+「独楽(こま)」 で、「もゝんごまアゝ」。「ももんがあ(モモンガ)」と「ももんじい(化け物)」を掛け合わせたキャラクターで、独楽が不気味な顔を持ち、化け物のように振る舞う。この髑髏のお化けをよくみると、目、鼻、歯、舌がコマで、紐が顔の輪郭線になっている。そして、びっくり仰天の男たちの頭がこれまたコマで描かれている。
このような寄せ絵は、西洋では、ジュゼッぺ・アルチンボルド(1526-1593)が果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた珍奇な肖像画を描いており、先に見た国芳の人体を組み合わせた人物像とも対比される。

『春』(1573)、ルーヴル美術館、パリ 
『夏』(1573)、ルーヴル美術館、パリ 
『司書』(1566)、スコークロステル城、スウェーデン
練馬の「ふるさと館」がこれほど多くの浮世絵を所蔵していたとは。今後も、さらに多くの作品の展示を企画してほしいと思います。
| 会場入口 |
続いて、練馬区立美術館の所蔵する「小林清親」の作品などを見ていきます。

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