ここにも黒船のマーク |
マンホールにも黒船 |
下田駅前 |
1853年、ペリー艦隊が浦賀に入港、翌年再び来航し、横浜村で日米和親条約がむすばれた。この条約は一二ヶ条からなり、第一条は、日米が「永世に」にわたって「和親」を結ぶことが記されている。第二条で、下田と箱館を開港すること。また第六条では下田と箱館での品物の売買に関すること。さらに十一条ではアメリカの官吏(領事)が下田に駐在することを定めている。
条約の締結後、ペリー艦隊は江戸湾から下田に向かい、港の測量を行った。その結果、「下田に勝る港はありえない。外海に近く安全に近づけ、出入りが便利である」と評価された。
1.下田港
その下田港を寝姿山から見てみる。駅前にロープウエイ乗り場があり、女性の寝姿に似ていることからその名が付いたという寝姿山の山頂に数分で着く。
ここからは眼下に下田港が望める。入江が奥深く入り込み、静かな湾を、今は黒船「サスケハナ号」が遊覧している。
山頂駅近くには「見張り所」が復元され、当時の米国戦に搭載されていた大砲が置かれている。
見張り所 |
下田の町 |
2.ペリーロード
下田に上陸したペリーが、日米和親条約の細則(下田条約)を決めるため、交渉の場である了仙寺に向かった道が「ペリーロード」と名付けられている。川沿いには柳が垂れ下がり、伊豆石やなまこ壁の家並み、ガス灯などが、風情を醸し出している。
伊豆石の壁 |
なまこ壁 |
3.旧澤村邸
ペリーロードの端にある「なまこ壁」の建物が「旧澤村邸」である。なまこ壁は、土壁のうえに平瓦を並べて貼り付け、その瓦と瓦の継ぎ目部分に白い漆喰を盛り上げて塗っていく、その形が海鼠(ナマコ)に似ていることからその名が付けられた。
「旧澤村邸」は、旧下田船渠の創業者の澤村久右衛門が1915年に建てたもので、今は観光スポットとして利用されている。
旧澤村邸 |
旧澤村邸 |
旧澤村邸 |
ペリーロードから少し上がったところに長楽寺がある。この寺で、1854年、日露和親条約が結ばれた。交渉の全権はロシア側がプチャーチン、日本側が川路聖謨であった。この条約によって千島列島の国境が択捉島と得撫島の間とし、国後、択捉、歯舞、色丹が日本に、得撫以北はロシアの領土となった。今に続く北方領土問題の原点となっている。
長楽寺・シコンノボタン(ブルーエンジェルとも) |
日米和親条約の細則を決める交渉が、ここ了仙寺で行われた。全権は、横浜での交渉に引き続き米国はペリー、日本側は林復斎(大学頭)であった。
13条からなる条文のなかで、アメリカ人が下田の寺院や商店に立ち入ることが認められた。またアメリカ人の休息所として了仙寺と玉泉寺があてられた。こうしたことから、地元住民との交流が始まったといわれる。
了仙寺 |
了仙寺での条約交渉の図 |
ペリーの似顔絵? |
了仙寺を出て歩いていくと、「欠乏所址」という石碑が建っているのを見つけた。ここは、下田が開港され、入港した異国船に薪、水、食料などの「欠乏品」を提供する場として使われた。欠乏品が売買されることで、事実上の貿易が始まりだした。
今は、なまこ壁のある古民家風のカフェ・レストランとなっている。
欠乏所跡 |
なまこ壁とセンリョウ |
なまこ壁のある古民家風のカフェ |
なまこ壁と色ガラスの窓が美しい |
この寺が下田条約の日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれた。それより以前、滞在中の山内容堂に勝海舟が謁見し、坂本龍馬の脱藩の許しをえた寺でもある。また唐人お吉の菩提寺でもある。
宝福寺・坂本龍馬の木像 |
宝福寺 |
下田条約の交渉にあたるため林復斎が、江戸から東海道を西に進み、天城峠を越えて、ここ海善寺に到着した。
海善寺 |
日露和親条約の交渉にあたった川路聖謨の宿舎となった。また、宝福寺とともに下田奉行所が間借りしていた寺でもある。唐人お吉の恋人であった鶴松の墓もある。
稲田寺(とうでんじ) |
稲田寺(とうでんじ)の鏝絵 |
稲田寺(とうでんじ)の面 |
下田の玉泉寺は、最初の米国領事館として使われ、タウンゼント・ハリスが総領事として着任したことで知られる。
また、主要国の最初の公使館は、米国は麻布の善福寺(浄土真宗)、英国は高輪の東慶寺(臨済宗)に、フランスは麻布の済海寺(浄土宗)に、オランダは西応寺(浄土宗)と、今の港区の寺院に置かれた。
ただし、ロシアだけは箱館のハリストス教会の敷地に領事館を置いており、仏教寺院ではなかった。当初、仮住まいとしては日本側から実行寺と高龍寺があてられたが、ロシア側は領事館だけでなく学校や病院の敷地を要求し、その後、聖職者として任命されたニコライによりハリストス教会がこの敷地に建てられたことによる。
なお、実行寺は、ペリーが箱館に来航した際に、随行している画家ヴィルヘルム・ハイネの宿舎にあてられた。彼の絵が『ペリー提督日本遠征記』の挿絵として使われている。
伊豆の旅は、下田から松崎に向かう。