2020年10月16日金曜日

GO TO YOKOHAMA1:中華街

 GO TO YOKOHAMA してきました。あいにくの雨でしたが、久しぶりの遠出(?)を楽しんできました。1.中華街、2.ニューグランド、3.みなとみらいの3つに分けてアップします。

牌楼(はいろう)


横浜の中華街は、長崎、神戸に比べても規模が大きく東洋一といわれている。中華街に入る門は、「牌楼(はいろう)」という。だから「入ろう」?元町の駅から中華街に入るには「朝暘門」が近い。東西にある4つの牌楼のうち、東の門で日の出を迎える門、朝日が街全体を覆い繁栄をもたらすという。守護神は青龍神。

 

1859年(安政6年)に、江戸の横にある横浜が開港すると、外国人居留地がつくられ、欧米人とともに、中国人が来て住んだ。その後、上海、香港との定期航路が開設されると中国人貿易商が来住し、現在の山下町に関帝廟、中華会館、中華学校などが建てられたのが中華街の始まりだという。

 

中華街のほぼ中央に「山下町公園」がある。(山下公園とは別)。ここの住所は「横浜市中区山下町135-1」、かつて「居留地135番地」に当たり、ここが中華街の始まりの場所であるという。一時期は、清国総領事館が置かれた。いまは東屋「会芳亭」が建てられ、憩いの場となっている。

 

中華街といえば、中華料理のお店がずらりと並び、どこに入ろうかと迷う。いまは250軒ほどの料理店があるという。しかし、中華街ができたころは、こうした料理店は数えるほどしかなく、その一つ「聘珍楼」は1884年の創業である。

今のようなグルメ街になったのは、終戦後、多くの華僑がこの中華街に住み着き、料理人が多かったことからだという。他に多かったのは洋服職、理髪職の人たちだったという。

 

こうした人々の信仰の場として、1862年に関聖帝君の木像を祀る小さな祠が中華街の裏通りに建立され、その後1873年(明治6年)に関帝廟が建てられた。関帝(関羽)は後漢時代160年に生まれたという実在の人物で、今日、関聖帝君商売繁盛と富の繁栄をもたらす神として崇められ、世界各地の中華街、華僑の街には関帝廟が設けられているという

 

もう一つの媽祖(まそ)廟は2006年(平成18年)に開港から150周年を迎える横浜の新名所として中華街に落慶開廟したもの。媽祖は北宋時代960年に生まれたという実在した人物で、今日では、航海・漁業の守護神として信仰を集める道教の女神となっている。


朝暘門

山下町公園・「会芳亭」



料理店の関帝

関帝廟

関帝廟

関帝廟

関帝像

関帝廟

関帝廟

関帝廟

媽祖(まそ)

媽祖(まそ)

媽祖(まそ)


媽祖(まそ)


媽祖(まそ)

媽祖(まそ)像

媽祖(まそ)

朝暘門

朝暘門

雨でもあり、中華街も人出は少なく、客寄せの呼び声も空回りしていたようです。ゆっくりと中華街の街歩きができました。

 





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