クラシックホテルの一つである横浜のホテルニューグランドは、1927年(昭和2年)に、渡辺仁(1887-1973)の設計により建てられた。渡辺仁は、上野の東京国立博物館、銀座の服部時計店などを設計している。とりわけ帝冠様式を取り入れた建築家として知られている。
開業当時から、イギリス王族や、喜劇王チャップリン、米国の野球選手ベーブ・ルース、など著名人が来訪している。さらにダグラス・マッカーサーは新婚旅行の帰路に滞在したという。
また、このホテルの厨房から、ドリア、ナポリタン、プリンアラモードなどいまではおなじみの料理が生まれたという。
名前に「ニュー」がついているが、それ以前に「グランドホテル」という外国人用の豪華なホテルがあり、そのブランドイメージを引き継いだものといわれている。
そもそも、我が国のホテル産業は、幕末・明治維新期(1860年代)の、開港地横浜・長崎・神戸の外国人居留地における外国人資本によるホテルと、江戸・大阪で幕府及び明治新政府が設置した日本資本によるホテルから始まりまったとされる。グランドホテルは、その外人資本による豪華なホテルで、1873年(明治6年)に開業し、その後増築し客室数360を数える大ホテルとなり、帝国ホテルと並ぶ日本有数のホテルとして知られていた。しかしながら、1923年(大正12)の関東大震災で灰燼に帰してしまった。
この「グランドホテル」の増改築を設計し建築顧問を務めた下田菊太郎(1866-1931)という異色の建築家がいる。工部大学校で辰野金吾に学ぶも、物足らず意見を異にしたため、辰野のつくりあげた日本近代の建築業界から締め出されたという。また帝国ホテルの設計案を提出するも、日の目を見ず、のちに帝国ホテルの設計にあたったフランク・ロイド・ライトにその設計案が剽窃されたという話がある。他にも、辰野金吾の設計になる東京駅の設計に対する提案や、辰野金吾と妻木頼黄(つまきよりなか)による国会議事堂の設計競技の確執などにも提言するなど関わりがあったという。
(参考:『文明会の光と闇』林青梧)
コロナで大きな打撃を受けているホテル業界ですが、クラシックホテルの歴史の一端を体験することができました。
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