横浜港は、1858年に締結された日米修好条約に基づき、1859年に、長崎、箱館とともに神奈川(横浜)が開港した。ただ、アメリカ総領事ハリスが考えていたのは、現在の神奈川区東神奈川あたりの神奈川宿であったが、幕府は交通の要所である東海道の宿場を開港することは避けたいことから横浜(当時は、武蔵国久良岐郡横浜村の小さな漁村であった)を一方的に開港したという。
その後、明治政府は、近代的な港にすべく何回にもわたって建設工事を行い、国際貿易港として日本の表玄関となっていった。
さらに1889年から1896年にかけて客船埠頭としての大桟橋埠頭や、また赤レンガ倉庫として知られる新港埠頭は1899年から1916年にかけて建設された。
赤レンガ倉庫の設計は、妻木頼黄が率いる大蔵省建設部によって行われた。妻木は、横浜正金銀行本店(現在は神川県立歴史博物館)の設計も行っている。
山下公園前に係留されている「氷川丸」は、戦前より唯一現存する貨客船で、船内のインテリアなども含め貴重な近代化産業遺産として、また国の重要文化財として指定されている。海に浮かんで保存されていることから、航行はしなくとも、れっきとした船長さんがいる。
また向こうに見えるみなとみらい21は、1980年代から港とまちの調和をはかるウォーターフロントとして整備が進められ、、ランドマークタワーをはじめ、国際会議場、ホテル、遊園地などが造られ、観光客にも人気のエリアとなっている。
赤レンガ倉庫 |
氷川丸 |
横浜港の歴史は、ペリーの来航に始まり、関東大震災、太平洋戦争など大きな打撃を受けながら発展してきました。そして、今回のコロナ対応は、ここ横浜港に着いたクルーズ船から始まりました。クルーズ船がまた多く発着できるようになるのは、いつになるのでしょうか?
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