2020年12月27日日曜日

東京異空間31:柴又帝釈天・装飾彫刻

柴又帝釈天は、フーテンの寅さんで知られているが、ここに超絶技巧の彫刻がある。

柴又帝釈天は、正式には「経栄山 題経寺」という日蓮宗の寺である。その帝釈天堂・

内殿の外側は、装飾彫刻で覆われており、羽目板には法華経説話の浮き彫りがある。

お堂の周りは、ガラスの壁で覆って保護されており、これらの彫刻を間近に見ることができる。

 

法華経は、日本においては仏教伝来以来から重要視されてきた。聖徳太子は『法華経義疏』を著わしており(否定する説もあるが)、さらに聖武天皇は全国に国分寺を造るとともに、国分尼寺は「法華滅罪之寺」として法華経が講じられた。

また最澄は、法華経が最も優れた根本経典であり、布教のよりどころとしたのは法華経の教えだった。

末法の世に、日蓮は法華経の教えを究極までに突き詰め、「南無妙法蓮華経」を唱えることによって救われると説いた。

 

また法華経は、日本文化にも深く影響を与えてきた。文学では、日本霊異記、源氏物語をはじめ、江戸時代では、芭蕉、一茶などの俳人、近松門左衛門、近代では宮沢賢治もその影響が知られている。美術では、長谷川等伯、狩野永徳、本阿弥光悦、尾形光琳などに広く影響を与えているという。

 

帝釈天のお堂の周りを、法華経の説話をモチーフにした彫刻で飾るというのは、キリスト教が宗教画によって教えを広めようとしたのと同じことだろう。とはいえ、現代人にとって、この彫刻を見て、法華経の教え、説話を読み取ることはほとんど出来ないだろう。

したがって、宗教、信仰とは、相当な距離を置いて、彫刻作品として、美術鑑賞することになる。

 

法華経の教えを描く彫刻10面の図・法華経の章・彫師の名を掲げておく。

1.塔供養図・序品・金子光晴

2.三車火宅図・譬喩品第三・木嶋江運

3.一雨等潤図・薬草喩品第五・石川信光

4.法師修行図・法師品第十・横谷光一

5.多宝塔出現図・見宝塔品第十一・石川銀次郎

6.千載給仕図・提婆達多品第十二・加府藤正一

7.竜女成仏図・提婆達多品第十二・山本一芳

8.病即消滅図・薬王菩薩本事品第二十三・今関光次

9.常不軽菩薩受難図・常不軽菩薩品第二十及び法華経功徳図・薬王菩薩本事品第二十三・小林直光

10.法師守護図・陀羅尼品第二十六・加藤寅之助

 

これらの彫刻は、大正11年(1922)から昭和9年(1934)にかけて、この10名の彫師によって制作された。途中、関東大震災(大正12年)により、各彫師へ渡っていた欅の彫刻材が燃えてしまい、再び良材を全国に求め、やっと完成したという。

1.塔供養図

1.塔供養図



1.塔供養図

2.三車火宅図

3.一雨等潤図

3.一雨等潤図

4.法師修行図

5.多宝塔出現図

6.千載給仕図
7.竜女成仏図

8.病即消滅図

8.病即消滅図

9.常不軽菩薩受難図及び法華経功徳図

9.常不軽菩薩受難図及び法華経功徳図

10.法師守護図

10.法師守護図

10.法師守護図


また、胴羽目板の最上段には「十二支の国」、その下に「天人国」、「千羽鶴図」、階下には「花鳥図」、最下段には「亀図」が彫刻されている。これらも複数の彫師によって刻まれたが、ことに「千羽鶴図「花鳥図」「亀図」などは、千葉県鴨川市出身の名人・高石仙蔵の彫りになるものだという。











波の形は伊八を継ぐ






 

鴨川といえば、「波の伊八」と呼ばれた武志伊八郎信由(Ⅰ751-1824年)がいる。仙蔵は、その4代目にあたるそうだ。波の伊八の作品は、房総半島の寺社に見られるが、とくに「波に宝珠」は、葛飾北斎「神奈川沖浪裏」の、あの豪快な波に影響を与えたといわれる。

 

仙蔵は、帝釈天の二天門などの彫刻も手掛けている。


今回、帝釈天の素晴らしい彫刻を見て、いつか、波の伊八の作品を見に房州を回りたいと思った。

なお、江戸後期につくられた寺社彫刻は、成田山新勝寺の釈迦堂にもある。こちらも見事なものであり、「二十四考」や「五百羅漢」が彫られている。ただ、こちらは保護のため金網がはられており、うまく撮ることは難しい。(別にアップしたいと思う)

 

 

寅さんの映画に出てくる参道のお店で、甘いものを頂き、柴又の駅にむかった。寅さんとさくらさんが見送ってくれているようだ。映画に出てくるシーンと、超絶技巧の彫刻群が重なり、余韻のある「東京異空間」であった。

参道








2020年12月25日金曜日

東京異空間30:東京スカイツリー

 

東京タワーにかわって、今や東京スカイツリーのほうが人気がある。ということで、こちらも、浅草、亀戸天神などを廻ってみてきた。


1.東京スカイツリー

東京タワーが位置する都心では、高層ビルが林立して電波が届きにくくなっていたことと、携帯機器向けの放送に対応するため、新たな電波塔の建設が求められていたことから、東京スカイツリーが平成24年(2012年)に完成した。

 

設計は日建設計で、監修者に安藤忠雄の名が掲げられていることを、今回調べていて初めて知った。塔の内部は円筒になっており、外側の部分と構造的に独立させ地震などの揺れを抑える制震構造を、日本古来の建築技法である五重塔が心柱が揺れることによって耐震する仕組みになぞらえているという。

 

東京タワーの建設時とは格段の技術進歩があり、東京タワーの建築面積より大きく下回る面積に、より高い高さの建設が可能となった。しかし構造が極めて複雑であり、精度も要求されたことから、溶接などには職人の技が寄与しているという。そのことから、東京タワーが鳶職の人たちのいわば手造りであったのに対し、クレーンなどの機械の力と人間の技によって造られたといわれる。

 

2.東京スカイツリーを見る

隅田川クルーズの船が、浅草に近づくにつれ、スカイツリーが大きく見えてくる。まずは浅草周辺から、夜のスカイツリーを浅草と上野から見た。ちょっと離れて亀戸天神から眺めた。そしてスカイツリーに行った。

 

(1)浅草から見る

隅田川クルーズが浅草に近づくと、ますは金色の大きな塊が見えてくる。誰もが不思議に思うオブジェだ。実はこれ、「聖火台の炎」を表わしているという。その後ろにスカイツリーがそびえ立っている。

最近できた「すみだリバーウォーク」も渡ってみた。隅田川に架かる東武鉄道の鉄橋の脇に、出来た歩道で、しゃれたお店も並んでいる。

浜離宮からリバークルーズ

リバークルーズの浅草付近

リバークルーズの浅草

リバークルーズの浅草付近

浅草駅付近

横に東武鉄道

隅田公園から



リバーウォークを渡って


言問橋付近から

言問橋付近から

待乳山聖天から

浅草寺・参道から

(2)夜、浅草と上野から見る

夜、浅草寺に行き、そこからライトアップされたスカイツリーを見た。また、別の日、上野公園、不忍池の弁天堂からもスカイツリーが見えた。

浅草から




浅草寺・雷門付近から

浅草寺・宝蔵門から

浅草寺・宝蔵門から

浅草寺・宝蔵門から

浅草寺境内から

上野公園から

上野・弁天堂から

上野・弁天堂から

(3)亀戸天神から見る

亀戸天神は、藤で有名だが、この時期、菊まつりが開かれていた。天神様、菅原道真を祀る神社だが、道真もこんな高い塔が後ろにできたときはびっくりっしたのではないだろうか。

亀戸天神・鳥居から

亀戸天神・太鼓橋から


池に映るスカイツリー


亀戸天神・琴柱灯籠から

池の中から亀もツリーを見上げる

亀戸天神から

亀戸天神から


亀戸天神・菊まつり


亀戸天神・参道前から


(4)スカイツリーへ

いよいよスカイツリーへ。近くから見上げると、なんと高いことか。今回は、展望台には上がらず、横にある「ソラマチ」の30階からスカイツリーを見た。複雑だが、きれいに組まれた鉄骨(というより太い鉄パイプで、もちろんリベットはない))が間近に見える。遠くには富士山がかすかに見えた。

ツリーの下は、大きな影が、長く線路と町を覆っていた。






富士山もかすかに

ドコモ・タワーと




ツリー下に長い影

ツリー下の大きな影・東武鉄道



 

東京タワーに代わってできたスカイツリー、今回は展望台には上がらなかったが、初めて近くまできた。スカイツリーだけでなく、ソラマチや、リバーウォークなどができ、しゃれたお店も多く人気となっている。

浅草寺や上野・弁天堂、さらには亀戸天神などから見るスカイツリーは、東京に、また新たな風景を作り出している。東京タワーのように時を重ねても、「東京異空間」を創り出していくだろう。

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