2021年1月11日月曜日

佐原~水郷の町、地図の町

伊能忠敬像・佐原駅前

佐原・小野川沿い
香取神宮から佐原の町並みがある市街地に出た。町の中心は小野川が流れる水郷の町、そして伊能忠敬の生まれた地図の町で、観光客も足を運ぶところだが、この時期人出は少ない。町の中心より少し行ったところに観福寺がある。


1.佐原の町並み~水郷の町

佐原は、江戸時代から利根川を利用した舟運が盛んになると、支流である小野川沿いが物資の集散地として栄え始めた。江戸との交流が隆盛を極め、醸造業や商業が大きく発展し、成田から鹿島にかけて広い商圏を形成した。

こうした繁栄は、昭和30年代に自動車交通が普及するころまで続き、とくに江戸後期から明治にかけては「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と唄われるほど栄えたという。その面影を残す、伝統的建造物が小野川周辺に並び、昔からの家業を引き継いで今も営業を続けている商家もあり、「生きている町並み」として評価されている。

また絢爛豪華な山車が繰り出す「佐原の大祭」が行われる。アヤメが咲くころはあやめ祭りも行われ、「嫁入り舟」なども出て水郷らしい町となる。

醸造蔵

醸造蔵

醸造蔵


長い板塀


小野川沿いの町並み

小野川沿いの町並み

「東京バンドワゴン」というドラマのロケ地

小野川沿いの町並み



「勝男節」「祝儀道具」「松魚節(かつおぶし)」「諸国乾物類」とある

「すずめ焼」の店

醤油樽が積んである。

「だし」といわれる荷上げ場

「だし」

醤油屋の蔵(いまはフレンチ・レストラン)

醤油屋



 

2.伊能忠敬~地図の町

佐原で忘れてはならないのは伊能忠敬である。よく知られているように50歳を過ぎ、隠居してから日本全国を歩いて地図を完成させたことで知られる佐原が生んだ偉人である。

伊能家は、代々名主を務めるとともに、酒造業で財を成していた。忠敬は、伊能家に婿入りし、その才覚を発揮し、家業を盛り立てるだけでなく、名主として佐原の町の発展に尽くした。しかし、50才を過ぎて家督を長男に譲り隠居して、江戸に出て、天文方の高橋至時に弟子入りした。

その後、70歳を過ぎるまで、蝦夷地をはじめとする日本全国を歩き、73歳で亡くなるが死後、弟子たちによって「大日本沿海與地全図」が完成した。

伊能忠敬のこのような偉業は、やはり佐原の利根川水系の水運による地域的発展とそれに伴う江戸文化との交流があったからこそ生まれたものといえるだろう。

現代においては、井上ひさしが『四千万歩の男』で描いたように、人生の後半生を充実して生きる「中高年の星」としても語られるようになっている。

伊能忠敬記念館には、「伊能図」と呼ばれる地図、測量に使った象限儀などが展示されている。これらの資料2000点余りが、2010年に国宝に指定されたという。記念館の向かい側には生家もあり、無料で見学できる。家の前には「桶橋」という橋が架かっている。この橋は、江戸時代につくられた農業用水路の一部が伊能家の敷地内を通り、小野川に流れ落ちるようになっていて、ジャージャーと音がしたことから、樋橋はジャージャー橋とも呼ばれていまた町並みの中心にある橋は「忠敬橋(ちゅうけいばし」と呼ばれているなど、この町は伊能忠敬の「地図の町」ともなっている。

伊能忠敬記念館

伊能忠敬の生家

伊能忠敬の生家「見世」から

象限儀

伊能忠敬の生家・手前に水路

伊能忠敬の生家にある像と碑

伊能忠敬の生家にある像

「桶橋」

「桶橋」・ジャージャー橋とも

ジャージャー橋から水が出ている

 

3.観福寺~懸け仏佐原の街並み~小江戸

町の中心から少し離れたところに観福寺がある。この寺は伊能家一族の帰依を受け菩提寺になっている。また、江戸時代には厄除大師信仰の中心として庶民の信仰を集め、川崎大師、西新井薬師と並ぶ関東厄除三大師の一つであるという。川崎大師、西新井大師は知っているが、このお寺のことは知らなかった。実は駅の観光案内所にあったパンフに、ここに十一面観音などの仏像があるとあったので、予定にはなかったが訪れることにしたところだ。

 

境内は、名残の紅葉が美しく、お堂や弘法大師の像を照らしている。御本尊は平将門の守護仏とされる聖観音菩薩だが、秘仏となっている。また、ここに伊能忠敬のお墓もある。

お目当ての十一面観音などはどこに、と本堂に向かい尋ねると、本来は事前予約が必要なのだが、特別に収蔵庫に案内してくれた。ガラスケースに収められていたのは4体の懸仏(かけぼとけ)、そう滋賀の多賀大社の近くにあった真如寺で見たと同じ懸仏だ。真如寺のは阿弥陀三尊像であったが、こちらは釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音菩薩の4体である。真如寺の懸け仏が多賀大社にあった本地仏が廃仏毀釈にともない流出したものだったと同じように、この4体は、香取神宮より放出されていたものを地元の旦那衆が買い上げてこの寺に安置したという。

光背には「弘安」とあり鎌倉時代に、やはり蒙古襲来に対して香取神宮の「武神」に鎮護を祈願したものだろう。

収蔵庫には、伊能忠敬が着たという紋付袴や地図なども置かれていた。ひょっとすると、これも国宝級のものか。

懸仏の話もでき、伊能家の話も聞け、しかも写真を撮らせてくれたことがうれしかった。

観福寺

観福寺・弘法大師像

観福寺・弘法大師像

観福寺・弘法大師像

観福寺・観音堂

観福寺・観音堂

観福寺・鐘楼

観福寺・本堂

伊能忠敬の墓

観福寺の石仏

懸仏

懸仏・薬師如来坐像

懸仏・釈迦如来坐像

懸仏・地蔵菩薩坐像

懸仏・十一面観音坐像

懸仏・十一面観音坐像

伊能忠敬の裃

 

佐原に来るまで、ここは、てっきり佐原市であると思っていたが、香取市だった。2006年に、それまでの佐原市とその周辺の町が合併して香取市になった。

佐原は、「小江戸」ともいわれ、江戸風情の町並みなどを残すところで、川越(埼玉・川越市)、栃木宿(栃木市)と並んで取り上げられる。たしかに江戸の歴史や文化などにも思いをはせる町だった。

お土産に買った「すずめ焼」もおいしかった。

「すずめ焼」は利根川の佐原周辺でとれる小鮒を背開きにして、串にさしてタレをつけて焼いたもの。その形がすずめの丸焼きに似ていることから付けられたという。

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