2021年1月13日水曜日

靖国神社~銀杏の黄葉のなかで

靖国神社・大村益次郎像

靖国神社については、2019年12月に「東京異空間18:英霊・慰霊の社」ということで、他に東京都戦没者墓苑、乃木神社とあわせてこのブログにアップした。その際は、主に伊東忠太の設計による遊就館に興味があって訪れた。

 

今回は、大村益次郎像をつくった大熊氏廣に着目してみた。というのは、前回の拙ブログで取り上げた「表慶館」の入口の前にあるみどりのライオン像が大熊氏廣の製作によるものだった。また、その前のブログ「佐原」で取り上げた伊能忠敬の像が、佐原・諏訪公園にあるということだ。(残念ながら、佐原に行ったときは知らず、その像は見ては来なかった)

佐原の公園にある伊能忠敬像は、没後100年を記念し、当時の佐原の市民有志により建てられたという。


大熊氏廣は、江戸時代末安政3年(1856年)、現・埼玉・川口市で農家の二男として生まれている。明治に開校した工部美術学校の彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザのもとで学んだ。ジョサイア・コンドルの設計になる有栖川宮邸の建築彫刻を担当するなどを経て、岩崎家の援助によりパリに留学する。パリから帰国後、「大村益次郎像」の製作に取り掛かり、4年越しで完成し靖国神社に立てられた。この作品は、大熊の代表作というだけでなく、日本で最初に作られた本格的な西洋式の銅像であり日本の近代彫刻史の出発点として高く評価されている。

大村益次郎は戊辰戦争で官軍の総指揮をとり、上野の山の方向に煙が上がるのを双眼鏡で見て、「官軍すでに勝ちたり」と言って一笑したという、銅像はその姿を表わしたものだという。写真ではわからないが和服に双眼鏡を手にしているという。


なお、川口市立文化財センター分館郷土資料館には大熊の作品や資料が常設展示されているという。機会があれば行ってみたいと思う。

 

靖国神社は、伊東忠太や、大熊氏廣といった明治以降、西洋から学び日本の建築及び彫刻の礎を築いた人の作品で、英霊を祀っているともいえるのだろう。

青銅製の大燈籠に刻まれた龍、麒麟などの彫刻もやはりそうした明治人の手によるもので、見事なつくりである。近くには白い鳩がいて、境内は、黄色く色づいた銀杏が美しかった。










遊就館・伊東忠太の設計

大村益次郎像・大熊氏廣 作

青銅製大燈籠・麒麟の彫刻

白い鳩











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