2021年1月8日金曜日

香取神宮・鹿島神宮~建国神話の神

鹿島神宮

香取神宮
成田山から、千葉・香取神宮と茨城・鹿島神宮に参拝してきた。利根川を挟んで、両県にあるが、古来より深い関係にあり、一対の神社として位置づけられている。

1.香取神宮

JR成田駅から佐原駅へ行き、そこから香取神宮へはタクシーを使った。鳥居を超えた参道は、並んだ石灯籠の間に紅葉が映えて美しい。朱塗りの楼門、黒漆に極彩色に彩られた本殿、いずれも江戸・元禄時代に、徳川幕府の手により造営された建物である。


香取神宮

香取神宮・参道

香取神宮・参道

香取神宮・参道

香取神宮・参道

香取神宮・参道

香取神宮・鳥居・楼門

香取神宮・楼門



香取神宮・拝殿

香取神宮・拝殿・茅の輪

香取神宮・拝殿

香取神宮・拝殿

香取神宮・拝殿

香取神宮・拝殿


香取神宮・本殿

香取神宮・本殿



境内にある摂社・鹿島新宮

香取神宮・神池の鳥居


香取神宮・奥宮


香取神宮・奥宮

香取神宮・茶店

坂を下ると参道に

坂を下ると参道に
2.鹿島神宮

鹿島神宮へは、佐原駅からJRで利根川と、霞ケ浦をこえて鹿島神宮駅で降りる。この先は、鹿島灘、太平洋に出る。

駅前の坂を上がって行くと、塚原卜伝の生誕の看板がある。さらに歩いていくと、鳥居の手前に鹿の彫刻が置かれている。楼門をくぐり、拝殿で参拝する。社殿は、2代将軍秀頼の寄進によるものとされ、香取神宮の社殿よりも古い。そこから先の奥参道は、原生林の巨木が空を覆っているが、下の道は白い川砂で雪道を歩くような明るさがある。

JR鹿島線

利根川を渡る

霞ケ浦をこえる

鹿島神宮駅

鹿島神宮・鳥居

鹿島神宮・楼門


鹿島神宮・拝殿

鹿島神宮・社殿

鹿島神宮・奥参道

鹿島神宮・奥参道

鹿島神宮・奥参道
鹿島神宮・奥参道


鹿島神宮・奥参道

原生林

原生林

鹿島神宮・さざれ石

鹿島神宮・奥宮

鹿島神宮・神池の鳥居

鹿島神宮・神池の鳥居


海に向かって小さな社が

 
次に、香取・鹿島両神宮を一対のものとして特徴づけているところを並べて見ていく。

3.祭神

祭神は香取神宮が経津主命(フツヌシノミコト)、鹿島神宮が武甕槌命(タケミカヅチノミコト)であり、神話では、武甕槌命が天照大神の命を受け、経津主命とともに出雲に行き、大国主命と話し合い国譲りの交渉を成立させ、日本の建国となったという。

この時、天照大神の使いが鹿の神霊だったということから、鹿島神宮の神使が鹿とされ、社名も「香島」から「鹿島」になったという。

香取神宮・本殿

鹿島神宮・拝殿

鹿島神宮・拝殿・本殿

 
4.「神宮」の名

両神宮は、そうした古代からの神社であり、「神宮」の名が付く。たんに「神宮」といえば伊勢神宮を指すが、「〇〇神宮」とつくのは、皇祖・天皇を祭神としている神社で、近年では明治神宮や平安神宮などがあるが、古く平安時代の延喜式では、伊勢、香取、鹿島の三社のみが「神宮」と位置付けられていた。

その理由は、藤原氏との関係によるものだという。すなわち、伊勢神宮の内宮と下宮が対になっているのと同じように、香取・鹿島両宮も本来はペアであり、伊勢には天皇家の氏神を祀り、香取・鹿島には藤原氏が一族の正統性を誇示するため格の高い神を他の氏(それまで、この一帯を治めていた物部氏)から乗っ取って氏神にした。そのことから、天皇家の伊勢と、自家の氏神である香取・鹿島のみに「神宮」を名乗らせたという。

香取神宮・楼門

鹿島神宮・楼門
5.武神

また古代において、香取・鹿島は東国平定の拠点でもあったことから重要視された。地勢状からこの辺りは利根川、霞ケ浦などの水郷地帯で、水運の中心であり、これを握ることで、関東を抑えるとともに、蝦夷進出に対しての拠点となった。そうした要衝の地に両神宮はあることから、「武神」ともされ、中世にかけて武家からも信仰を集めた。その後、江戸時代には徳川家の庇護を受けている。

さらに明治維新の際、明治天皇が「軍事祭」を行い、その祭神が天照大神、大国主命、武甕槌命、経津主命の四座であったことから、再び両神宮が軍神として登場し、戦艦に「香取」、「鹿島」の名がつけられ、いまも海上自衛隊の船に「かとり」、「かしま」という名が引き継がれている。香取神宮の境内には、戦艦「香取」の錨が置かれている。

戦艦「香取」の錨
また、鹿島神宮には、「大助(おおすけ)人形」という藁人形のようなものが拝殿の横に置かれていた。説明文を読むと、鹿島の大神様の東北平定に際し、これをお助けした兵士の姿だという。人形は6月に10体設置され、本来なら8月にはお焚き上げして、川に流すのだが、疫病を防ぎ退散させるという言い伝えがあることから、今年はコロナ禍の終息を願って延長して設置しているとあった。

「大助(おおすけ)人形」
なお、戦国時代の剣士として知られる塚原卜伝は、ここ鹿島の生まれ。鹿島駅からすぐのところに銅像が建っている。塚原卜伝は、香取神道流を修め、鹿島新當流という武術を開いた。

6.春日大社の鹿

藤原氏との関わりは、香取・鹿島神宮と春日大社との関係につながっている。春日大社は、藤原氏の氏神だが、その主祭神は4柱あり、そのうち2柱は、鹿島の神である武甕槌命と、香取の神である経津主命を勧請したとされる。(他の2柱は天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)、ともに河内・枚岡の神)

その際に、武甕槌命は白鹿に乗って御蓋山(三笠山)に行ったということから、以来、春日大社では、鹿が神の使いとされ保護されてきたという。

奈良公園などでは鹿は放し飼いにされ観光客の人気を集めているが、そのルーツは、鹿島にあったということだ。ここ両神宮も、その縁から鹿を飼っている。もちろん放し飼いではないが。

鹿島神宮・鳥居前の鹿像

鹿島神宮・鹿園

香取神宮・鹿苑
7.要石

両神宮の奥の境内に「要石」という小さな石が祀られていて、次のような面白い話が伝わっている。

地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が暴れることで引き起こすものと信じられていたことから、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として信仰された。要石は地中で、大鯰の頭と尾を抑えているといい、地上に出ている部分は小さいが地中部分はく決して抜くことはできないと言い伝えられている

両神宮を崇敬していた徳川光圀が、昼夜兼行で7日7晩掘り続けたが、ついに底には達しなかったという話もあるそうだ。

また江戸時代には、「鯰絵」という浮世絵が多く刷られ、その中にも大鯰が鹿島大明神に押さえつけられている図など要石が描かれているものがある。

なお、香取神宮の要石は凸型で、鹿島神宮の要石は凹型になっていて、やはり一対となって、日本全土に渡る大鯰(地震)を抑えるという国家鎮護の役割を表わしている。

香取神宮・要石

香取神宮・要石凸型

鹿島神宮

鹿島神宮

鹿島大明神が大鯰を踏む

鹿島大明神が大鯰を踏む

鹿島大明神が大鯰を踏む

鹿島神宮・要石

鹿島神宮・要石

鹿島神宮・要石凹型


いまは、「大助人形」とともに「要石」がコロナ禍を抑え、一日も早い終息が来ることを願いたいものだ。

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