2022年6月21日火曜日

東京異空間66:聖アンセルモ教会~アントニン・レーモンド

 

聖アンセルモ教会

目黒駅からほど近いところに聖アンセルモ教会があります。この教会は建築家・アントニン・レーモンドの設計により、1954年に建てられました。駅前の賑やかさから、教会に入ると聖なる空間が広がっていました。

 

 

1.聖アンセルモ教会

(1) 正面~祭壇・十字架

礼拝堂に入ると、信者が座る長椅子が並び、その先の正面に祭壇がある。500人が収容できる規模だという。レーモンドは、祭壇とそれに付属する一切、つまりタベルナック(聖櫃)、燭台などもデザインした。祭壇は仙台石の磨き上げで、正面には「キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに」という意味のラテン語が書かれている。


天蓋はコンクリートに厚い金箔をはって仕上げてある。そこから十字架が吊り下げられている。十字架には七宝で作られた祈りを捧げる人や宝石のような石で飾られている。


聖櫃(聖体であるパンを納めた容器)も、やはり七宝で作られ、キリスト教をイメージする魚が描かれている。これらは「できる限り独創的に、鋳鉄や七宝焼など、優れた日本の職人だけができる方法によって作った」とレーモンドは述べている。


十字架の背面の壁には、4つの円とそれを囲む大きな円が描かれている。円は企画したフレスコ画ができるまでの臨時処置としておかれたものであった。しかしながら、レーモンドが外国渡航の留守の間に、折が合わなかった神父によって描いた円の上に四角形の黒線が描き添えられてしまった。それについてレーモンドは、「四角形では何の意味もなく、ただ邪魔なのである。」と厳しい言葉を述べている。いまは、この四角の線は取り除かれている。


祭壇の後ろの壁に描かれた円は、遠くから見ると「曼荼羅」のようにも見えてくる。そうみると、金箔の天蓋も仏像の光背のようにも見えてきた。日本的な聖なる空間をつくりあげているようだ。

礼拝堂

壁に5つの円:この上に四角形の黒線が描かれた



五つの円は曼荼羅のようにも

天井と壁はコンクリート打放し

聖壇「キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに」という意味のラテン語

十字架・七宝焼き

磔刑像



聖櫃・七宝でキリスト教の象徴である魚を描く

金箔の天蓋

この時期のアジサイが

天蓋は仏像の光背のようにも

祭壇と天蓋

天蓋のスリット壁

燭台と天井のコンクリ打放し

天蓋から吊り下げられた十字架

 

(2) 側面~天井・スリット壁

天井と横の壁はコンクリートの打放しで作られている。壁は折板構造という戦後初の取り組みの一つで、この教会で最初に試みられた。


この構造により、スリット壁から柔らかな自然光が差し込み、より神々しい、聖なる空間を作り出している。こうしたデザインは、レーモンド自身「結果は満足いくものであった」と述べている。


また、折板のジグザグ構造は、屋根からの荷重も高め、建物の耐震性も向上させている。

スリット壁から自然光が入る





 

(3) 背面~パイプオルガン両脇ステンドグラス

祭壇から後ろを見ると、2階の真ん中にパイプオルガンが据えられ、聖歌隊席が並ぶ。その両脇にはステンドグラスが美しい光を描いている。

このパイプオルガンは1989年に製作されたという。

背面の2階にパイプオルガン

後ろからのライトに輝くキリスト像

背面の2階にパイプオルガン・両脇にステンドグラス

2階のパイプオルガンと聖歌隊の席

(4) 洗礼所~受洗盤・ステンドグラス

入口から入ってすぐのところに洗礼所がある。それについて、レーモンドは次のように述べている。「聖水盤、洗礼所の格子、洗礼盤は非常に細心に研究し首尾よく実施された。手描きのたくさんの大窓の絵は、本来ステンドグラスが予定されていたがその資金がなかったため、着色プラスチック材で実施されたが、長持ちしなかった。」


この聖水盤も、どこか、香炉のように思えるというのは、思いすぎだろうか。床はモザイク状にタイルが貼られ、ステンドグラスからの青い光が輝いて見える。

洗礼所のステンドグラス

洗礼所

聖水盤とモザイクの床

 

(5) 道行き祈り

壁には、ノミエ夫人のデザインによる14の「道行の祈り」の意味を象徴的に現わす「手」を用いた彫刻がそれぞれに置かれている。


「道行の祈り」とは、イエスの受難の各場面をあらわし、その14場面の一つ一つを順次たどって、黙想し、回心しキリストの愛に祈るものだという。

道行き祈り

道行き祈り・ヴェロニカ

 

(6) 外観

聖堂の外観は、ピンク色の壁に、折板構造の窓枠が白く縁取りされ美しさを増している。レーモンドが設計するにあたり、500人収容の教会だけでなく、修道士の寄宿舎、神父たちの事務室、集会室、図書室、さらに幼稚園までをこの狭い場所に建てることを求められていた。幼稚園は、既に廃園となり、いまはカトリック東京国際センターとして使われている。


道路に面した正面にはピンク色の壁に大きな十字架が掲げられている。門の横にはマリア像が置かれている。

外観の窓枠

中庭から見た聖堂の外観

聖堂の外観

中庭への通路

道路に面した正面

道路に面した正面の十字架

道路に面した正面にマリア像

 

2.アントニン・レーモンド(1888-1976年)

アントニン・レーモンドは、チェコ出身のアメリカの建築家で、フランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテルの建設の際に来日した。戦争を挟み、戦後は自らマッカーサーに手紙を書き、日本で建築技師として復興を援助したいと、再び来日する。


彼の建築の特徴である「コンクリート打放し」は、日本におけるレーモンドの自邸(1924年)が世界でも最も早く、また東京女子大学(1924-38)の施工においても用いられた。


戦後のモダニズム建築において、コンクリートの打放しは広く用いられ、コルビジェの設計による国立西洋美術館、その横にある前川國男の設計による東京文化会館、そして安藤忠雄が「光の教会」など多くの建築に用いた。


このように、アントニン・アーモンドは、戦前・戦後にかけて日本人の建築家に大きな影響を与えたとされる。


彼が手掛けた戦後の代表作としては竹橋に建てられたリーダーズ・ダイジェスト社(1951年)がある。今は、毎日新聞社などが入るパレスサイドビルとなっている。他にも教会や大学、など多くの建築を手掛けている。


これまでアントニン・アーモンドという建築家については、私自身はほとんど知らなかったが、日本の近代建築史において、多大な影響をもたらした外国人として、明治期のコンドルと並ぶように、戦前・戦後のレーモンドがあげられるという。

 

参考:『自伝アントニン・レーモンド』新装版 鹿島出版会2007年

リーダーズ・ダイジェスト社(現存せず)

 

先日、日経新聞土曜版の「教会建築聖なる美」では、この聖アンセルモ教会が10位にランクされていました。ちなみに1位は東京カテドラル聖マリア大聖堂でした。(日経2022.5.21版)


東京カテドラルは、丹下健三の設計によるもので、やはりコンクリート打放しで建てられています。


これからも、こうした聖なる異空間も訪ねてみたいと思います。

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