荻窪駅から徒歩10分ぐらいのところに太田黒公園があり、そこから5分ぐらいに角川庭園があります。どちらも、杉並区の公園となっています。
12月になって、暖かい日に、遅ればせながら紅葉狩りに行ってみました。
1.太田黒公園
この公園は、もとは音楽評論家の太田黒元雄(1893-1979)という方の邸宅であった。1981年に杉並区の公園として開園した。
門は、総檜、切妻づくりで、屋根は棧瓦ぶき。左右に築地塀のあるどっしりした構えになっている。門を入ると真直ぐに伸びた園路になっていて、両側は大イチョウの並木が続く。もう、黄葉もほとんど散ってしまい。園路の脇に黄色い絨毯を敷いている。
井筒から流れ出た水は、なだらかな傾斜に沿って下の池に注ぐ。名残の紅葉を水面に映し、池の畔には四阿があり、静かな佇まいとなっている。この池を中心とした回遊式庭園である。
芝生の広場を少しあがっていくと、太田黒氏の仕事場であった記念館がある。設計は 洋館建築家の前田健二郎(1892-1975) による。記念館の先には、茶室が設けられている。この茶室の横にある井筒から流れが始まる。
これだけの日本庭園を構えていた太田黒氏は、父の築き上げた裕福な環境で育ったという。音楽評論についても、専門的な教育を受けたわけでなく、海外での音楽体験と自らのセンスで身につけたものとされる。音楽だけでなく、写真についても、黎明期にある写真史のなかで、福原有信らと『寫眞芸術』を発行するなどの活動をしたという。
大正モダンといわれる時代のなかで、西洋文化への憧れと、日本文化の庭園への憧憬がマッチしたのだろうか。
記念館 |
2.角川庭園
こちらは、角川書店の創立者である角川源義の邸宅であった。2009年に開園した。
敷地内には、数寄屋造の邸宅が残されており、「幻戯山房」と名付けられている。園内の隅には、石仏が置かれたり、水琴窟が心地よい音色を奏でていた。
角川源義は、折口信夫の著書に出会い文学に傾倒し、戦後、1945年に角川書店を設立した。やはり、かなり奔放な人であったようだ。
数寄屋造りの邸宅は、昭和30年の竣工で、設計は源義の俳句仲間だった建築家の加倉井昭夫(1909-1988) による。
水琴窟 |
3.荻外荘
角川庭園の近くには「荻外荘」があるが、これは来年2024/12月の公開となっていて、今はまだ見ることができない。
「荻外荘」は、大正天皇の侍医頭を務めた入澤達吉の邸宅として1927(昭和2)年に建てられた。設計を担当したのは、義弟の伊東忠太である。 「楓荻荘(ふうてきそう)」 と名付けられた。
昭和12年(1937年)、「楓荻荘」は内閣総理大臣となった近衛文麿が東京郊外に邸宅を求めて、これを購入した。近衞入居後、「楓荻荘」は近衞の後見人であった西園寺公望によって「荻外荘」と名付けられた。
昭和20年(1945年)、近衞は戦犯容疑によってGHQにより逮捕命令を受け、巣鴨拘置所出頭当日の12月16日早朝に「荻外荘」の書斎で自決した。
そうした歴史を持つとともに、神社・寺院などの建築で知られる伊東忠太が設計した珍しい住宅であることにも興味がわく。
荻窪周辺は、明治後半から荻窪駅の開設や道路整備などによる住宅地開発が進められ、近くには善通寺川が流れ、高台からは富士山が望めるということから、多くの文化人が邸宅を構える住宅地へと変貌したようです。そうした邸宅が、現在は公園として一般公開され、都民の憩いの場所となっています。今回は、太田黒公園、角川庭園に散りもみじを楽しみましたが、来年は、荻外荘も加わり、より深き紅葉が味わえることを楽しみにしています。
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