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| 武蔵関公園・富士見池 |
秋が深まり、近くの公園も紅葉が始まっています。いつも散歩を兼ねて行く武蔵関公園、そして石神井公園、さらに皇居・二の丸庭園に秋の色を見てきました。これらの公園には、それぞれ池があり、武蔵関公園には富士見池、石神井公園には三宝寺池、二の丸庭園には二の丸池があり、そこに鵜や鷺などの鳥を見ることができました。
1.武蔵関公園
武蔵関公園には、昔から「関の溜」または「富士見池」と呼ばれた池がある。この池は、井の頭池、三宝池と同じく、武蔵野台地特有の自然湧水による池であった。大正時代には、遊具やボート場などが整備され、「若宮遊園」と呼ばれていた。その後、東京市立の武蔵関公園となり、1975(昭和50)年に練馬区に移管され、練馬区立武蔵関公園となった。
富士見池
富士見池には、カモなどの水鳥、カワセミ、サギ、そしてこの時期には毎年、ウがやってくる。
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| 富士見池 |
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| 富士見池 |
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| 富士見池 |
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| 富士見池 |
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| カワウ |
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| アオサギ |
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| アオサギ |
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| コサギ |
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| コサギ |
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| コサギ |
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| アオサギとダイサギ |
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アオサギとダイサギ
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2.石神井公園
石神井公園は、室町時代には、豊島氏の石神井城があり、いまでも公園内に城址がある。江戸時代には、景勝地として知られるようになる。1915(大正4)年に武蔵野鉄道(現・西武鉄道)が開通すると、地域住民によって三宝寺池周辺の景勝地を公園として整備が進められた。その後、石神井池(ボート池)が造られ、1959(昭和34)年、都立公園として開園した。
三宝寺池
三宝寺池は、武蔵野三大湧水池(井の頭池、善福寺池)の一つで、池の周囲は、自然がそのまま残されているエリアには沼沢植物群落や野鳥を見ることができる。近くに三宝寺があり、名前の由来となっている。この池の畔にはサギの集団営巣がある。カモやカイツブリなどの水鳥、また鷹なども飛んでいるのを見ることがある。
(参照):
東京異空間94:石神井公園の桜(2023/4/7)
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| 三宝寺池の畔に厳島神社 |
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| 三宝寺池の畔に厳島神社 |
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| 三宝寺池 |
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| 三宝寺池 |
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| 三宝寺池 |
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| メタセコイア |
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| メタセコイア |
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| アオサギ |
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| カルガモ |
3.皇居二の丸庭園
二の丸庭園は、江戸時代初期、
三代将軍・徳川家光の命により、作庭家・小堀遠州によって池泉回遊式庭園として
造営された。池泉回遊式庭園として、将軍や御家人たちの憩いの場として親しまれました。
その後、焼失と再建を繰り返し、明治時代以降は庭園として荒廃した状態が続いた。現在の二の丸庭園は、九代将軍・家重の時代に作成された庭園図面をもとに1968年(昭和43年)に復元された。
二の丸池
二の丸池は、小堀遠州の作とされる庭園の池水とほぼ同じ場所にあり、大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。都会の真ん中にある池だが、ここにも鷺(アオサギ)が飛んで来ていた。
(参照):
東京異空間299:桜満開6~皇居・三の丸尚蔵館(2025/4/10)
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| 平川橋 |
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| 平川橋 |
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| 平川橋の擬宝珠 |
平川橋の欄干に残る擬宝珠は、もともとは二重橋に備え付けられていたもので、1887(明治20)年に橋が架け替えられた際、平川橋に転用された。擬宝珠は全部で10個あり、全て江戸時代のもので、寛永や慶長などの銘が刻まれている。
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| 江戸城の石垣 |
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| ツワブキ |
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| 諏訪の茶屋 |
明治時代に再建された数寄屋造りの茶室。かつては皇居の西にある吹上御苑にあったものを、1968(昭和43)年に現在の場所へ移築した。
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| 武蔵野の自然を想わせる雑木林 |
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| 武蔵野の自然を想わせる雑木林 |
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| 二の丸池 |
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| 二の丸池 |
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| 二の丸池 |
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| アオサギ |
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| 大手門のお濠 |
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| 大手門のお濠 |
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| 大手門のお濠 |
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