石神井公園の桜 |
先に井の頭公園の桜を観てきましたが、石神井公園と善福寺公園の桜も観てきました。この三つの公園はそれぞれ井の頭池、三宝池、善福寺池と武蔵野台地からの湧水で出来た池で、神田川、石神井川、善福寺川の水源の一つになっています。ただし、現在はどの湧水(井)も枯れて、ポンプなどで汲み上げているということです。
まずは、石神井公園に行きました。
1.石神井公園の歴史
石神井公園は、名前に付いているように、むかし、村人が井戸を掘ったとき、石棒がでてきたという。井というのは湧水であり、石棒は霊石、石神を示し、神を祀った井=石神信仰ということから「石神井」と名付けられたという。なかなかこれを「しゃくじい」と読むのも難しい。
この公園には、石神井城跡がある。この一帯を治めていた城主・豊島氏は江戸城の太田道灌に敗れたという歴史があり、それにまつわる伝説もいくつか残されている。そのひとつが照姫伝説(姫塚伝説とも)である。太田道灌に打たれた豊島氏の娘・照姫は、父の死を悲しみ散歩池に身を投げたという。いまも「照姫まつり」が地域活性化の一環のとして行われている。
また、三宝池と善福寺池は底で通じていて、三宝池の主である雄の龍と、善福寺の雌の龍が互いに行き来しているという伝説もある。先に述べたように三宝池、善福寺池、そして井の頭池は、武蔵野台地からの湧水であり、それぞれが通じているというのは伝説とはいえ間違ってはいない。
公園としての歴史は、古く、大正時代に地元有志により三宝池周辺にボート乗り場やプールなどを造り公園化した。ちなみにこのプールは日本初の100メートルのプールでオリンピックに出た選手もここで練習したという。しかし、木の枠で囲んで作ったウールであったため、関東大震災(大正12年)に破壊されたため、翌年にはコンクリート造りのプールを開いた。その後、昭和になると釣り堀に替わった(いまは、これもない)。
昭和5年に内務省が三宝池一帯を石神井風致地区に指定した。このとき善福寺池も風致地区に指定された(他に江戸川、洗足池、和田堀、など)。風致地区に指定され、三宝池からの水をせき止め石神井池を造成し、ボート乗り場を整備した。
昭和34年に東京都の管理する公園となった。それまでは、主として地元民による民有地の公園化であった。
三宝池と厳島神社 |
姫塚 |
2.石神井公園の桜
公園の一角には「さくら広場」が設けられており、多くの桜が植えられている。その下で子供たちも遊びながら花見を楽しんでいた。
また石神井池の周辺にも桜が植えられ、ボートからの花見を楽しんでいた。三宝池のほうには、あまり桜はなく、むしろ沼沢植物群と鳥たちを観察する場となっている。
参考:
『東京の公園と原地形』田中正大 けやき出版 2005年
『石神井・善福寺公園』東京公園文庫30 佐藤保雄 1981年
「さくら広場」 |
「さくら広場」 |
「さくら広場」 |
「さくら広場」 |
石神井池 |
石神井池 |
石神井池 |
石神井池の桜と枝垂れ柳 |
石神井池に映る桜とカモ |
三宝池の沼沢植物群など
三宝池の桜 |
三宝池の桜ともみじ |
三宝池のスッポン |
三宝池に映る樹木 |
三宝池の湧水井 |
石神井公園は、近くなのでときどきいくことがありますが、桜の時期はまた一段と美しい公園になります。今回は石神井公園の歴史についても少し調べてみましたが、三宝池と並ぶ石神井池は昭和になってからつくられた人工の池ということです。また、歴史ある場所であり、石神井城址のみならず、照姫伝説という悲しくも美しい話が伝わっています。
なお、公園の周辺には、三宝寺、道場寺、氷川神社などの寺院も多くあります。これらについては「東京異空間53.55:石仏巡り(2022/02/06~02/18)」で取り上げています。
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