2023年7月7日金曜日

東京異空間133:大名庭園を歩く10~清澄庭園

 

清澄庭園

安田財閥の旧安田庭園に続いて、三菱財閥の岩崎弥太郎によって造られた清澄庭園に行ってきました。

1.大名庭園の沿革

この地は、江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡であったと伝えられているが、確しかな証拠はないようだ。享保年間(171617635年)に下総国、関宿藩主久世大和守の下屋敷となり庭園が造られた。

1878年(明治11)に、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎がこのあたり一帯の約3万坪を買い取り、庭園をつくり、社員の親睦や内外賓客を招待する場として「深川親睦園」を開園した。その後も、弟・弥之助、長男・久彌と岩崎家三代にわたり造園が進められ、回遊式林泉庭園が完成した。その際に作庭を手掛けたのは、岩崎家の茶事係を務めた茶人・磯谷宗庸とされる。

庭園に合わせ、お雇い外国人・ジョサイア・コンドルの設計による洋館(明治22)、数寄者・柏木貨一郎の設計による日本館が建てられた。(日本館の設計者を河田小三郎とする説もある。『清澄庭園』北村信正)。また、1909年(明治42)には久彌が、英国陸軍元帥を迎えるため池の茶屋として「涼亭」を造った。これは三菱の建築家・保岡勝也の設計になる。

しかしながら、1923年(大正12)の関東大震災により、 建物は凉亭を除き日本館も洋館も焼失し、庭園も老木大樹は焼かれ、石組みも損傷、壊滅的な打撃を受けた。なお、この際に、安田庭園と同様、この庭園も避難場所として、多くの人の命を救った。

関東大震災後、震災被害が比較的少なかった東半分が東京市に寄付され「清澄庭園」として復旧整備され、1932年(昭和7)に開園した。また、被害を受けた西側は、用地買収を追加して造成工事を行い、1977年(昭和52)に清澄公園として開園した。公園と庭園の間の角には、東京市立図書館としては、日比谷図書館についで古い深川図書館(明治42年開館)が、古典的な建物で建っている。(現在は江東区立である)

岩崎家・洋館(コンドルの設計)

岩崎家・日本館(柏木貨一郎の設計)

江東区立深川図書館

2.清澄庭園

清澄庭園は、大きな池を中心に、巨石、奇石を配置した豪快な庭園である。これは岩崎弥太郎の造園趣向が反映されている。弥太郎は、青年時代から造園に興味があり、特に石が好きだったようで『岩崎久弥伝』によれば「吾は性来これという嗜好なけれど、常に心を泉石丘壑に寄す。これを以て憂悶を感ずる時は名庭園を見る。中略、ひとり加賀邸の庭園は無数の巨巌大石を配し、老樹黙綴して豪宕の趣き深山の風致あり。若し吾に庭園を造る時あればかくの如きものに倣はんと欲す。」と記録されている。加賀藩の育徳園というのは、現在の東大本郷キャンパスの地にあった加賀藩前田家の大名庭園である。

安田庭園でも見たように、この清澄庭園も、その主人が大名から実業家(財閥)に変わった庭園である。岩崎弥太郎は、加賀藩の育徳園に倣って、かつての大名と同じような回遊式林泉庭園を造ったといえる。それは明治維新によって新たな時代の主役が登場し、その富を誇示したものと言えるだろう。岩崎家の清澄庭園の特徴を観ていく。

旧加賀藩・前田邸の洋館と庭園

清澄庭園・入口

(1)大泉水・汐入庭園

庭園に入ると、目の前に広がるのは、三つの中島を配した広い池。水面に島や数寄屋造りの建物、樹々の影を映し出すこの池は、庭園の要となっている。昔は隅田川から水を引いて潮の干満によって池の景観が微妙に変化する汐入り庭園であった。その水門は、奇妙な形をした大きな伊豆石の裏に隠れされている。いまは、川から引くので)はなく、雨水でまかなっているという

芝生の向こうに大泉水

大泉水、手前は船着石

大泉水と涼亭

中島に架かる橋

大泉水と中島、左側は大正記念館

大泉水、左に大正記念館、右は涼亭

中島に十三重塔、トンボが水面に

紀州石、奥は涼亭

トンボ、カメ

サギ

長瀞峡に見立てている

長瀞峡

(2)名石・巨石・奇石

庭園に入ってすぐ左手には、手水鉢の手前には伊豆磯石、その先には佐渡赤玉石と名石、奇石が据えられている。庭園には、伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石などの名石が配置されている。。この ほか敷石や橋、磯渡りの石、枯滝の石などに、名石、巨石、奇石が使われており、さながら「石庭」の観を呈している。これらの石は、岩崎家が三菱の汽船を用いて全 国の石の産地から集めたものといわれている。

太湖石のような伊豆磯石

棗形の手水鉢・摂津御影石

手水鉢

佐渡赤玉石

伊予青石

生駒石

大きな飛び石

保津川石の水鉢

伊豆石、この後ろに水門がある。


カメ(カエル?)のような奇石

讃岐御影石の灯籠

雪見灯篭

(3)富士山・築山

大泉水の南側には、富士山を見立てた築山が築かれている。山の斜面には芝生を植え、ところどころにツツジ、サツキを数列横に配し、富士山にたなびく雲を表現している。また、山の右側の裾野には、枯滝が組まれている。大きな紀州青石を鏡石として立て、大滝から池に流れるかのように表現されている。

富士山に見立てた築山、手前に春日灯籠

富士山と手前に中島に架かる橋

逆さ富士?

枯滝の石組、紀州青石の鏡石

枯滝

枯滝

富士山の裾野に枯滝

(4)磯渡り

磯渡りというのは、池の端に石を飛び飛びに置いて、そこを歩けるようにしたもので、広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されている。 また、大きな船着石があり、舟に乗って回遊できるようになっている。

石渡り、右は涼亭

磯渡り

石橋

石橋
船着き石


(5)涼亭

園内に建てられた洋館、日本館などは関東大震災により焼失したが、池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物である涼亭は残った。涼亭は1909年(明治42)国賓として来日した英国の-キッ チナー元帥を迎えるために岩崎久彌が建てたもので、設計は保岡勝也(1877-1942)が担った。保岡は、三菱合資会社(現・三菱地所)に入り、丸の内の赤煉瓦オフィス街を手掛けた建築家である。

池に突き出すように建てられている涼亭

涼亭


涼亭、手前は紀州石

涼亭・入口

(6)大正記念館

園内に入って、左側に建つ大正記念館は、大正天皇の葬儀の際、葬儀に向かう待合室として使われた建物を移築したものである しかし、最初の建物は戦災で焼失したため、1952年(昭和28)に貞明皇后(大正天皇の皇后)の葬場殿の材料を使って再建された。1989年(平成元)に全面的に大幅な改修工事がされ、基本的に当時の建材は全て新しいものと取り換えられている。

大正記念館

大泉水から大正記念館

(7)石仏群

富士山に見立てた築山の南東の裾野に石仏群がある。庚申塔が2基、馬頭観音、中央に供養塔としての阿弥陀仏が石龕の中に収まっている。17世紀後半から19世紀初めの江戸時代のものである。

中央・阿弥陀如来、右・三猿の庚申塔、左奥・庚申塔、左手前・馬頭観音

石龕に収まる

近くには九重塔

8)芭蕉の句碑

芭蕉の最も有名な句である「古池や かはづ飛び込む 水の音」を刻んだ石碑が、園内に立てられている。芭蕉は1680年、日本橋から深川の草庵に移り住んだ。この草庵は門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったことから「芭蕉庵」と呼ばれ、ここを拠点に多くの名句や「奥の細道」名の紀行文を残した。

この句碑は、1934年(昭和9)に芭蕉の顕彰碑として、芭蕉庵跡にあった芭蕉稲荷に建てられたが、改修の際、清澄庭園に移された。

芭蕉の句碑・古池や・・・

(9)清澄園記の碑

岩崎家の寄付により、東京市の公園となった清澄庭園の沿革と寄付事績を刻んだ碑が、池の南西に東京市によって1929年(昭和4)に建てられた。石材については、江戸城の石垣石を活用したとされる。(『清澄庭園』北村信正)

清澄園記の碑

庭園を一回りして、何よりも目につくのは、巨石、奇石である。池の周りに組まれた磯、その磯渡りの飛び石、八つ橋や、大きな一枚石の橋、池に流れる込むような枯滝には、一枚板の鏡石が使われている。こうした名石をみると、当時の三菱の海運業の実力、そして岩崎家の富の凄さを思い知らされるようだ。

参考:

『岩崎家四代ゆかりの邸宅・庭園』三菱広報委員会 1994

『清澄庭園』北村信正 東京公園文庫 郷学舎 1981

川瀬巴水「大泉水の全景 三菱深川別邸」

清澄庭園の大泉水、富士山に見立てた築山、多くの名石、巨石を使った磯渡り、枯滝など豪快な庭園をみると、大名庭園の面影を観るようです。しかし、これはやはり明治になって、実業家によって造られた近代的な庭園です。その一例は、池の前に広がる芝生です。そして今は見られませんが、ここにはコンドルによって設計された洋館が建てられていました。また、当初は「深川親睦園」と名付けられたように、庭園が社員の親睦を図るための施設として使われたというのも、近代ならではと言えるでしょう。

川瀬巴水によって、「三菱深川別邸」として描かれています。1920年(大正9)頃の作品で、関東大震災前の洋館、日本館が建つ庭園の姿がうかがえます。

清澄庭園のほか、岩崎家による東京にある庭園については、いくつかは<東京異空間>でも観てきました。参考に挙げておきます。

・旧岩崎邸庭園- 旧越後高田藩主榊原家中屋敷跡。岩崎家茅町本邸 弥太郎 久彌

・六義園- 旧川越藩柳沢家下屋敷跡。岩崎家駒込別邸跡。弥太郎 弥之助、久彌

・関東閣- 岩崎弥之助家高輪本邸。(非公開)

・国際文化会館- 岩崎家鳥居坂別邸跡岩崎小彌太 <東京異空間131

・静嘉堂文庫(世田谷)-玉川別邸。岩崎弥之助、小彌太<東京異空間117

・殿ヶ谷戸庭園- 岩崎家別邸。岩崎彦彌太 (久彌の長男 )<東京異空間108

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